純粋に、清純に、素直に、穏やかに、心優しく、愛情深く、思いやり、恥ずかしがらず
君を縛りつける見えない鎖は何なのか。なぜそこまで頑なに何かを信じ続ける、何かと戦おうとする、なぜ誰かを拝み続けるのか。
誰の操り人形でもないなら、なぜ特定の思想主義の誰かを頑なに信じ続けるのか。
その行き着く先には何がある、自分が望む何かがそこにあるのか、それとも別な誰かの望むゴールのために、強い向かい風を受けながら前へ進もうと日々頑張ってるのだろうか。
自身が望む未来など、誰かが造った道には無くて、その道を造るのは自分自身の心。
蛇が這った後の獣道を歩いても行き着く先は光が届かない闇しかなくて、その先には必ず何かがあると信じてきただろうけど、それは最後まで進んではいけない危険な道。
誰かを信じるんじゃない、自分を信じればいい、誰かを信じるなら、その人の心の中に宿る愛を信じたらいい。
この心からの思いを伝えたい人はたくさんいる、みんな一生懸命でさ、深く考えてさ、自分の信じた何かを証明しようとして毎日考えて、考えて言葉を尽くしてる人ばかり。
知恵をしぼって、知識を培って、何かを突き止めようとして情報を探して、それは全て何かの思想主義が正しいと証明するために。
誰も間違ってなんかいない、それが正しいと、正解だと思ってきた、信じてきたわけだから、その信じたことを否定されるのは今までの自分を否定されるのと同じ。
それでも自分でいなきゃいけない、他の誰かとして生きていてはいけないんだ。
人生には様々な壁が立ちはだかって、もうそれ以上先に進めないなんて事はたくさんあるけど、立ち上がればその壁は打ち砕ける。
膝を抱えてうずくまっていてもその壁は消えてくれない。でっかくて巨大な頑丈な壁のように見えても、思いきってぶつかれば通り抜けられる壁。
引きちぎれない鎖は無い、抜け出せない檻はない。その鎖や檻は自分の心が作り出してる幻影、そんなもの己の力で消し去ることなんかいつだって自由にできる。消し去れないと思うから消えない幻、それが自分を支配しているディープステート。
病むなら上を見上げて笑えばいい、こんなちっぽけな自分がいくら悩んでも宇宙は無限にある。泣きたいなら大いに泣けばいい、泣けば泣くほどその心は浄化される、美しい涙は七色の光を放つ爽やかな洗浄水。
メシアは自分の心の中に宿る愛、ヒロイン、ヒーローは今を生きる自分、この世界の主人公は自分自身、誰もが自分の体を自分の力で動かせる。自分の力で声を発して、自分の力で口を動かし目を動かす。
他の誰でもない君が築いた遥か遠くまで続く長い道を歩き続けるだけ。それが自分の行きたい場所へと続く道、左右にゆらゆら揺れてもその道の流れに身を任せれば必ず行きたい場所へと導いてくれる。
他の誰でもない自分として今を生きる、誰かの道を歩かない、引っ張り込まれない強い心で真っ直ぐに前を見据えて、先に見える光だけを見つめ続け、後ろを振り返らず先を目指す、自分の行きたい場所へ、ゴールまで諦めずに。
誰かと同じじゃなくてもいい、普通や当たり前じゃなくてもいい、人と違ってもいい、誰かと同じ事をする必要なんかない、そこに羞恥心も承認欲求も何もいらない。
それが自分なんだから、胸を張って堂々と生きたらいい。
誰もがメシア、誰もがヒロイン、誰もがヒーロー、誰もが主人公。
この世界に脇役なんて1人もいない。だから誰かを信じ拝むことなんかやめたらいい、誰かを代役とする必要なんかない、自分が主役としてこの世界を生きるんだ。
それが、君が見つけた道。たった1つ、他には何処にもないオリジナルの唯一無二としてある自分1人で作ってきた道。
純粋に、清純に、素直に、穏やかに、心優しく、愛情深く、思いやり、恥ずかしがらず、真っ白な心で行きたい場所を思い描き、風が吹くまま気の向くまま、導かれし流れに身を委ねゆらゆらと左右に揺れながら、過ぎ去る闇を背にし、光の道をただ進むだけ。