2022年4月の記事一覧
ゆらゆら帝国と神経症
90年代に最盛期を迎えた日本のロック音楽に関して重要なことのひとつは、それは背景に、社会の神経症的な感性、ようはイライラ感を持っていたということだ。時代全体が不安で神経質に傾いていたことが、ロックンロールのカッコ良さに結びついている。ギターには殺意が宿っていて、リスナーは熱狂した。バンドも観客も狂気的だった。
ロックバンドは、存在自体が矛盾している。ヒリヒリとした佇まいでデビューしたバンドも、そ
「批評」対「共感」、「お笑い語り」
議論vs非議論、というようなことを昨日また書いたら、今日速水健朗さんの記事を遭遇した。
ここでは議論vs非議論という対立軸は、「批評」対「共感」として表現され、さらにそれは「解釈」対「経験」の対立だと論じられている。
経験則というのは個体差や誤りも多い。感情は流されやすい。個々人の経験を精査・検証し、普遍的で再現可能なものにしたのが科学であり、人文知だ。そしてその精査の作業こそ、批評であり議論
うちの会社は急に給与体系が変更になる。
うちの会社は急に給与体系が変更になる。勝手に。基本的には営業会社なので、売上金額○○円にたいして△△円がお給料になりますよ、とか、入金額のうち××パーセントがお給料ね、とか、売上歩合のパーセンテージの部分が変更になる。勝手に。この変更でノルマは上がるけど、その分売上をあげればお金稼げるようになりますよ、あなたたちのためなんですよ、という建前で。勝手に。
金額変更は突然やってくる。というか雑に。紙
《多様性》を認めるとは
多様性のことをときどき考えるのだけれど、ちょうどいつもブログを拝読しているやひろさんが、多様性についての投稿をされていた。整理された丁寧な文章だったので、そして自分の例ばかり書くのもつまらないので、今日は引用からはじめる
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「多様性を認める」という言葉が世間で頻繁に唱えられている。私たちはつい、《多様性》という見慣れない語のほうに気を取られてしまうけれど、私はこの流行語の核は「認める」のほう
議論vs非議論、より失礼に言えば、対話vs非対話
これは予感にすぎないのだけれど、ここ数年のネット論壇における対立というのは、議論vs非議論、より失礼に言えば、対話vs非対話、ではないだろうか。
そしてそれは、ポピュリズムの暴走ともいえる。以前は政治もジェンダーもいわゆる学者の議題で、一般市民には縁遠かった話題だけれど、それが市民に降りてくるときに、キッチュ化というか、変形して降りてきたのだと思う。
建設的に、社会全体が(一応)取りこぼしなく
労働はおしまい!!!!帰るわよ!!!!!
今週一週間は本当にしんどかった。胃痛で二度遅刻をし、重い身体でなんとか業務を乗り切った。頭は重く、胃が常にジンジンと痛むのでコーヒーも飲めない。頬杖を突き続け、ため息をはき続け、なんとか始業時間まで耐え抜いた。スコアレスドローを目指す弱小チームのような戦い方だった。
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不調の状態に入ると、仕事のパフォーマンスが落ちる。苦手なことからできなくなっていく。自分の場合には、それは相談することだと痛
「生娘シャブ漬け戦略」
「生娘シャブ漬け戦略」という言葉が事件を起こしている。ふだんからインターネット上の炎上騒ぎに流されないよう心がけているものの、昨日のこの一件は謎の腹立ちを覚えて、なぜなのだろうなぁ、と今日は一日ぼんやりと考えていた。
事件のあらましを説明する(どうせ話題はすぐに収束していくだろうから記録用に)と、某牛丼チェーンの取締役社員が、大学での社会人セミナー内において、若い女性向けの販促戦略を「生娘シャブ
いつでも売れる準備をしておく
20代も末になってくると、まわりは転職の話ばかりになる。夢を追い続けるか考えたり、新天地に飛び込むリミットを感じたりする。かくいう私は週末に仕事で大きめのヤラカシをして憂鬱な週末を過ごしていて、向いていないから転職をしたい的な弱音を親しい人に漏らしていた。情けなく慰めの言葉を摂取しているとき、ふと昔聞いたある格言を思い出した。
それは【いつ売れてもいいように準備しとけ】という言葉。若手芸人界で頻