インテグラル理論を使ったヒューマンシンギュラリティの起こし方について考えてみる。
歴史とインテグラル理論
歴史はインテグラル理論に則って動いてきた。
無色(旧石器時代)→マゼンダ(新石器時代)→レッド(農耕の始まり)→アンバー(文明の始まり、制度国家)→オレンジ(産業革命)→グリーン(IT革命)→ティール(Web3)という流れで変化してきた。
まず結論から言えば、この組織の発達段階の成長は時間軸に対し、指数関数的に推移している。これは実際の世界と対応しているのだ。今後シンギュラリティが起こることの予言にもなっている。
すると、こう考えることができる。科学技術や、世紀の大発明が世界を動かしているのではなく、発達段階が世界を動かしていると。
発達段階の変化は、心、行動、文化、社会を一変させた。
ということは
究極的に世界を変えるならば、究極の発達段階のチームを作れ。
究極的に世界を変えるアイデアを出すためには、究極の発達段階で考えよ。
ということになるのだ。
そうすれば、発達段階が世界を動かしているのだからその最先端に立つこともできれば、歴史を大きく動かすこともできる。
最低でも筆者が見る限りは、これよりも世界を大きく動かすような理論は見つかっていない。
このため、究極の発達段階の組織を作ることがスタートアップでの成功の秘訣とも言えるし、世界を変えることであるとも言える。
しかし、同時に重要なのは世界を変える上では高いほどいいというだけであり、生きがいほどに重要ではないということにある。
どのパラダイムで生きていた人の生きがいも尊重されるべきであり、世界を変えるという一つの目標を望むとき除いては、押し付けてはならない。
かえって、その健全な発達を抑制してしまうケースも多々あるからだ。
だからこそ、インテグラル理論は発達段階の成長よりも健全さに重きを置いている。押し付けることは本来タブーとされている。
しかし、世界を変えるという意味においては、この発達段階の究極を目指すことが近道であることは間違いないようだ。
その第一歩がティール組織であると言える。
そして、今回はそのために必要な突破口について分かりやすく説明する。
インテグレーティブ・シンキング
まず、世界を変えるということは、こう捉えることができる。
立方体のうち、ここで示すGの位置からAの位置に世界を移動させることだ。
これは普通に行えば、距離が3かかることになる。しかし、もしこれを統合すれば、√3に短縮することができるのだ。
このため、ある目標にたどり着くには、それを徹底的に因数分解し、その統合したことをすれば良いと言える。
矛盾するAとBではなく、その両方を取ったCを常に考える。こうすることで、それを達成するのに必要な距離を平方根に縮めることができる。
これをインテグレーティブ・シンキングと呼ぶ。
その極意は『知は広く広く、することは小さく小さく』だ。広く小さくより多く統合することで、この距離が平方根になる力を最大限に引き出すことができる。
しかし、これは究極的な発達段階にとってはまだ入口に過ぎない(ターコイズのブレイクスルー)。
そこで、この知は広く、広くを限界まで使い倒すことが究極的な発達段階へと至る道である。
つまり、全体性(ホールネス)を限界まで広くすることで、世界を変える思考を手にすることができる。
そこで、参考になるのがオムニバースだ。
世界を限界まで広く見るということは、オムニバース単位で考えるということになる。
これはどういうことかというと、全ての時間軸、空間軸、パラレルワールドを統合して考えよということだ。
統合していなければSFの話に過ぎないが、統合していればもちろんこのユニバースも含むのだから、実行可能な理論となる。
そこで、生じる三つのブレイクスルーが
「オムニバース・エントリー」「飽和的思考」「Being経営」の三つである。これは統合すれば、究極思考ということができる。
オムニバースエントリー
まず、世界を変えるには、最も世界を変えうるであろう可能性を持つ必要がある。少しでもその可能性がある状態にし、このエントリーを果たすことがオムニバースエントリーだ。
次に飽和的思考は、全ての時間軸、空間軸、パラレルワールドを統合して考えることである。いわば、物事の究極的な根底を考えることにある。そして、物事の限界まで根底を考えることこそが究極思考だ。
飽和的思考
そもそもこの組織の発達段階に歴史が支配されていることも、この時間軸の発想法によって考えることができた。
世界を一つの関数で考えることがこの飽和的思考の第一歩のようである。
しかし、これは実は逆に世界にとって足枷となっていた一面がある。
なぜなら、世界の学問のうち数学と物理学だけが圧倒的に早く進んでしまうことに繋がったからだ。
物事の根底を考える者は、どうしてもこうした数学と物理学にたどり着きがちである。多くの学者は、実際にそれが世界を変える方法だと信じていたし、実際にそれが世界を変えてきた。
しかし、「それ」はあまりにも数学と物理学に近いので、他の学問やアントレプレナーシップ(実践)に使うのが遅れてしまった。
実際、フランシス・クリックによるDNAの二重らせん構造の発見や、ジョン・フォン・ノイマンによるゲーム理論の発見などは、物理学者が生物学や経済学へ大きな影響を与えた例と言えるだろう。
つまり、逆に言えばこう捉えることができる。
これまで、非常に高い発達段階にあった者は物理学や数学の世界にばかり足を踏み入れていた。これらの研究では、今では発達段階だけではあまり力にはならない。
しかし、逆に言えばこれまで非常に高い発達段階にあった人がどうしても行かなかったような領域でこそ、先駆ができ、世界を変える可能性が秘められている。彼らは彼らで、高次の欲求に支配されていたのだ。
いわば欲求五段階説の先にある世界の欲求だ。
欲求10段階説:マズローの欲求五段階説の先を最終形態まで説明した説。生理的欲求→安全欲求→社会的欲求→承認欲求→自己実現欲求→自己超越欲求→創造体系欲求→創造理論欲求→理論統合欲求→究極欲求
という後半4つを説明する。これがインテグラル理論と対応している。
ようは、数学や理論に紐づけされ、世界を証明する欲求になっていたのだ。そこで、これを含んで超える思考が重要になる。
IDロジック
つまり、発達段階によらず人は欲求や生きがいに支配されているのだ。
そして、歴史が発達段階によって動いてきたのは、この生きがいと発達段階が密接にリンクしているからなのだ。
そして、人は生きがいの方が命よりも大切だと思い込んでいる(思い込みがち)から戦争をし、利益を追求し、ダイバーシティ&インクルージョンやSDGsを追求した。それが発達段階に対応しており、発達段階が高いとそれが数学や物理学に向かいがちなだけだったのだ。
だからこそ、この「①人間が生きがいに支配されている」かつ、「②自身の心を変えることは行動や社会を変えることよりも遥かに簡単」ということを知ることが、世界を変えるためには必要だ。
これをIDロジック(生きがいDependent logic)と呼んでいる。IDロジックは①と②の二つの意味がある。
Being経営
こうして、物事の欲求や価値順序を変更し、どうしても世界を変えたいと思うならば、それに最も向いたマインドセットになることが最初の一歩になるのだ。
つまり、こうと捉えることもできる。究極の生きがいこそが人間の最中心にあり、自身が仮にそれを否定するにしても、それと向き合う必要があるということだ。
そして、それを見つけるのがBeing経営だ。
これは、物事を動かすWhyよりもさらに中心にあるBeingを考えることを見つけ、これに向かって突き進むことである。
そして、その時に重要な思考はやはり価値順序の変更にある。
真のウォーターフォール思考
自分が世界の中から、最高のアイデアや生きがいを見つけ出すのはまるで無限の海を泳ぐかのようである。
そうではなく、究極の生きがいが自分を見つけるのだ。そして、そのことがヴィクトール・E・フランクルの名言で言及されている。
つまり、究極の生きがいが自分に何を望むかであり、究極のアイデアが自分に何を望むかを考えることで、それを得ることができるのだ。
こうすることで無限分の一に見えたものが、一分の一になる。
これは自分や自集団から離れ、世界の方から世界を考える世界的思考とも一致する。
そして、このBeingを貫く思考こそ真のウォーターフォール思考である。
セレンディピティや引き寄せの法則といったアジャイルな世界観から、ウォーターフォールな世界観に再帰するのだ。
発達段階の順序
ウォーターフォール→アジャイル→真のウォーターフォール
そして、マインドフルネスや瞑想がインテグラル理論の著書では推奨されているが、これも今一般的に言われるものは、アジャイルの世界観に過ぎない。いわば、ウォーターフォールからアジャイルに移行する期間に過ぎないのだ。
そうではなく、世界を探すのではなく、世界を拾ってくるセレンディピティやマインドフルネスがあるといえる。
問題は悟りを得ることではない。悟りを得た結果、何を考え、何をするか?なのだ。
こうして、究極の存在が自分に何を望むか?究極のイノベーションが自分に何を望むか?といった逆向きの方向から考える真のウォーターフォール思考によって、世界を変えるアイデアを生み出すことができる。
なので、ヒューマンシンギュラリティが我々に何を望んでいるか?これを考えることで、自ずとヒューマンシンギュラリティに近づくことができるのだ。
こうして、世界の発達段階を上昇させていけば、そもそも人間が欲求に支配されていたことの構造を知ることができ、戦争などを避けることもできる。
さらには、価値の部分だけで起こる不均衡な技術的シンギュラリティを避け、四事象全ての健全なシンギュラリティをもたらすことが人類を救うことになる。
不均衡な技術的シンギュラリティを避け、心、行動、文化を含めたヒューマンシンギュラリティを起こすことがこの文章の目的だ。
あとがき
しかし、このヒューマンシンギュラリティはまだ未完成である。個人の心についてのブレイクスルーはある程度説明できたものの、まだ行動、文化、社会についての言及は浅い。この四事象全てについて究極型パラダイムを説明することで、ヒューマンシンギュラリティの要素は揃う。
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