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議論vs非議論、より失礼に言えば、対話vs非対話

これは予感にすぎないのだけれど、ここ数年のネット論壇における対立というのは、議論vs非議論、より失礼に言えば、対話vs非対話、ではないだろうか。

そしてそれは、ポピュリズムの暴走ともいえる。以前は政治もジェンダーもいわゆる学者の議題で、一般市民には縁遠かった話題だけれど、それが市民に降りてくるときに、キッチュ化というか、変形して降りてきたのだと思う。

建設的に、社会全体が(一応)取りこぼしなく前進していくために不可欠だった作法のようなものが、零れ落ちているように感じる。



で、こっからは余談。

なんとなくだけれど、スマートフォンの画面を触っているときの私(もしくはヒト全般)は、「お客様体質」に近いように思う。たとえば今日はポメラではなくiPhoneで文章を書いているけれど、一応サービスの提供側(それも意識は限りなく低いのでなんともいえないが)ではあるけれど、それでも起動や反応が遅ければイライラするし、それがひどければコールセンターに客として電話をかける。紙に書くときにはそれは無い。(ポメラはその中間)

Twitterなんかも、結局は付き合い方を工夫しながら「楽しく」使うことを目指すし、バカなアカウントにイライラしたりもするけれど、基本的には義務なく振る舞う。困ったら黙っちゃえばいい。

Twitterなんかも、結局は自分が気持ちいいことを投稿するだけだし、目に入る情報なんかも適度に制限する。そうなれば当然、情報は基本的に新聞から仕入れて、大学教授のような専門家がコメンテーターとして発言していた頃の論壇とは、話の結論も、そもそもの話のかたちも違ってくる。

どう話を進めるべきか、どのように結論が導かれるのが適切か、ということが考えられないと、本来はいけないと思う。でも、そんなの関係なく進んじゃうのだろう。

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