『認知症ヘルプマーク』。認知症が原因で亡くなった家族を受けて、開発された支援マーク。
こんにちは、翼祈(たすき)です。
9月16日は、「敬老の日」でしたね。去年もこの様な記事を書きましたが、今年も書きたいと思います。
総務省が総括した、2024年9月15日現在の人口推計で、65歳以上の高齢者は3625万人で、2023年から2万人増加し、過去最多となりました。
その高齢者の割合では、男性は1572万人、女性は2053万人となっています。
また、総人口に占める高齢者の割合も29.3%と過去最高で、男女別では男性が26.1%、女性が32.3%でした。
総務省が実施した労働力調査で仕事をする高齢者の数は、2023年、914万人と過去最多を更新しました。
男性が2023年から4万人減少し534万人だった反面、女性は5万人増加し380万人でした。
高齢者が仕事をしている率は25.2%で、4人に1人以上が仕事をし、この中で65歳から69歳が仕事をしている率は52%と半数を超過しました。
仕事をしている高齢者も多い中、気がかりなデータもありました。
厚生労働省によれば、仕事中の事故で亡くなったり、4日以上休む怪我をした60歳以上の高齢者は、2023年3万9702人と過去最多と、8年連続で前の年を上回ったといいます。
そして、労災による死傷者に占める60歳以上の割合は毎年、増加傾向で、2023年は29.3%とこちらも過去最高の水準でした。
労災は年齢を重ねるほど発生しやすい傾向で、60代以上と30代を比較しても、男性で約2倍、女性で約4倍発生しやすく、治療を受けるために休む期間も若い人に比較しても長引く傾向でした。
また、60歳以上の仕事をする高齢者の労災を種類別にみると、「転倒」が最多で40%を占めました。物に当たったことや、作業場にこぼれていた油や水、凍結した通路で滑ったケース、足のもつれでつまずいたケースなどが目立ちました。
続いて、脚立や足場から落ちるといった「転落・墜落」が16%、重い物を持ち上げる時に腕や腰を痛めたなどの「無理な動作・動作の反動」が11%となりました。
これらを受けて、
総務省は、
「労働市場の人手不足などで高齢者が活躍する仕事は増加しており、仕事をする高齢者の増加傾向は今後も続くと想定されています」、
厚生労働省は、
「年を取るにつれて一般的に身体機能が低下し転倒しやすくなる以外にも、特に女性は加齢共に骨密度が下がり、骨折をするリスクが高くなります」
と説明しました。
私の父も仕事をしています。母は働いていましたが、今は専業主婦です。
母は仕事をしていても、臨時での仕事の数年ごとの短期間の仕事のみに従事していたので、入って来る年金もとても少ないです。
私を産まなければもしかしたらそのまま正社員という立場もあったのでしょうが、母は「確かに入ってくる額は仕事をしていても少なかったよ。でも、自分がした選択がダメだったとは思っていないよ。今でもあれで良かったんだ、正しい選択をしたと思っているよ」と言っていました。
この記事では、高齢になると気になって来るのが、認知症ですが、母が、「こんなマークができたらしい」と、2024年8月下旬に教えてくれた内容を書いていこうと思います。
マークに気付いたら認知症の人に手を差し伸べてくれたらー。愛知県大府(おおぶ)市が、そんな願いを託した『認知症ヘルプマーク』を作成しました。周りの人が、支援しやすくすることがこのマークの狙いです。
認知症の父を鉄道事故で亡くした市民の提案に対応したもので、他の自治体にも利用を発信し、日本各地に『認知症ヘルプマーク』を普及させたい意向です。
今回は、一人の男性が、『認知症ヘルプマーク』を作ったきっかけとなる出来事について綴ります。
『認知症ヘルプマーク』が誕生するきっかけとなった出来事
画像引用・参考:認知症ヘルプマークを配布します! 大府市(2024年)
“認知症不安ゼロの街”の実現を目指す愛知県大府市では、認知症の人が地域で暮らす不安を少しでも軽減するために、認知症またはその疑い等で行方不明になる可能性がある人の情報を大府市に登録する「認知症高齢者等個人賠償責任保険事業」、「認知症高齢者等事前情報登録制度」を行っています。認知症に対する正しい理解を浸透させて、認知症の人やその家族を温かく助ける地域づくりに励んできました。
『認知症ヘルプマーク』は、認知症支援のシンボルカラーのオレンジに、黄色で認知症の人を、白色で支援する人がデザインされています。2024年4〜6月に、大府市がデザイン案を公募し、集まった293点の中から、岐阜県垂井町在住の大学生の女性の作品が選出されました。
大学生の女性は、「手を差し伸べる姿を抽象的にデザインし、マーク全体が笑顔に見える様に表現しました」と述べました。
大府市は9月21日の「認知症の日」に表彰式を実施し、2024年9月24日から希望する大府市内の認知症やその家族にパスケース(縦10cm、横6.5cm)に入れて無料配布をし、認知症の人が外出時に目立つ様に身に着けることで、街中で戸惑っていたり、夜遅くに1人で歩いていたりした時に、周りの人に気軽に声をかけて頂きたい狙いがあります。
大府市民に配布する時には、ストラップ部分は「黒」ではなく「白」になる予定だといいます。
『認知症ヘルプマーク』を作成したきっかけは、2023年、大府市に住む高井隆一さんが、「認知症の人が街で援助を受けやすくなる様に」と提案をしました。
『認知症ヘルプマーク』を提案した高井さんの父(当時91)は認知症で、2007年に一人歩きをしていた時に、JR東海の列車にはねられました。高井さんなどはJR東海から「監督責任」を問われ、損害賠償を求められましたが、最高裁で「賠償責任はない」との判決が確定し、それ以来、認知症の人などのために講演会を継続的に行っています。
一人歩きする認知症の人は一見すると分かりづらく、声をかけにくいといいます。講演では、連絡先を衣服に縫い付けることを提案していましたが、最近は「詐欺に悪用されるのでは」との懸念が持ち上がりました。思い付いたことが、妊婦のマタニティーマーク、障害を抱えている人のためのヘルプマークの様な「目印」を作成することでした。
参考:気がついたら声かけて 認知症の人のため、愛知・大府市が独自マーク 朝日新聞デジタル(2024年)
大府市は、高井さんの父の判決が出た後の2017年に日本で初めての「認知症に対する不安のないまちづくり推進条例」を制定し、認知症サポーター養成講座の開講や、認知機能などを検査する長寿健診を開催するなどといった、認知症支援を促進してきました。認知症サポーターを2万3千人養成するなどの施策に力を注いでいきました。
大府市は市の公式ホームページにて、「この『認知症ヘルプマーク』を認知症の方が身に着けることで、周りの人々が気軽に手を差し伸べられる支援の輪が日本各地に浸透できることに期待を込めています」と、『認知症ヘルプマーク』に関して発信し、認知症の人が安心して生活できる街づくりを発信しました。
2024年8月23日に『認知症ヘルプマーク』を発表した岡村秀人市長は、
「超高齢化社会を迎える中で、必要なマークだと考えています。それ以外の自治体にも発信し、『認知症ヘルプマーク』を使っても頂ける様に啓発したいです」
と語り、
高井さんは、
「認知症の人は外見からは判断ができません。『認知症ヘルプマーク』を形にできて嬉しく感じています。認知症の人との共生社会を構築するための第一歩となれば」
と期待を込めました。
『認知症ヘルプマーク』は、大府市役所の窓口で、1人1個を原則に無料で配布し、配布する対象者は「認知症高齢者等事前情報登録」を行ってる人で、「認知症もしくは認知症の疑いがある(若年性認知症を含む)、または障害者手帳を持っている」、「大府市に住民票があって居住している」、「行方不明になる可能性がある(歩いて外出可能な人)」の3つの基準を全てクリアしている人が対象です。
担当者によりますと、『認知症ヘルプマーク』は使用する人(身に着ける人)が大府市民であれば、大府市の事前登録を行った上、使用する人の“家族”に渡すことができて、大府市外に住んでいる家族でも、使用する人に渡すこともできます。
認知症の祖母のその後
私の祖母は、2024年6月から特養ホームに入寮しました。こちらでも、母の弟、私の叔父さんから、連絡がないと書きました。
それから1ヵ月以上経って、母に連絡があり、その当時の祖母の近況を聞きました。
祖母は、夜中に10回トイレに行くそうで、転倒防止などで、特養ホームの職員がトイレまで付き添うのですが、1回に200円で、1ヵ月で、入寮料以外にその分で、2万円取られるそうです。
2024年8月は、2万円が効いたこともあり、13万円以上入寮料がかかるなど、毎月大変高額な金額が出て行っています。
2024年9月中旬、叔父さんが母に、「お母さんの秋冬物を買いたいし、自分だけでは買いに行けないから、一緒に来て欲しい」と、私の住むところまで、私が仕事に行っている時に来ました。
2人で、「可愛いのが買えたね」と喜んでいたのですが、叔父さんが帰宅後ある問題が起きました。
それは祖母がコロナにかかりました。
祖母は特養ホームに入る前にデイサービスで、絵を描いたり、俳句を作ったりしていましたが、入寮後行けなくなって、デイサービスと特養ホームの職員との話し合いで、「生活にハリを出すために、デイサービスに行かせるべきだ」という結論に至って、行くことになりました。
そのデイサービスに行った時に祖母の横に座っていた人がコロナだと分かり、祖母も発熱したので、検査すると、コロナだと診断を受けて、隔離部屋に入れられました。
祖母は2023年も、デイサービスの横の人がコロナだと分かり、検査しましたが、その際は何も起きませんでした。
その時に祖母が特養ホームは二人部屋と知って、相部屋の人にもコロナを移して、移し合って、二人とも隔離部屋に入れられました。
何日か熱が続いたそうですが、今は回復したそうです。
母は叔父さんに、「一人暮らしの時にコロナにかかっていたら、どうしようもなかったけど、今は特養ホームの職員の人が、そばに居てくれて良かった」と、安堵しました。
しかし、コロナにかかる前に、気がかりな話を叔父さんから聞いていました。
「今は特養ホームは、終末期になったら、入寮ができなくなると言われて、その時には、またどこか探さないといけないと言われたよ」
と言っていたそうです。
「ようやくこの特養ホームで落ち着ける…」と、思っていたのに、そうはいかないことで、難しい問題だなと思いました。