ガジュマルの樹の下の、麗しの花嫁
KOTA LAMA歴史地区ー
この地区にはほとんど毎週末に来ていることになる
古い歴史を感じる街並みは午前中の散歩に最適で、おいしいレストランもある
それに加えて、この地区には「酒屋」があるのだ
よく知られているとおりイスラム教のドグマでは飲酒が禁じられているので
日本や諸外国のようにコンビニで酒類を買い求めることができない
可能なのは市内の外資系スーパーや、数えるほどしかない酒屋のみで、その数少ない酒屋の一軒、〈Bottle Avenue〉という洋風の酒屋がこの地区にあるのだ
昨日、いつもどおり午前中にこの地区の入り口でドライバーに降ろしてもらい、カメラ片手に迷宮のような路地を縫って〈Bottle Avenue〉に向かっていると、いつもの、ガジュマルの樹が壁に絡みついている裏路地に差し掛かった
そこで目に飛び込んできたのはー
結婚式かー
しかも、披露宴直前の記念撮影会
20代の新郎新婦と思しき若い二人に、その友人たちと撮影クルーがいた
結婚式場が手配した撮影クルーなのだろうか
総勢で10名以上が新郎新婦を囲んでいる
先週ここではファッション誌のシューティングに偶然にも参加させて頂いたが、今週は結婚式か
この集団は通りを塞ぐように一群となって固まっていたが、邪魔をするのは忍びない
少し待とう
撮影がひと段落したらさっと通りを抜けようと考えていると、わたしに気づいた若いカメラマンが〈どうぞお通りください〉とジェスチャーで教えてくれた
カメラの前を抜けようと歩き出し、そのときふっと花嫁の姿を観ると・・・
心を奪われた
なんて綺麗な花嫁さんなんだろう・・・
肌がかなり白い
もしかしたらインドネシア人ではないのかも知れない
華僑・・・
そう、華僑だろうな
わたしは立ち止まり、肩にかけておいた一眼レフを指差しカメラマンに訊いてみた
ー”失礼なのは承知しているが、何枚か撮影させてもらってもいいだろうか?”
カメラマンは少し困惑して眉をひそめた
そのときはっと気がついた
許可を求める相手を間違っていた
わたしは新郎新婦に向かって、カメラマンにしたときと同様にカメラを指差しカタコトのインドネシア語で許可を求めると、その美しい花嫁が笑顔でこういった
ー”あなたはどちらからいらっしゃったのですか?”
それは思わず、口内で復唱したくなるほど綺麗に透き通ったような英語で
わたしが日本から来ましたと答えると、彼女だけでなく新郎の顔も輝いた
訊き返すと彼らは台湾人で、ここスマランに住んでいるわけではなく、結婚式を挙げるために、ここKOTA LAMA歴史地区に来ているらしい
台湾人かー
世界中を見渡しても、台湾人ほどの親日家はいないと聞いたことがある
そしてわたしは台湾には行ったことがない
ないが、台湾人にはいつも深い感謝と大きな敬意を抱いている
2017年にこの世を去った父が、最も愛していた外国が台湾だった
晩年の父は足を悪くし、外出の際は車椅子だったがその車椅子でも旅行に出かけたのが台湾だった
当時、わたしは仕事が忙しく、その家族旅行にはわたしだけ参加できなかったが、父と母、妹と弟の4人で何度か台湾を訪れ、その土産話を聞きに帰った実家では、父は台湾人の日本人に対する思いやりと親切さを熱弁していたのだ
いわくレストランの入り口では、店内からお店のスタッフが飛んできてくれて車椅子を押してくれたり
いわく頼んでもいないデザートがサーヴィスで出てきたり
いわく台湾人のCAがことのほか優しく世話を焼いてくれたり
いわくほとんど全ての台湾人が笑顔で親切にしてくれたり・・・
結局、新郎新婦側から快く許可をもらい、わたしも撮影に参加させていただくことに
しかしそこでは、カメラの調整や構図の判断は全く必要なかった
これだけ清楚で美しい人なのだ
ただシャッターを切るだけで、それだけで、もうその写真の「場がもってしまう」のだ
余計な小細工は必要ない
逆に、ややぶれていた方が臨場感があって良いのかもしれないし、たとえ画面の隅に彼女を捉えたとしても、おそらくは何かそこに物語が浮かび上がってくるに違いない
そう思わせる何かが、彼女の美しさの中には秘められているのだ
シャッターを切りながら、父の話をわたしのカタコトの英語で彼らに伝えると、彼はとても喜んでくれ、特に花嫁の顔が一段とパッと輝いた
プロのカメラマンはその一瞬を(おそらくは)完璧に捉えていき、現場は短い時間、白熱したものとなったように思えてきた
実際にこの場所だけ気温がやや上がったかのような錯覚があった
やがてヘアメイクのスタッフが花嫁に駆け寄り、撮影を一時中断すると、花婿とその友人1名がわたしの元へ歩み寄って来た
驚いたがその花婿はカタコトの日本語を話せ、日本語で〈アリガトウゴザイマス〉を繰り返し、その友人は何と先月日本に旅行に行ったらしい
しかも九州の
しかも福岡へ
その友人は日本語はほとんどできなかったが、英語で〈豚骨ラーメン、最高でした!!〉としみじみと語り、こちらもこちらで、ここはいわば〈沢松家代表〉として台湾人である彼らに〈御礼〉を言いつくした
ー”台湾にはまだ行ったことがないけれど、台湾人は皆さんが世界一の親日家で・・・父の代わりに御礼を言いたいのです”
やがて撮影も終わり、名残惜しくも踵を返そうとしたら、お色直しが終わって長く白いヴェイルを従えた美しき花嫁が振り返ってこういった
ー”サヨウナラ!”
その一瞬の表情こそカメラに永久に閉じ込めておきたいほど素敵なものだったが、そのときはすでにレンズにキャップをしてしまっていた
そして台湾語で〈どういたしまして〉って何というのだろうかと考えていたが、そんなことはいくら考えてもわかるはずもない
わたしは両手を大きく振り、300万回の投げキスで彼女に応えることにした