LGBTQ事情#23 一家の恥だと言われた。
新聞連載は終わりましたが、気が向いた時にLGBTQ事情について書いていきます。
私を一番深く理解してくれるのは、祖母だけだと思っていた。だけど、違った。泣き過ぎて頭が痛いのがもう何日も続いている。
山陰中央新報でLGBTQの連載を始める前に、祖母に手紙を書いた。私のセクシャルマイノリティに関するインタビュー記事を添付し、心のうちを綴った。手紙を書けばすぐに返事をくれる祖母だったけれど。返事をもらえなかったのは初めてだった。
そして、連載が始まった。家族親族からは、誰一人、私へ連絡してくる人はいなかった。
連載が終わって2ヶ月が経ったある日、祖母から突然電話があった。「あなたの記事が載ってるので、私、山陰中央新報解約したのよ。」という。耳を疑った。手紙の返事はなかったけれど、それでも、きっと、応援してくれているものだと思っていたから。どういうことかと聞き返しても、祖母は耳が遠く私の言葉は届かない。ならばと、その日のうちに広島からバスに乗って祖母のいる出雲へ向かった。
祖母は笑顔で迎えてくれた。安心した。いつもの優しいおばあちゃんだった。久しぶりに世間話を楽しみつつも、時間が刻々と迫る。あの電話の内容が気になる。思い切って聞いてみた。
「私の新聞の連載の何が気に入らないの?内容?それとも単なる文章力?」
すると祖母は、答えた。
「どちらもね。」
いつもなんでも褒めてくれた祖母に直接否定されたことに驚き、涙が込み上げてきた。そして祖母は、私の目を見ることなく、私の記事について「恥」だと言った。
「あの記事のせいで私は恥ずかしくて近所を歩けない。どこへ行っても陰口を言われている気がする。だから、町内の役員やらいろんな仕事は全て辞めた。」
「弟の結婚に影響したら、結婚した妹の立派な家柄の親族の皆さんに知られたら、どうするのか。あなたを家族の一員ですと堂々と紹介はできない。」
「30過ぎた女があんな誰も幸せにしない記事を書くなんて。本当に恥ずかしい。」
そのほかに、離婚をしたこと、双極性障害で仕事を辞めたことなど、それらのことも全てにおいて、「一家の恥だ」と言われた。
涙が止まらなかった。身体中が痙攣して、言いたいことが言えなかった。でもわかった。よくわかった。私が小さい頃から、この家にいて窮屈だった理由が。いつもふと死にたくなったりする理由が。
「立派でなければ生きる価値がない。」
裏を返せばつまりこれがうちの教訓。ただ生きているだけでは許されないのだ。そして、LGBTQは、祖母の言う立派の枠には入れてもらえないようだ。
小さい頃からこの家に感じていた窮屈さに苦しみながらも、この家の考えに染まらずに生きてこれた自分を誇らしく思う。
家族にはもう期待しない。家族からの理解を得なくたって私は自由に生きられる。本当の自分で生きられるのは、家族が死んでからだと思ってきたけれど。もう気にせず好きに生きよう。家族が死ぬのを待たずとも、私は私の幸せを自分で掴むことにする。
とはいえ、85年も立派に生きてきた祖母を否定したいわけではない。祖母は祖母の考え方がある。違う考えの人がたまたま家族だっただけだ。わざわざ戦争なんてしなくていい。離れて暮らせばいいだけだ。
自分の持つ価値観が、知らずのうちに人を傷つけているかもしれない、そのことを忘れずに、常に自分の価値観を疑る心を養わなければと思った。
ありのままに価値がある。そう心から思える人間でありたいと思う。