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【人生ノートMagazine】念うところ世界なり

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人生ノートの中から人生の生き方や日々の生活に沿ったことについてに書いてあることに焦点を当ててまとめてみました。
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#習慣にしていること

【人生ノート321】いまの一歩をおろそかにしては、どこへも行けない。

未熟者ほど理屈っぽい一足飛びにやろうとしてはいけない。ごく卑近なことから仕上げてうゆかねばほんものは出来ない。 現実をはなれた理想論は砂上の楼閣である。しっかりした土台なしに、しっかりした家が建とうはずはない。 いまの一歩をおろそかにしては、どこへも行けない。私はシミジミこのことを悟った。 とかく、未熟な間は理屈ばかりをこね廻し、いっかど分かっているつもりで、その実、何ひとつ出来ぬものである。なに一道の達人は、知らざる者のごとくである。 かれこれ小理屈をこねている間は

【人生ノート283】真理はどぶの中にも潜み 技術は書籍と経験とのなかにのみあり

ねたむ心、そねむ心、欲な心 人は誰でも死ぬる。間違いなく死ぬる。死ぬるまでに何かしておきたい。とにかく、自分というものが、この世に生まれてきたしるしだけのことは相当にしておきたい——と誰でも考える。結構なことだ。 この世の中はチッと思うようにならぬ。つまらぬ、あほらしい、しゃくにさわる——思う。全くそうだ。 ○ 今はたえじ 死なんかといくたびか思いし 若きころの胸は燃えて空のあなたを眺めて泣き 見苦しき人の世のさま慣るるまではつらかりき ○ 飢えたる人にパン

「人生ノート282」考えすぎるから悩むのだ。あるがままに楽しむべし、なるがままに楽しむべし。

何事も相応の理によるなり。 何事も相応の理によるなり。 すべて、他より強制することは非常な間違いなり。根源治癒せば、自然にその癖は止むなり。 ○ 無意味に神は人を苦しめぬ、悟らせんがためなり。行きつまらぬうちに悟ってくれれば、この上はなきなり。 下司のみたまほど、それが遅きなり。 ○ フト思いついたことで、して差しつかえのないことなら、その時をすかさず為すべし。 機会というのは、かかることを指すなり。 ○ 過去をドンドン忘れるくせをつけるべし。 過去を思

【人生ノート 281】 人生を根本的に幸福にするものは、金でも科学でも薬でもありません。ただ心そのものであります。

心の鏡人の心はもっとも巧妙なる電磁器でありまして、自動的には、自己の意念はただちに独特のある種の電波となって四方へひろがってゆき、ことに、わがめざす相手へはもっとも強くひびいてゆくのであり、受動的には、他の意念はそれ相応の電波となって自己にこたえてくるのであります。 昔から禅家などで以心伝心ということを申しますが、われわれからいえば平凡な事実でありまして、このことあるがゆえに人は神と通ずることができ、他と応ずることができるのであります。 俗に虫が知らすと申しまして、親しい

【人生ノート280】安心立命の境地に早く達することさえ出来たら、これが真の大成功である

真の力② 多くの体験を得るということは、むやみに境遇を変えたり、また是非とも長年月を経ねば不可能であるかというに、必ずしもそうではありません。一日一時間の間に、心掛けのよい悟りのよい人たちは、他人が十年も百年もかかって、はじめて得るような道を見出すこともでき、また現界的には価値のないような一小事件からでも、目のつけどころ、心の用い方一つで、無限の真理をつかみ出すことができるのであります。 現界人は物質的にみて広大なーーたとえば、巨富をたくわえるとか、国王、大臣にでもなると

【人生ノート279】お互いに、真にゆるし合うという修養

許しあう雅量 いま喧嘩をしたと思えば、もう知らぬ間に笑って話し合っているというのが子供である。この無邪気さが、大人ではなかなかまねられぬのである。私は、こうした場面を見るたびに、子供は神さまであると思わざるをえない。われわれ大人も、日常の交際において、すべて、こういう風にありたいと念じてやまない。 凡夫の人間であるから、時によっては腹の立つこともあり、しゃくにさわることもあろう。そういう時には、多少喧嘩になるのも、また、やむを得ない。しかし、一旦、お互いに了解しあい、許し

【人生ノート275ページ】何事でも最終の勝利は人なみ以上の苦心と努力と忍耐とにある

思うことありて 順境にそだった人たちは、自ら手を下すということをおっくうがる癖があって、他に対して心からの同情心がなくて困る。いろんな事にぶっつかって仕上げた人は、心がひろく、なんとなく頼もしいところがある。 しかし一度逆境に立った人は、どうしてもひがむ癖がありがちで、特にすこし才能のある人は、一種のいやな自尊心や警戒心が邪魔になって、どうも他人との和合が下手である。この、少し才智のある人は、どうしても気ばかり走って、ねばり気がなく、急に効果をあげようとあせり、ともすると

【人生ノート274ページ 】ちょっとの誤解や行き違いからして、この世がこんなに乱れて来ているまでである。

感情と理解他人の欠点でも、これを好意をもって忠告矯正してやるようにするのと、最初から悪意に、嘲弄的に忠告するのとでは、その結果に大変な差異を来たすものである。なるほど、今の社会のどこを見ても無茶苦茶だらけで、全体、何をやっているのやらと思われるようなことが多い。しかし、これを攻撃的の態度で単に立腹してみたところで、相手に、かえって反感をおこさしめるだけのことである。上位、上官の人のなしていることといえども、正義真理の上から見て、これはと思うようなこともないとは限らぬ。けれども

【人生ノート 273ページ】何事にかぎらず、数多くやってみて得心するがよい。

中庸を知る人 いろいろやってみた上で、なるほどと心底から合点するのでなくては、世の中のことはほんとに良くなるものではない。 自分もいろいろうやってみ、人にもやらせてみた上で、相談し合って仕事をせねばならぬ。 何事にかぎらず、数多くやってみて得心するがよい。そうでなくては、とても融通のきく人間にはなれぬ。 世の中には、善も悪も、賢も愚も大した差異のあるものではない。ものの過不足が悪で、適宜なのが善だ。 ものの「中」を知っている人がえらいのだ。「中」を知るためには、いろ

【人生ノート 264ページ】文字どおりの、一切を超越した大バカ、大阿呆者になることが一番必要だ。

一切を超越した大阿呆に水晶になりきるまでは、省みたうえにもかえりみて、大神さまのことを忘れぬようにせねばならぬ。少しでも、瑞の霊さまを遠ざかるような気持が出たときは、すなわち邪霊にいらわれかけている時であるから、われとわが身をたたきつけるほどの真面目な、厳粛な気分にならねばならぬ。 瑞のみたまさまのお許しなきことは、何ひとつ、真にできよはずはないのだから、よくよく省みねばならぬ。 ちょっとでも名利心や執着心があったなら、えたりかしこしと、悪魔につけ入れられるにきまているか

【人生ノート 262ページ】自己以外のものから、自己の養分をえらび採って、たがいに自己を肥してゆけばよいなり。

特長を発揮せよすべて規則的のことは一般的の場合をいえるものにて、十人十色、百日百態の世なれば、この一般的のことをもって、単個のものにおし及ぼさんと強いるなかれ。 すべては共通していて、また相違している。 単個それぞれにその特長を発揮せしめるこそ、神の真の思し召したるなれ。単個それぞれ自己を主張し発展さして、はじめて真に世の中が調和されてゆくように造られてあるなり。 みな、自己を発揮せずに、ガラにもき真似をしているから、世の中、ゴテつくなり。 ○ 囚われていないといっ

【人生ノート 261ページ】同一の材料をもとにして、ほめることも出来れば、くさすこともできる。

世の中とはこんなもの 道徳上の箇条書を、いくら記憶していたところでなんにもならぬ。 何によらず、すべて「こうこうするのがよい」と悟ったならば、その時からすぐに、それを着手し実行すべきである。 善悪正否の道理は誰でも知っているが、その知っていることが、いざという時になると行なえぬだけだ。 到底おこない得ぬことを覚えていたところで、荷物になるばかりだ。 ○ この世には、何によろずピンからキリまであるということを、よくよく実地について見きわむべし。 そして、いまの自己

【人生ノート 260ページ】自分の心がいま在るような霊界に、人は住んでいるのである。

相応の理相応の理ということを考えてみる。 われを形成している霊体と、因縁あるものと結びつきたがる性質が一切のもにある。人間が食物として五穀・野菜・魚・鳥等の肉を喰(くら)うのも、それが人の肉体を形成するに必要なからである。 また人々の性質によりて春が好きな人、秋を好む人、東京に住みたがる人、京とをよしとする人、まる顔がよいという人、瓜ざね顔がよいという人、山を好む人、海を好む人 … というふうに、十人十色になっているのである。これらすべて、自己を形成し増大するに適当なもの

【人生ノート 259ページ】人は自己が敬愛する人のために、自己を犠牲にすることを喜ぶものである。

万物調和の感情 人は自己が敬愛する人のために、自己を犠牲にすることを喜ぶものである。言いかえれば、自分より目上の人より仕事を命ぜられることは光栄であり、自分の好きな者のために仕事をしてやることは愉快なのである。この感情は、ひとり人間のみが持っているのではなくして、宇宙万物が持っているのである。牛馬は、人間のために適度に使役されることが本懐なのであり、米麦は人間の食料となることを念願としているのである。また人間は神の生宮となって活動することを、唯一の愉快としているのである。