【人生ノート 182ページ】 ただ単に、そうしたいから為す、というのでなくして、ある思いをこめてする行為は、いずれにしても、汚れている。
他人を通しての自己愛
タバコのきらいな人の前で、やたらに煙をふきかけるのは確かに無礼だ。しかし、タバコを好む人の顔に煙を少々ふきかけたところで無礼ではない。
裸体はいやしいと思い込んでいる人のまえで裸になるのは無礼だ。しかし、最奥天国ではほとんど裸だ。
礼儀にかなっているとか、無礼だとかいうのも、要するに、好意そのものにあるのではない。そう思うからそうなのである。
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ある目的のために人に尽力するのは、要するに、その人を通して自己を愛するのである。何ら目的なしに、愛するがために愛するのでなくてはならぬ。
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自分は大いに尽くしている、努力している、と思って尽くしているのは、すでに、自己がはいっている証拠である。ただなんとはなしに、そうしたいからしているのでなくてはならぬ。この境地にあっては、とくに尽くしているとか、努力しているとかいう気持はない。
ただ単に、そうしたいから為す、というのでなくして、ある思いをこめてする行為は、いずれにしても、汚れている。
『信仰覚書』第五巻、出口日出麿著