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日記

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#日記

『アンリアルライフ』クリアしたのでメモ

『アンリアルライフ』をクリアした。

1.
 ドット絵(ピクセルアート)は、ハードウェアの発色数や、解像度、容量などの制約があったおかげで生まれた。
 この制約は短歌や俳句などの定型詩に似ている。
 ドット絵の風景画では、同じような景色(たとえばビル群)が絶えず生みだされているけど、そのどれもが不思議と魅力をもっている。
 ノスタルジーという言葉はまだドット絵を捉えきれていないような気がする。たぶ

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2020.5.14(尾花仙朔にくらった)

 ツイッターに疲れてしまって主戦場をnoteにしようかといい感じのひとらをフォローしたり、頭がおかしくなって現代詩文庫などを60冊ほど馬鹿買いしてしまったのをときおりぱらぱらめくっている。そのうちに目がとまったのが尾花仙朔だった。やばいでこりゃ。
 とくに『春靈』はくらった。個人的な死とその虚しさと、歴史的にくり返されてきた(記録的な)死の虚しさが重ね合わされ、最終的に溶け合い、詩的・神的な地点に

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洗いたての枕カバー・外に出なくても暑い・夜の塩漬け

 暑い。日中は30度を越した。vtuberの配信を裏で流しながらか、気温のせいかわからないけど仕事のやる気がない。ウイルスのおかげでテレワークに移行できたひとは多いだろうけど、僕はそもそも在宅の仕事をしている。家で仕事なんてできぬぇというひとが多いのがおもしろかった。慣れだよ。
 起きたとき自分でも驚くほどの量の涎を繰っていたので洗っておいた枕カバーに交換した。いまからその枕で眠ることになる。窓を

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SENTIMENTALISM

 萩原朔太郎の「SENTIMENTALISM」を読んでくれ。
 朔太郎はここで神秘主義的なことを書いている。

 神とは詩である。多くの場合、感傷には理性がともなう。哲学者はその思想において、ときに詩のようなものを書くが、形骸ばかりで死んでいる。ここには生命も感動もない。理性が理性として在る場合、それは哲学であって、詩ではない。詩は感傷の涅槃においてのみ生まれる。そこには観念も、思想も、概念も、象

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黙っておく

窓硝子の曇りに言いたいことを書きつけて、隣にいるあなたの肩を寄せながら「これを読んでくれ」と言うとして、声を使って言うこととの違い、あるだろうか。勇気の問題だ。たとえばこうやって読まれもしない言葉を書き連ねるのはほとんど勇気のいらないことだ。遠いところから遠いところへ書くことは負荷がすくない。宛先のない詩も負荷がないはずだ。けど詩人は苦しむ。それはいちばん近い自分へ宛てたからだろうし、また、世界そ

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「リスナーさん」について(ガルラジを聞いて考えたこと)

 SNSでかんたんにつながれてしまう時代において、ガルラジはそのつながりかたやつながりの質においてかなり飛び抜けているように感じるのはなぜなのだろう。たとえば僕たちはアニメを鑑賞する。ツイッターで感想をつぶやく。フォロワーの感想も読む。でも、そのフォロワーたちへの仲間意識というか、おれたちはこのアニメを観ているんだぞ! みたいな気持ちを共有している感じはない。ガルラジにはそれがめちゃくちゃある。と

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2019-08-21-14:24

 集中力があっちにいったりこっちにいったりする。先月からとりかかってる仕事が思った以上の金銭を生みだすことを知って今月はその仕事を中心にして生活をしているけど『紙の民』をながら読みするために書見台を買ったらこれがいい感じで僕のような集中の対象が揺らいでしまうタイプの人間はなにかあればTwitterを覗いてしまうから机にはかならず書見台をおいておもしろい本を立て掛けておくほうがよい。僕のような人間が

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セカイ系を終わらせた『天気の子』についての覚書

『天気の子』はひじょうにわかりやすいテーマを伝えてきた。
奇跡には代償が必要である。
奇跡はひとを不幸にする。
世界に奇跡など必要ない。
世界は勝手に回ってるので、どうなろうが知ったこっちゃない。
狂ってるも狂ってないもない。
だから目の前のひとを精一杯愛すのだ。

もしこれが奇跡を賛歌する作品だったなら、帆高が陽菜を地上に連れ戻しても天気はそのまま回復したままだった、というふうにするだろう。

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2019-07-19-0:22

 これは誰かに読まれるために書いていない。
 こういったことがあったとき、なにかを言うことは非常に困難になって、賢ければ賢いひとほど、言葉にならない、と言ってしまうし、自分もそうやろうと思っていた。それじゃいけないというわけではないだろうし、たぶん最善の方法でもあるはずだ。
 とはいえ、わたしたちは、このような野蛮な行為にたいして、ただ耐える、という方法しか取れないのであろうか。海外ではクラウドフ

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ただ舞台に立ちたいだけ

『少女☆歌劇 レヴュースタァライト』が心に突き刺さってから十六日が経ったけど、日に日に僕のなかでこの作品の輝きが増していくように思われる。
 僕は小説を書く人間だ。なぜ書くのかというと、フィクションに呪われてしまったからだ。昔読んだあの小説、あの詩、それらがまだ心に突き刺さったままなのだ。だから僕はフィクションを書く。そうやって人生を生きるしかない。
『レヴュースタァライト』の少女たちも、演劇とい

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2019-02-19-17:13

 すこし前に、ワークチェアに坐ったままだと集中して本を読めないのではないかと思って、妹の使っていないソファを強奪してきた。(そのソファはずいぶん前に僕が使っていたものが妹のお下がりになったもので、けっきょくは僕の手元に戻ってきたことになる。離婚したあとに同じひとと結婚するひとがいるが、そのひとの気持ちがわずかながらにわかった気がした)
 ただ長いあいだ僕の部屋にはソファがなかったので、それに伴って

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2019-02-15-23:46

 昔、大学の通学手段としてロードバイクを父親に買ってもらったのだが、本来希望していたクラシカルな見た目のやつはダサいから買わないと言われててだったら不要だという感じだったのだが、父親はロードバイクに乗るので自分が認めるやつは買ってやろうってことで無理やりショップに連れていかれた。しかしショップに着いたら着いたでやっぱりケチ根性が湧いてきたのか10万円以内じゃないと買わないとか言い出しやがる。じゃあ

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レシート、ポリ袋、そしてチラシ

 盆が過ぎ、夏が終わる予感がしている。涼風が吹きつけるなか、自転車を駆り河原町まで秋を待つための本を買いに行った。自室の本棚にはいまだ読まれていない本がたくさんあるというのに、新しい本を買うというのか? そうだ。読みたい本は気分によって変わる。これはおよそすべての本読みにかけられている呪いだ。
 北から吹く風により、行きはたいへん楽だった。しんどいのは帰りだった。引きこもりがちだから体力もなく、自

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2018-08-04−23:00

 曾祖母の二十五回忌ということで九州まで来た。母は二十五回忌なんかないやろと言うので適当に調べてみると、二十三回忌と二十七回忌を併せてやるやつを言うらしくて、そんなものはないというのは半分くらい正しかった。
 来年の四月に妹が美容院に就職するので、九州に来れるのが最後になるかもしれないからレンタカーで九州に向かったのだ。いつかの日に(今はあんなひとのことなど思い出したくない)父親と母と妹と僕の四人

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