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「生娘シャブ漬け戦略」

「生娘シャブ漬け戦略」という言葉が事件を起こしている。ふだんからインターネット上の炎上騒ぎに流されないよう心がけているものの、昨日のこの一件は謎の腹立ちを覚えて、なぜなのだろうなぁ、と今日は一日ぼんやりと考えていた。

事件のあらましを説明する(どうせ話題はすぐに収束していくだろうから記録用に)と、某牛丼チェーンの取締役社員が、大学での社会人セミナー内において、若い女性向けの販促戦略を「生娘シャブ漬け戦略」と喩えたほか、「否かから出てきた右も左も分からない女の子を無垢・生娘のうちに牛丼中毒にする、男に高い飯を奢ってもらえるようになれば、(牛丼は)絶対食べない」などといった差別発言し、SNS上で炎上騒ぎになったというもの。

翌日、所属企業や講演の企画元はこの取締役を容赦なく切り捨てたので、騒動はすぐに沈静化されるように感じる。自分の中の溜飲もあっさりと下がった。




あえて下品な話題を連続させると、先日性愛に関する座談会の記録を読んでいたとき、とあるAV監督が「監督自身が勃つ作品を撮らなきゃダメだ」ということを言っていた。監督が本当に興奮している映像でなければ、エロティシズムは視聴者に届かない。ステレオタイプなAV風の演出は、綺麗で味気ない映像にしかならない。これは、男性の方ならば感覚的に理解してもらえるものだろうか。

AV制作に限らず、いわゆるクリエイティブと言われているような業界であれば「寄せる」「寄せない」という問題から避けることは出来ないだろう。クリエイター自身の美学と、観客のリテラシーを交わらせ、客をどこまで信じるか、正解のないさじ加減に、いつまでも頭を抱える。ただ、その苦悩があるからこそ、鑑賞者は作家をリスペクトし、作品を大切に扱う。



私が今回の騒動ですごく残念だったのは、(下品な表現を借りれば)自分が「勃たない」商品を、恥ずかしげもなく販売していることが明かされてしまった点だった。牛丼という商品を、自分も食べる「食事」としてではなく、自分は決して食べない「餌(=シャブ)」のように認識していることの差別意識に、腹が立っているのだと思う。

どんな業界も客を「信じる」気持ちがなければ堕落していく。食事の楽しさが完全にビジネスとなりきることはなく、エンタメや芸術に近い要素は必ず残る。作り手の心意気を信じて足繁く通う心情を、あたかも薬物の依存症状のように見下していたことに、私は失望してしまった。

クリエイター的な感性はどの業界にも広く欠かせないものではないか。今日は正論めいたことを言って恥ずかしい。

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