【人生ノート280】安心立命の境地に早く達することさえ出来たら、これが真の大成功である
真の力②
多くの体験を得るということは、むやみに境遇を変えたり、また是非とも長年月を経ねば不可能であるかというに、必ずしもそうではありません。一日一時間の間に、心掛けのよい悟りのよい人たちは、他人が十年も百年もかかって、はじめて得るような道を見出すこともでき、また現界的には価値のないような一小事件からでも、目のつけどころ、心の用い方一つで、無限の真理をつかみ出すことができるのであります。
現界人は物質的にみて広大なーーたとえば、巨富をたくわえるとか、国王、大臣にでもなるとかせなければ、エライ者でないように思いがちですが、それよりは、どんな職業に従事していても、
心に真の悟りを開いて、いわゆる、安心立命の境地に早く達することさえ出来たら、これが真の大成功であるということがなかなか分からぬものです。
誰でも最初は、自分の心が狭くみにくいことには気づかずして、人を憎んだり世を憤ったりするものですが、だんだん内省の力ができてきて、世の中というものが分かってきだすと、はじめて、人を容れることができだし、複雑微妙なる人心の交渉、宇宙の紋理に気づきだすのであります。人を容れる力は、どうしても、真に世の中というものを見きわめて来た人でなければ有することは出来ません。そして、人物の大小は全然、この人を容れる力の大小に比例しているのであって、決して、理論に長じているとか、技術に堪能であるとかいうようなことによるものではありません。
世には、理論や技術の上では一流の人でも、なんら大した人物でないといわれている人が沢山にあります。これらは要するに、偏狭な体的体験のみをドッサリ得ているに過ぎないのであって、なんら霊性向上していない証拠であります。しかも、一般の人たちは表面上の学位や名声の有無をもって、ただちに人物を視る標準としている現状ですから、実際バカ気きった世の中です。
(大正一四、一二、八)
『信仰雑話』出口日出麿著