LGBTQ事情#8 心の距離感が孤独を生み出す。
「『もしかして』と思う生徒がいて、その子に紹介したい本が山ほどあるんだけど。押し付けになってしまうでしょうか」
昨年10月、出雲市の平田高校で、ある先生から耳打ちされた。教職員対象の人権研修会でLGBTについて講演して、帰ろうとした時だった。
本を紹介することが押し付けになるのか、ならないのか。あの日から、ずっと考えていた。散々考えた結果、情けないけれど、私の答えは「分からない」だ。
私はLGBTQの当事者だけれど、ゲイやトランスジェンダーの気持ちは全く分からない。その生徒がどんな性的指向や性自認を抱え、果たして本当にそのことで悩んでいるのかどうかも分からない。「LGBTQだから、悩んでいる」と考えるのは、ちょっと待ってほしい。
LGBTQだからと、ばかにする人は少なくなったと思う。それはとてもうれしいことだ。半面「理解すべき!」という風潮のおかげか、傷つけるのが怖いからと、距離を置く人もいるような気がする。先生が私に耳打ちしたのも、距離を置くのとは違うけれど、近づいていいのかという迷いによるもののような気がする。
LGBTQ当事者といえど、みんな同じ人間だ。それだけが私を形作っているパーソナリティではない。好き嫌いが激しい、深く考えずにすぐに行動しちゃう、恋愛体質、などなど。そんな私のほんの一部のパーソナリティがXジェンダーであるというだけ。
それなのに少し前までは私自身がLGBTQを自分の弱みや恥だと思っていた。問題なのは自分の良さを認識できない「心の在り方」で、それはLGBTQ当事者だけの話ではなく、全ての人に言えることだ。
LGBTQを理解できないからと言って、かわいそうだとか、生きづらそうだとか、決めつけるのは違う。そういう先入観を取っ払ってみてほしい。もちろん、そんな風に悩んでいる人が多いのは事実。でも、悩んでしまう理由の一つに、当事者じゃない人の同情の目もあると私は思う。「かわいそうだから触れないでおいてあげよう」。そういう気遣いが心の距離となり孤独を生み出していく。
私がXジェンダーだとカミングアウトしたとき、「なにそれ! 超かっこいいじゃん!」と言ってくれた友達がいた。その子はXジェンダーのことは全く知らない。何も知らないのに肯定してくれたのだ。分からなくても、まるごと肯定してくれる。そういう人が、本当の理解者なんだと私は思いたい。
今年こそ、まずは自分自身の理解者でありたい。LGBTQは、かっこいい! 恋愛体質なところもかっこいいし、物忘れもかっこいい! 計算が苦手なのも、失言が多いのも、空気が読めないのも、こっそり鼻くそほじっちゃうのもかっこいいのだ!(本当にいいのか2021年笑)今年もこんな私と、このコラムをよろしくお願いします。
2021年1月5日火曜日
山陰中央新報 掲載分
写真 いしとびさおり