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#lGBTQ
LGBTQ事情#1 女の子なんだから。
私は小さい頃、自分のことを「オイラ」と言っていた。
女の子なんだから、自分のことはワタシと呼びなさい。足を閉じて座りなさい。スカートをはきなさい。「女の子なんだから。」
どうして、人は性別に私を当てはめようとするんだろう。女の子だけど、ズボンや黒い服が好きだし、足を広げて座りたい。それではいけないのだろうか?
「女だから」とか「男だから」と口癖のように言う人には、つい反発してしまう。
LGBTQ事情#23 一家の恥だと言われた。
新聞連載は終わりましたが、気が向いた時にLGBTQ事情について書いていきます。
私を一番深く理解してくれるのは、祖母だけだと思っていた。だけど、違った。泣き過ぎて頭が痛いのがもう何日も続いている。
山陰中央新報でLGBTQの連載を始める前に、祖母に手紙を書いた。私のセクシャルマイノリティに関するインタビュー記事を添付し、心のうちを綴った。手紙を書けばすぐに返事をくれる祖母だったけれど。返
LGBTQ事情#22 カミングアウトはもうしない。
私は性の曖昧さをカミングアウトしてみたけれど、「カミングアウトをしない自由もある」ということ、これだけは最後に言っておきたい。
少し前までは性の悩みによって、朝目覚めるたびに、まだ生きているのかとため息が出る毎日だった。それが、「LGBTQ」という言葉に出会って、自分ひとりじゃないという安心感に包まれていた。
しかし、LGBTQという言葉を使うことで、センシティブな印象を与えてしまい、自
LGBTQ事情#21 LGBTQの人になろうとしていた。
私は最近「ワタシ」を忘れて、「LGBTQの人」になろうとしていた。
コラムをきっかけに講演の依頼をたくさんいただいた。話す内容を考えるため、インターネットや本を読み漁ったが、壮大すぎて頭がくらくらした。生物学?医学?法律?歴史?なにもまとまらないまま、ある講演の前日、突然取り憑かれたように、自分で髪をバッサリ切った。今の見た目では、ただの女で「LGBTQの人」としての説得力に欠けるんじゃない
LGBTQ事情#20 親の愛情を独り占めしたかった。
私の性の悩みのはじまりは、親の愛情を独り占めしたいという欲求からだったように思う。
3歳のころ弟が生まれた。私にだけ向いていたみんなの目が、一斉に弟へ移った。「男の子が生まれてよかったね」という誰かの何気ない言葉が今も耳に残る。あんなにかわいがってくれていたのに、私が女であることを残念に思っていたのか。それをきっかけに自分の女の部分を嫌い、男っぽさに憧れを抱くようになった。
そして、また
LGBTQ事情#19 性の悩みが導いた新たな夢。
男でもない、女でもない曖昧な性をカミングアウトしたからといって、すぐに自分らしく生きられるわけではない。嘘で塗り固めて生きてきたせいで、曖昧どころか、もう私は私がわからなくなっていた。
性の悩みを理解してくれた夫との結婚。しかし実の家族からは結婚を反対され絶縁を告げられる。それなのにその結婚も破綻させてしまった。夫にとっては妻であり、おしゅうとめさんにとっては嫁であり、そして、実の母にとって
LGBTQ事情#18 迷いだらけの離婚。
夫とケンカをした。
「今の君は、女って事に、甘えてる。」
夫の自由すぎるお金の使い方に私が文句をつけたら、こう返ってきた。はじめ、何を言っているのか意味が分からなかった。
「僕は自分で稼いだお金は自由に使いたい。文句を言うなら、僕より稼いでくればいい。僕は君に、家事をするような奥さんでいてなんて頼んだことはない。君は、性に対する偏見に縛られずに仕事をしたいと言っていたよね。だけど、やっぱり女
LGBTQ事情#15 無事結婚をしたけれど。
苦手だった母と仲良くなりたい。孫の顔を見せて喜ばせよう。私は、結婚と出産を目標に掲げた。つまりそれは、LGBTQの特性を持つ自分を殺す事になる。だけどすでに目標に向けて動き出していた私には、そのリスクはもう見えていなかった。
母の紹介してくれた相手とはすぐに別れてしまった。しかし母の機嫌を損ねたタイミングで、私と結婚をしたいという人が現れた。私は彼を好きではない。だけど今はそんな事を言ってい
LGBTQ事情#14 結婚を目指す。
私は去年、結婚をした。
てっきり「おめでとう」と言ってもらえるものだと思っていたので、家族の誰からもその言葉をもらえなくて驚いた。家族の目利きは大正解。おめでたくない結婚は、長続きせず、10ヶ月で離婚となった。結婚から離婚までの1年間を何回かに分けて丸出しにしていこうと思う。
結婚を考えるようになったきっかけは、二番目とわかって付き合っていた恋人と別れ、孤独の真っ只中。別れ際に言われた「家族
LGBTQ事情#9 女の子と付き合った。
女性へ抱いてしまう恋心を肯定してくれたのは、20歳の時に、レズビアンバーで知り合った8歳年上の女性、ヨウちゃんだった。クールな雰囲気に引かれ、お酒の力を借りて、初めて女性にアプローチした。
私たちはすぐに恋人になった。ヨウちゃんの運転で横浜の海をクルージングしたり、ボクシングでボコボコにされたり、年末には年越しそばを作ってくれたりもした。
しばらくしてから、私は女優の夢を諦め、島根に帰る