【読書記録】ニューロダイバーシティの教科書:多様性尊重社会へのキーワード
今回は、2020年に出版された村中直人著『ニューロダイバーシティの教科書:多様性尊重社会へのキーワード』(金子書房)の読書記録です。
本書の主たるテーマは、タイトルにあるように『ニューロダイバーシティ(Neurodiversity)』です。
「脳多様性」「神経多様性」とも訳され、近年ではビジネスや教育の領域でも注目されつつある「ニューロダイバーシティ」ですが、関連して語られるテーマや用語には自閉症スペクトラム障害(ASD:Autism Spectrum Disorder)やアスペルガー症候群(Asperger syndrome)、ADHD(注意欠陥多動性障害:Attention-Deficit/Hyperactivity Disorder)、学習障害(LD:Learning DisordersまたはLearning Disabilities)といったいわゆる発達障害圏(グレーゾーンを含む)の子どもたちや人々、「脳や神経由来の特性」の違いを示すさまざまな状態像や現象があります。
臨床心理士であり公認心理師の著者はこれまで、臨床の現場で発達障害圏の子どもたちと接してきた一方、一般社団法人子ども・青少年育成支援協会代表理事や当協会の運営する発達障害サポーター'sスクールの講師として支援者育成に取り組んで来られました。
また、2021年以降はNeurodiversity at Work株式会社の代表取締役を務め、ビジネスシーンにおける日本型ニューロダイバーシティの提唱と促進、そのための企業コンサルティングやエグゼクティブコーチング、研修・講演等といった活動までその取り組みを広げられています。
本書は、臨床の現場で発達障害圏の子どもたちの支援に取り組んでいた著者が出会った「ニューロダイバーシティ」という概念について、その誕生の背景から当概念に対する批判、社会的な意義や重要性、さらには「ニューロダイバーシティ」の概念がもたらしうる人間観、社会観のパラダイムシフト等について簡潔に紹介されています。
以下、本書を読んでの印象的な気づき・学びについてまとめていきます。
ニューロダイバーシティとは?
ニューロダイバーシティ概念の誕生
ニューロダイバーシティ(neurodiversity)とは、neuro(神経、脳)とdiversity(多様性)を組み合わせた造語で、1990年代後半に生まれたまだまだ新しい用語であり、概念です。
ジェーン・メイヤーディング氏(Jane Meyerding)は、1998年に『Thoughts on Finding Myself Differently Brained』というエッセイを発表し、その中でニューロダイバーシティ(Neuro-diversity)とそれに対比する言葉としてニューロユニバーサリティ(脳普遍性、神経普遍性:Neuro-universality)という概念について考えを述べています。
また、ジャーナリストであるハーヴェイ・ブルーム氏(Harvey Blume)は1998年、アトランティック誌にて『Neurodiversity On the neurological underpinnings of geekdom.』という記事にてニューロダイバーシティとギーク気質(オタク気質)の関連についての記事を公開しています。
また、社会学者であり、本人と母、娘もまた自閉症スペクトラムないしアスペルガー症候群当事者であるジュディ・シンガー氏(Judy Singer)は、1999年に『Why can’t you be normal for once in your life? From a ‘problem with no name’ to a new category of disability』という論文の中でニューロダイバーシティについて触れており、この論文はニューロダイバーシティ概念を世に広めるきっかけになりました。
なお、直近2023年辺りまでのニューロダイバーシティの概念の発展については、2024年の論文『The neurodiversity concept was developed collectively: An overdue correction on the origins of neurodiversity theory』にてまとめられています。
また、『ニューロダイバーシティの教科書』では特に、ジェーン・メイヤーディング氏(Jane Meyerding)の『Thoughts on Finding Myself Differently Brained』の中で語られているニューロダイバーシティ(脳多様性、神経多様性:Neuro-diversity)とニューロユニバーサリティ(脳普遍性、神経普遍性:Neuro-universality)という言葉で表される人間観、世界観を強調しつつ、紹介されています。
ニューロダイバーシティの意味、意図
本書におけるニューロダイバーシティの意味、意図は、本書の帯に書かれている以下の表現に端的に表されています。
先述したニューロダイバーシティという概念の誕生はインターネット技術の発展により、当事者同士が時間と場所を越えて交流できるコミュニティでのやりとりが可能になったことで生まれてきました。
また、近年の脳・神経科学研究の発展、特に脳の画像化技術の発展により、人体最後のフロンティアとされた脳という器官の働きが以前よりも明らかとなり、先述のニューロダイバーシティの概念が脳というハード面の知見から補強される環境が整いつつあります。
脳・神経学的な観点からは、少数派とされる自閉症スペクトラム障害やアスペルガー症候群、ADHD、学習障害といったいわゆる発達障害圏の子どもたちや人々と、定型発達、健常者、神経学的定型(ニューロティピカル:neurotypical)などと称される神経学的多数派の違いとは、脳や神経という器官において優位に働きやすい部位の違いによって引き起こされる認知、行動の違い、と考えることができるということです。
ニューロダイバーシティは、それを提唱した自閉スペクトラム当事者にとどまらず、発達障害をはじめとする生来的なニューロマイノリティ(神経学的少数者)を対象とするだけではなく、ニューロマジョリティ(神経学的多数派)を自認する人を含む、あらゆる人の脳や神経に由来する特性の多様性を対象とする考え方であるというのが、著者のスタンスです。
ジュディ・シンガー氏(Judy Singer)のブログサイトから引きつつ、著者は以下のような表現も紹介してくれています。(現在はジュディ・シンガー氏のブログサイトの内容が更新されているようです。詳しくはこちらから)
ニューロダイバーシティとニューロユニバーサリティ
ニューロダイバーシティな人間観に立った時、そもそも「障害」とは何か?という問いに突き当たります。
私たちはみんな、脳神経学的な働きに由来する個人レベルでの様々な特性の違いを有しており、人間関係や物事の捉え方に関して心地よいと感じるポイントや注意の向け方が異なっているという意味で、一人ひとりが尊重されるべき多様性を有しているとも言えます。
一方で、神経学的少数者である発達障害圏の子どもたちや人々には、学校生活や職場において支援や配慮を必要とする場面も見受けられます。
このような状態はなぜ起こるのでしょうか?
著者は「翼が生えた人がスタンダードな世界」という喩え話を本書中で紹介しています。
翼が生えた人が当たり前の社会において、翼を持たないあなたは「飛行障害」を抱えている存在となります。
また、翼の生えた人が当たり前の社会では空間の使い方にも独自の文化が育まれることが考えられ、天井近くまで収納スペースを設けたり、そもそも階段のない建物というものも考えられるかもしれません。そして、翼のない人にとって酷く不便に感じる環境が作られることとなります。
こうしてみると、「障害」は自身の持つ特性とは別に、周囲の環境との関わりの中で発生するものであると考えることもできます。
私たちが生きる現代社会では、働き方、家族などにおける様々な仕組み、制度が社会の多数派、より具体的には成人男性の存在を基準として設計されていたり、教育においては脳神経学的に多くの人は同じような存在であると考えるニューロユニバーサリティ(脳普遍性、神経普遍性:Neuro-universality)な人間観に基づいてカリキュラムが設計されていることも見えてきます。
ニューロダイバーシティに基づいた視点を持つことは、「障害」をある個人を対象とする個別具体の現象としてではなく、個人と仕組み・制度・価値観とのミスマッチや齟齬というより広い視点や、システム的観点から捉え直す試みと言えるでしょう。
ある研究者は自閉スペクトラム障害(ASD:Autism Spectrum Disorder)を自閉スペクトラム状態群(ASC:Autism Spectrum Conditions)に呼び替えて表現しようとするなど、近年では障害(disorder)を状態群(conditions)へ呼び替える動きも起こっています。
ニューロユニバーサリティな人間観からニューロダイバーシティな人間観に立ったとき、どのような社会・制度づくりを考えていけるか?
このようなテーマを、本書に関心のある方と深めてみたいですね。
国内におけるニューロダイバーシティの広がり
現在は世界的にDEI(Diversity, Equity & Inclusion)の気運が高まり、企業でも多様な人材が多様な働き方を選択できる環境づくりが求められています。
こういった背景を反映し、2022年4月に経済産業省は『ニューロダイバーシティの推進について』を発表し、その中で「発達障害のある人が持つ特性(発達特性)を活かし活躍いただける社会を目指します」と言及しました。
これ以降、ニューロダイバーシティの名を冠した雇用促進、採用、部署の配属などに関する取り組みも多く紹介されるようになりました。
一方で、経済産業省の発信やそれに伴う様々な施策が「企業活動や経済成長に繋がらない特性は尊重しない」「企業活動や経済成長を第一義とする、手段としてのニューロダイバーシティ促進」というメッセージとならないか、注視していきたいものです。
また、先述した教育におけるニューロダイバーシティの促進に関しては、本書『ニューロダイバーシティの教科書』の著者・村中直人さんによる新著『ラーニングダイバーシティの夜明け:多様な学びを選択できる教育のために』(日本評論社)が2024年8月に出版されています。
『ラーニングダイバーシティの夜明け』では、子どもたち一人ひとりが自身に適した学び方を学ぶこと、自身に適した学びを選択すること等に関する論稿が収録されており、その中でニューロダイバーシティに関する言及もされています。
ご関心のある方は、ぜひ『ラーニングダイバーシティの夜明け』もご覧ください。
終わりに
以上、『ニューロダイバーシティの教科書』を読み終えての気づきや学びについて印象的だった事柄を、新たに調べてみた資料も含めてまとめてみました。
私自身がニューロダイバーシティに関心を持つきっかけとなったのは、京都市北区の放課後等デイサービスそらいろチルドレンのスタッフとして子どもたちに関わっていたこと、また、その放課後等デイサービスの運営法人の理事を務めていたことがきっかけです。
放課後等デイサービスにやってくる子どもたちと遊ぶ中で、大人の中にある支援者・教育者としての偏ったレンズを通して子どもたちを見るのではなく、子どもたちの置かれた環境や視点から物事を見ることの大切さや、一人ひとり異なる特性を持つ中でいかに仲間として尊重しあえる場づくりを行うか?を学ぶことができました。
また、保護者の方や学校の担任の先生とお話しする中で、複数の関係者といかに大切にしたい支援観や教育観を共有し、地道なつながりを紡ぎ続けていくか?についても日々考え、向き合うこともできました。
この頃に学び、大切にしたいと感じた人間観は今も私の中に息づいており、それは子どもたちに対してだけではなく、仕事上で関わる皆さん、プライベートで関わる家族や友人に対しても同様です。
また、私は同じく京都を拠点とする場とつながりラボhome's viという団体において、学びのワークショップ運営や企業研修の場でファシリテーターを担うなど、対話の場づくりを行ってきました。
この、home's viでの活動で培った一人ひとりの存在を大切にし、共に新しい未来をつくりあげる仲間として捉える場づくりの考え方もまた、本書の語るニューロダイバーシティの人間観や、そらいろチルドレンで大切にしたいと感じた価値観と親和性を感じます。
家族、組織、コミュニティ、社会……いずれも、ある価値観や考え方をもとに制度設計が行われ、そこに参加する人々は制度や仕組み、その背景にある考え方や価値観に影響され、うまく順応し活動する人、どうしても合わず不調に陥ってしまう人などが現れます。
そのような時に私は、企業であれば経営陣やマネージャー層を対象にこの組織において大切にしたい価値観や考え方は何か?そのための組織設計はどのようなものが考えられるか?を問い、ワークショップ等であれば提供する自分自身の価値観や考え方を問い、その場の目的に沿った形や、可能な限り多くの人の知見や思いを反映し、創造的な機会とできるように働きかけてきました。
こういった経緯からニューロダイバーシティに関心を持ったわけですが、本書『ニューロダイバーシティの教科書』は私自身のこれまでの取り組みにとっても重要となる知見や、まだまだ十分に深められていなかった脳・神経系からくる人の特性や多様性について考える機会を提供してくれました。
本読書記録をきっかけに『ニューロダイバーシティの教科書』を手に取られた方や、もうすでに読んだことがあるという方がいらっしゃれば、ぜひ一度本書からの学びや興味関心について対話できると嬉しいです。