【人生ノート 262ページ】自己以外のものから、自己の養分をえらび採って、たがいに自己を肥してゆけばよいなり。
特長を発揮せよ
すべて規則的のことは一般的の場合をいえるものにて、十人十色、百日百態の世なれば、この一般的のことをもって、単個のものにおし及ぼさんと強いるなかれ。
すべては共通していて、また相違している。
単個それぞれにその特長を発揮せしめるこそ、神の真の思し召したるなれ。単個それぞれ自己を主張し発展さして、はじめて真に世の中が調和されてゆくように造られてあるなり。
みな、自己を発揮せずに、ガラにもき真似をしているから、世の中、ゴテつくなり。
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囚われていないといっておりながら、いざ、自己の利害ということにおよんでくると、誰しも囚われているなり。
無理もなきことながら、悟りはそのところなり。
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神は、一々それぞれに特殊の説教をせねばならぬ筈である。でないと、どうしても合点のゆかぬことが多少は各自にあるなり。その一々、人への説教の代わりに、直霊なるものを授けてあるなり。自己が神と通じているなら、分からぬことは、自己みずから神と直接談判をすべし。他人の説は、要するに、これことごとく自分にとっては参考なり。自分に最も適切に説いてくれるものは、自分よりほかにはなきなり。
他人の説を非難するは、自分と意見が合わぬからであろう。自分に合わいでも、その他の人の中には、これに迎合する人もあるなり。
また他人の説を鵜のみにして、とんでもなき真似をしている人あり。いかなる高貴なる人でも、依然、人なり。その人の言行のうち、自己に合うものだけは早速見ならうべし。自己に合わざるは、そのままにしておくべし。他人と自己とは同一でない以上は、必ずどこか異なっているなり。それを不平いうわけなし。
すべて自己は主体であって、自己以外のものは客体なり。自己以外のものから、自己の養分をえらび採って、たがいに自己を肥してゆけばよいなり。
『信仰覚書』第二巻 出口日出麿著