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朝陽と乳白色の霧、光の中のディエン高原
INDONESIA
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ディエン高原、朝霧
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ディエン高原
拝啓
様
残炎のみぎり
暦の上では夏も終盤を迎えましたが、あなた様におかれましてはいかがお過ごしでしょうか
ここ海外から日本の報道を俯瞰していると、今夏の日本は
〈災害級の暑さ〉と、これまで見慣れない表現が多用された、最大級の黒い活字が躍る、例年にない猛暑が続いて——
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ディエン高原
わたしは今、Semarangから車で南へ約100km、霧に包まれたブラウ山の火口原、そしてサンスクリット語で〈神々が鎮座する山〉の意味をもつ、標高2,000mの<ディエン高原>へ来ています
ここ2か月の間に、週末を利用してSemarangから南下し始め
Bandungan、Ungalan、Salatiga、Soloと尺取虫のような小さな旅を繰り返して来ましたが、ここDieng Plateauがひとつの終着点となります
ここより南に下ると、世界遺産の街、Jogjakartaの
迷宮のような古都が広がりますが、昨年だけで三度訪れていることもあり、だからここ〈ディエン高原〉が南下の旅の最終目的地となるのです
<神々が鎮座する山>が最終目的地だとは、別に狙ったわけではないのですが、存外、なかなか悪くはないとは思いませんか
ひとりで悦にはいっています
——最も、次は北を目指すのですが
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ディエン高原、朝霧
ご承知おきの通りに、ここインドネシアは赤道に近い亜熱帯気候の国で乾季と雨期に分かれています
基本的に年中真夏で、平均気温も30℃以上はあるのですが、ここディエン高原の日中の気温は20℃以下、早朝は-5℃まで冷え込むという、にわかにここが本当に東南アジアなのかと疑いたくなるような
涼しく、そして冷たく心地のよい風が山々の間をさあっと抜けていきます
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ディエン高原、霧
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ディエン高原 棚田
ディエン高原の麓の小さな町、いや、正確には村である
Wonosoboは、まわりをとても美しい棚田に囲まれています
この穏やかな風景を、あなたにいったいどのような表現を用いてお伝えすべきなのでしょうか
この土地の棚田は、昔、大学生の頃に車で周回した九州の南部の田舎の風景や、ビジネスで訪れた東北の豊かな自然の風景の記憶を優しく想起させます
それはわたしが日本人なのだからでしょうか
それともこうした棚田の穏やかで素朴な景色は、かつて農耕民族であったわたしたち日本人すべての原風景として、DNAに記憶されているからなのでしょうか
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棚田
そして、冷たい風にあたりながらしばらく陶然と眺めていると、ただの美しい田園風景、だけでは収まりきれない微妙な感情が入り混じっていることに気がつきます
10年以上前に初めて手に取って読んだ村上春樹の小説
〈色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年〉に描かれていた一節を思い出さずにはいられません
おそらくは村上春樹の文学における重要なテーマとして繰り返し描かれている〈喪失と再生〉の物語の中で、ひとつの印象的、かつ象徴的な意味において、この物語のなかではフランツ・リストの〈ル・マル・デュ・ペイ〉
(「巡礼の年」)というピアノ曲がストーリーの中核に据えられ、ロシアのピアニスト、ラザール・ベルマンの耽美的な調べが、繰り返し物語の中で演奏されているのです
「望郷」や「郷愁」と解されるこのフランス語の曲名を、村上春樹は確かこのように少し踏み込んで解釈し、先鋭化させてわたしたちに伝えます
"Le Mal du Pays"
田園風景が人の心に呼び起こす、理由のない哀しみ
もちろんわたしは今、何か特定の哀しみに打ちひしがれているというわけはないのですが、まるで村上春樹のいう<理由のない哀しみ>の、あくまで表層部分を、指先でなぞるように理解できるような気が、不思議とこの風景を見ているとしてきます
田園風景が人の心に呼び起こす、理由のない哀しみ
おそらくは彼の文学が世界中のひとびとの心の深い部分で共鳴し、激しく揺さぶり続ける本質の一端には、重層的なストーリーとは対照的に、こうした意図的に華美性を排した、ありきたりのシンプルな言葉を重ねて用いることで、鋭くわたしたちの心を捉えることにあるのかもしれません
わたしは必ずしもいわゆる<ハルキスト>ではないのですが、彼の著作はいくつか読んでおり、彼の表現力の底のみえない奥深さでは、言葉を装飾したり意味深長な言い回しに書き換えることなどは造作もないはずだと、容易に思わせるからです
そしてなぜそれが、わたしたちの心を捉えるのか、ということについては、あるいはそれだけで本の一冊でも書けてしまうのかもしれません
——もちろん、わたしには書くことができませんが・・・
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それにしても残念なことに、同封させて頂いた写真はLAP TOPで加工したものなのですが、あるいは、そのような加工など必要なかったのかも知れないと今はいささか後悔している始末です
本当に美しい原風景が、ここディエン高原に広がっています
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ワルナ湖
美しい棚田を抜けると、最初の目的地である<ワルナ湖>が見えてきます
<WARNA>はインドネシア語で<色>を表し、なぜわたしがそのような専門的な知識を有しているかといえば、このシンプルで美しい響きをもつ単語は、じつはほとんど毎日のように仕事で使用しているからなのです
家具製造のひとつの、そして最も重要な工程がインドネシア語でいうところの、<WARNA>なのです
製品によっては日本から様々な形で送られてくる色見本を片手に、現地人へ塗料のミキシングの時点から立ち会って指示をだし、着色と乾燥を終えて再び色見本と現物を照らし合わせながら、細かな修正を繰り返して、家具の色は完成の道を辿ることになるのです
そうした確認の際は天候に左右される〈自然光〉の強弱の時間帯、太陽の角度も重要な要素となってくるのです・・・
<ディエン高原>行きを決めてから、ホテルをおさえ、Google Mapで周辺をざっと調べていたときに、この<ワルナ湖>が目に留まりました
もしやと思い、英語名を調べてみると<Colored Lake>と表記されています
さながら、日本語では<色彩湖>とでも訳すのでしょうか
そしてこの名をもつ湖は、まさにその名のとおりに太陽が昇るにつれて、あるいは、沈むにつれて、その鮮やかな色彩を、まるでわたしの可愛い姪の表情のように、豊かに変えてゆくのです・・・
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ワルナ湖
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ディエン高原 夕方
夕闇が迫ってきて、気温が一気に下がってきました
ホテルへ引き返し熱いシャワーで身体を温めることにします
ここ<ディエン高原>でホテルを探そうとするとき、この広いエリアには無数のホテルおよびロッジが点在していますが、それでも大きくふたつに分けるとすると、Guest Houseか、ここで最もランクの高い四つ星ホテル、のどちらかに限られるように思えています
今回は後者の四つ星ホテルに宿泊することにしました
以前、20代の終わりごろに、それまで勤めていた会社を辞め、東南アジアの長い旅にでたことがあります
福岡からフェリーで神戸に入り、そこからまたフェリーで中国・上海へ移動し、そのまま陸路で四川、南下して徒歩でヴェトナム国境を越えて、バスでヴェトナムの各地方都市を縦断する旅をしたのです
その旅においては、若かったとはいえ、とにかく経済的な制約が多く、だから各都市のGuest Houseに泊まっていました
あなたはこうした安宿、Guest Houseに宿泊されたことはないのかも知れませんが、宿によっては本当に素晴らしいのです
——それはまた、別の機会、あるいは帰国時に直接お目にかかったときにでもお話しさせて頂きます
ここで書き出すと、趣旨から大きく外れてしまい、それだけでこの手紙が終わってしまい支離滅裂な内容となってしまいそうです
とにかく現在は、20代の旅のように倹約に倹約を重ねるような経済的な余裕がないわけではないので、この素晴らしい眺望のホテルの角部屋の、なかなか仕上げのよいライティングデスクの上で、この手紙を書いています
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☆☆☆☆
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ディエン高原
さて、夜ご飯は何にしよう
お昼はディエン高原で兎の串焼きとミネラルウォーターだけだったのですが、ほとんど空腹は感じていません
いつの頃からか、週末に小さな旅をする際にはSemarangの歴史地区の酒屋で1本の赤ワインのボトルを同行させるようになりました
ここイスラム教徒の国では、教義で飲酒が厳しく禁じられているので、基本的に街中で酒類の調達が難しく、日本のように手軽にコンビニでは購入できないのです
加えて価格は日本の3~5倍・・・
最も安いフランス産の赤ワインの最安値は、わたしが知る限りで3,000円あまり
昨夜、今日のために買いに行ったのですが残念なことにそれは売り切れており、今夜は4,500円もした、(わたしのなかでは)高級ワインがお供なのです
とはいえ、あるいは日本では1,000円程度なのかもしれませんが
先に村上春樹の書籍のなかから、ラザール・ベルマンの演奏する<ル・マル・デュ・ペイ>を引用したせいか、ふと、久しぶりに聞きたくなり、LAP TOPで再生しながら部屋にあった安手の安直なグラスに「高級」ワインを注ぎ、一杯一杯を両手で包み込むように、大事に大事に飲んでいます
ここ<ディエン高原>、標高2,000mの夜はとても静かで、寒く、ひとりでは持て余すほどの広い部屋の中は、単音で片手で弾かれるというベルマンの耽美的な演奏しか聞こえてきません
さながらここはまるで、小さなコンサートホールです
電子書籍で膨大な数の様々な小説やノンフィクション、エッセイを持ち込んでいますが、このような寒い夜はソファにだらしなく寝そべって漫画でも読みながら、このまま食事はとらずにワインだけの晩御飯となりそうです
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歴代の”ジョジョ”の中で、最も好きなJoseph Joestar
”わたしは若い頃から作戦上逃げることはあっても、戦いそのものを放棄したことは決してない。
このまま・・・ガンガン戦うッ!!"
今夜はもう、かなり酔っぱらってしまいました
ボトルのワインが底を尽き、だんだん眠たくなってきたので今回はここで筆を置きます
日本の酷暑はまだまだ当面は続くのでしょうが
お身体だけはくれぐれもご自愛ください
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ディエン高原
追伸
近いうちに、Semarangから北東にあるKudusという小さな田舎町を訪れる予定です
ある祝祭が行われるとのことなので、一泊で計画を立てているところです
もしもその祝祭に合わせて訪れることができれば
次は、そのなかなか素敵な地名の響きをもつKudusから手紙を書いて送らせて頂こうと考えています
では
また
令和5年8月5日
Yukitaka Sawamatsu
ディエン高原
Liszt: Le mal du pays - Lazar Berman
【ラザール・ベルマン】フランツ・リスト「ル・マル・デュ・ペイ」
”巡礼の年”「第一年 スイス」
「僕がいつもうちで聴いている演奏とは、印象が少し違う」とつくるは言った。
「誰の演奏で聴いているの?」
「ラザール・ベルマン」
エリは首を振った。「その人の演奏はまだ聴いたことがない」
「彼の演奏の方がもう少し耽美的かもしれない。この演奏はとても見事だけど、リストの音楽というよりはどことなく、ベートーヴェンのピアノ・ソナタのような格調があるな」
Liszt - Années de pèlerinage. Première année: Suisse, Alfred Brendel
【アルフレード・ブレンデル】フランツ・リスト「ル・マル・デュ・ペイ」
”巡礼の年”「第一年 スイス」
長い時間ーどれほどの時間だろうー二人は身体を寄せ合っていた。
窓の白いカーテンは湖面を渡ってくる風に不規則に揺れ続け、彼女は頬を濡らし続け、アルフレード・ブレンデルは「第二年・イタリア」の曲集を弾き続けた。
「ペトラルカのソネット第四十七番」そして「ペトラルカのソネット第百四番」。
つくるはそれらの曲を細部まで記憶していた。口ずさめるほどに。
自分がこれまでどれほど深くその音楽に耳と心を傾けてきたか、初めてそれに思い至った。
二人はもう一言も口をきかなかった。言葉はそこでは力を持たなかった。
動くことを止めてしまった踊り手たちのように、彼らはただひっそりと抱き合い、時間の流れに身を委ねた。
それは過去と現在と、そしておそらくは未来がいくらか入り混じり合った時間だった。
二人の身体の間には隙間がなく、彼女の温かい息は規則正しい間隔をとって彼の首筋にかかっていた。
つくるは目を閉じ、音楽の響きに身を任せ、エリの心臓が刻む音に耳を澄ませた。
その音は突堤に繋がれた小型ボートがかたかたと鳴る音に重なっていた。
END