見出し画像

短編文学的エッセイ 【グッドバイ、酒】

ある時期、僕は趣味を三つに定義していた。本、音楽、そして酒。この三つは互いに密接に絡み合い、特に酒がその中心にあった。酒を手にすると、文字が一層心に染み込み、音楽が豊かに響き渡る。そして、何気ない日常の瞬間さえも新たな色彩が加わり、楽しみが倍増するように感じていた。

酒は単なる嗜好品以上の存在だった。生活の一部であり、精神の支えでもあった。酒を飲むことで、自分が本当に「自分らしい」と感じ、日々の煩わしさから解放されていくような気がしていた。人生を豊かにするための燃料だと信じていたが、当然ながら身体には負担をかける。だからこそ、僕は健康に気を配るようになった。甘いものや加工食品を避け、野菜や良質なタンパク質を意識して摂取した。健康であり続けたいという願望もあったが、その根底には「もっと酒を楽しみたい」という思いが隠れていたのも事実だ。

この生活を続けることが、ほんの一月前までは僕の哲学だった。酒は僕の生き方そのものであり、もし酒がなければ、僕の人生の意味は失われてしまう。そんな思いが根強くあった。

初めて酒と出会ったのは高校時代のことだった。安物の缶チューハイを一口飲んだ瞬間、特別美味しいわけでもないその味が、なぜか僕の中の何かを解き放った。それ以来、友人たちと年齢を偽ってコンビニで酒を買い、公園で寒さに震えながら夜通し飲んだ記憶が、今でも鮮明に残っている。大人になってからは、飲む場所が居酒屋やバーに移り、一人で家で飲む機会も増えた。酒はいつも僕に安らぎを与え、単調な日々に意味をもたらしてくれた。

しかし、時折、僕の飲み方は激しすぎた。
何度も記憶を失い、周囲に迷惑をかけ、警察沙汰に巻き込まれることさえあった。怪我を負ったこともあり、何人かには深く謝りたいと今でも思っている。

ある日、僕は自問した。「果たして、酒は本当に必要なものなのだろうか?」答えは「否」だった。だが、それでも酒は僕に数え切れない楽しみを与えてくれた。酒を手放すことは、人生の喜びを失うことに等しいように感じた。しかし、振り返れば酒によって失ったものがあまりに多かった。中でも、最も大切だった人との別れは、酒が原因の一つだった。それが僕にとって最大の転機となった。もし今やめなければ、もう一生やめられないだろうと感じた瞬間だった。

実際、過去に僕はタバコをやめた経験があった。そのため、禁酒への自信がまったくないわけではなかったが、酒はタバコとは違った。もっと深く、生活のあらゆる部分に浸透していたのだ。

禁酒を始めて約1ヶ月が経つ。世間では「新しい習慣を身につけるには3週間耐え忍べ」と言われるが、禁酒に関してはその法則が当てはまるわけではない。今でも酒への欲望はふとした瞬間に襲ってくる。仕事を終えた時、家でリラックスしている時、食事をしている時、疲れを感じた時、そんな些細な瞬間に僕の脳は自動的に「酒を飲む」という選択肢を浮かべる。酒が僕の生活の一部だったからだ。それでも僕は何とか耐えている。今はノンアルコール飲料がその代わりになっているが、意外なことに、それだけでも気が紛れる。それでも、いずれはノンアルコール飲料さえも手放したいと思っている。

禁酒を始めてすぐに感じたのは、睡眠の質の劇的な改善だった。深い眠りにつけ、朝の目覚めが驚くほど爽快だった。目の下のクマも消えた。これまでは酒と健康的に共生していると信じていたが、実際には酒が最も重要な要素である睡眠を蝕んでいたのだ。そして、もう一つ予想外の変化は、財布を開く機会が減ったことだ。普段から無駄遣いはしない方だったが、酒を毎日買っていた出費がなくなり、これは想像以上に大きな影響をもたらした。

また、長い間、僕は酒を飲んでいる時こそが理想の自分で、冴えていて、リラックスしていて、何もかもうまく進むと思い込んでいた。しかし、その虚構を信じ続けることで、シラフの自分を否定することになっていた。シラフの時には集中できず、だらけたり、何もかもがうまくいかないと感じていた。だが、今ではシラフの自分こそが本来の自分であり、それでいいのだと思えるようになった。理想通りにいかないことがあっても、それを受け入れる方がよほど健康的だ。

禁酒して初めて気づいたのは、酒がいかに僕を縛りつけていたかということだ。今、酒のない生活でようやくそのことに気づき、自由を感じている。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?