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LGBTQ事情#3 母へのカミングアウト

 母は、私をどう思っているのだろう。

 思春期真っ盛りの高校生の頃、自分の性別や恋愛対象のモヤモヤを母に話してみようとしたことがあった。私がボソボソと言葉を選び、迷っている中、母はこう言った。

「小さい頃は、性同一性障害を疑って、病院に連れて行こうか悩んだこともあったんだけど。最近は女の子らしくなって安心したのよ。」

 母はうれしそうだった。私は...とても複雑だった。母を安心させられたことは心からうれしかったが、本当の胸の内はもう話せないとも思ってしまった。

 女の子らしくなったんじゃない。制服のスカートを諦めただけだ。「女の子らしく」という言葉に疲れただけだ。そのことでいちいち怒りの感情が爆発しそうになる自分に、嫌気が差していただけだ。

 本心を語らないことで、母を安心されられる。それならそれでいい。しかし、母は、常日頃、こうも言っていた。「自分らしくありなさいね」と。これが私を混乱させた。

 作文で「楽しかった」と書けば、「あなたにしかできない表現を」と言われ、友達と同じことをしたがると「それは本当にあなたがしたいこと?」と聞いてくれる。小さい頃から「自分らしさ」について自問することは癖になっていた。

 母を安心させたい。だけど、自分らしく生きたい。そのどちらも母の言葉から思うことではあるが、それは両極端で、私にはどう考えても、どちらかを選べばどちらかを捨てることになるとしか思えなかった。

 そして今、私は、自分らしく生きることを選んでいる。つまり、母の安心は完全無視している状態だ。実際、母との関係は、良くはない。母を安心させようとすると自分の心がもたず、自分らしく生きようとすると母と衝突してしまう。

 友達や恋人、SNSでは、平気でLGBTQののとや自分の考えでいることを話せるのに、母とはうまく話せない。

 これまでLGBTQの話を、母をはじめ、親戚関係にしたことは一度もない。この記事を通して、話ができることを期待しつつも、心の中の多くを占めているのは恐怖心だ。叱られるだろうか、見て見ぬふりをされるだろうか、突き放されるだろうか。堂々と赤裸々に新聞に書いているくせに母にはビビっている、それが今の私です。


2020年8月4日火曜日
山陰中央新報 掲載分
写真 いしとびさおり

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