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【人生ノート 259ページ】人は自己が敬愛する人のために、自己を犠牲にすることを喜ぶものである。
万物調和の感情
人は自己が敬愛する人のために、自己を犠牲にすることを喜ぶものである。言いかえれば、自分より目上の人より仕事を命ぜられることは光栄であり、自分の好きな者のために仕事をしてやることは愉快なのである。この感情は、ひとり人間のみが持っているのではなくして、宇宙万物が持っているのである。牛馬は、人間のために適度に使役されることが本懐なのであり、米麦は人間の食料となることを念願としているのである。また人間は神の生宮となって活動することを、唯一の愉快としているのである。
この感情があればこそ、宇宙万物は調和してゆけるのである。もし互いに絶対自我主義の立場から、しのぎを削るとしたならどうだろう。宇宙は一分時も統一されることはなく、混乱状態をつづけ、やがて滅亡するまでである。
群星は太陽を中心とし、河川は大海に注ぐ。小なるものは大なるもののために働くということは、否むべからざる真理である。
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現界を修理せんとせば、いきおい神霊のみ力にたよらざるべからず。
神霊はおうおう自然界のことに慣れたまわず、肉体の調理とその感興とに慣れず、一時、戸まどいしたもうことあり、こは、もとより、いまだかつて人間の肉体に憑りたまいしことなき霊のことなり。
精霊はどうしても、肉体を蔑視し無視するの傾向におちいり易く、肉体は精霊を従とするかたむきあり、この両者の調和こそ、もっとも肝要なることなれ。
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霊界は思念の世界にして、ある意味において、無限なり。祈るところ神を生じ、思うところ真を現わす。ただし、一見、思念の世界は無限なるがごとくなれども、然らず。各人、一定の限界を有す。また共有の広大なる世界あり。
霊界にまったく存在せざることを、思念し得るものにあらず。人の、現界において思念し得るかぎりのことは、おのが霊界において実在せるなり。思念は霊界より来るなり。
現界における人の努めは、出来得るかぎり思念し、これを具体化するにあり。
『信仰覚書』第一巻 出口日出麿著