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あたたかい心

理屈を好まぬおだやかな、ぼんやりとしたあたたかい心が神の心である。これに反して、落ち着きのない、冷やかな理屈っぽいのは、けものの心である。

人体は霊の宿泊所であって、自己の心と感応するいろいろな高級、低級霊を容れることが出来るのである。かように作られているのであるから致し方ない。だから、人は常に内心をつつしみ清めて、かりにも悪を思わないようにしなければならぬ。常に、われとわが心を省みて、悪魔のつけこむ隙のないようにしなければならぬ。

人とつき合っても、こっちから「あいつはいやな奴だ」と思う心がちっとでもあれば、先方も、自然それ霊流を感じて「なに、あんな奴が … 」という考えになってくるものである。

世の中に何が怖いといって、人の心ほど怖いものはない。

神様の御事を考えておれば、自分の部屋の雰囲気も、自然、神々しくなってくるし、人を恨んだりそねんだり、残念がったりなどしておれば、知らず知らずのうちに、自分は地獄や修羅道に身を置くことになるのである。

思うことは在ることであり、生ずることである。人間は、おのが狭い心から、求めて敵をつくっているのである。たとえ自分を苦しめる者をでも、好意をもって待遇してやれば、やがて先方もその非を悔ゆるものである。何となれば、人の性は善であるからである。

出口日出麿著 『信仰覚書』 第一巻、「変通自在、千変万化」 

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