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常に好感をもって

言葉の使いよう、ちょとした態度によって、相手に非常なショックをあたえる場合が往々ある。相手を怒らすのも和めるのも嬉しがらせるのも、ホンのちょっとの呼吸である。何も別に阿諛する必要はないが、とにかく、相手につねに好感をもって接する心がけが肝心である。

人間というものは、案外気の小さいものであるから、よほど注意せねばならぬ。

お互いに己惚(うぬぼれ)というものを平らげたいものだ。そして、人をそねみ、ねたむということをなくしたいものだ。

他人の欠点は直ぐに目につくが、さて、自分自身のこととなると、皆目分からぬのが吾々の常である。

どうかして、お互いに大きな心で見直し聞き直し合って、仲よくして行きたいものだ。

人をよくしてやりたい、人を喜ばしてやりたいという心にみんながなりさえしたならば、実際、この上もなく結構なことだと思う。

静かに、いまの世の中の人の心というものを考えてみるに、なんとなくケチケチとして、お互いに小さい部分的のことばかりを論じ合って、ちょっとのことで人のあげ足をとらんと待ちかまえているようにしか思えぬ。

吾々はもっともっと内に省みて、心に隙のないように、そしてお互いに真に信じ合い、かばい合い許し合って行きたいものだと思う。

枝葉の問題にばかり目がついて、大局に気がつかないのが現代の人々の最大成る欠陥だと考えられる。

いわゆる目の先ばかりが利巧になって、腹の底のない、フワフワした人間ばかり増えてきている。ちょっとしたことで、人をねたむような人が一番いやだ。ゆったりした人が一番好きだ。

年賀状はなるべく手落ちのないように、知己、朋友へは出すことだ。これを儀礼に過ぎずと言って、せいでもよいことのように言う人もあるが、それは考えがまだ若い。

気分は形式に現わさなくては通じるものではない。たとえまた、ホンの形式一遍の場合があったにせよ、これを受けた方は、決して悪い気持のするものではない。

敵同士の間をでも、言霊の力はよく和らげ得るものである。世界を和らげるものは善言美詞より外にはない。

形式はその弊におちいらない限り、どこまでも尊重せねばならぬ。

『信仰覚書』第八巻 常に好感をもって 出口日出麿著

お示しメモ2


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