「運」をどう味方につけるべきか? 「運のせいにする」というメンタルケアの工夫とは
「これは単に運が悪かったのかも・・・・」
仕事やプライベートで、取り組んだことがうまく行った時には「運が良かった」、うまく行かなった時に「運が悪かった」、こんな風に考えることがあります。
「運」というものは、なかなか捉えどころがないものでもあります。我々はこの「運」とどう向き合うべきでしょうか。
自分の思考と行動をうまく整える上での「運」との向き合い方を考えます。
「運」とは
そもそも運とは何でしょうか。言葉の意味としては辞書にはこのように記載されています。
【運】
1.人の身の上にめぐりくる幸・不幸を支配する、人間の意志を超越したはたらき。天命。運命。
2.よいめぐりあわせ。幸運。
「人間の意志を超越した」もの、つまりは人の努力でどうにかなることではない領域の事柄ということですね。
うまくいったら「運が良かった」、うまくいかなかったら「運が悪かった」、このように「運のせいにする」ことに対して、我々はあまり好ましい態度ではないように考えてしまいます。
特に仕事では「運が悪かった」と考えるのは思考停止とも捉えかねません。原因と結果の法則という観点で見ると、うまく行っても、うまく行かなくても、それにつながる原因があるのではないかと考えるのが一般的です。
しかし、ここに対して「ホンマでっかTV」でおなじみの心理学者の植木理恵先生はインタビューの中で、「特に日本人は努力を重視しすぎ」だと説明されています。日本人が持つべきメンタリティとはどういうものでしょうか?
変化する「運」にウェイトを置く
植木先生は自身の著書の中で「運のせいだと思い込む人ほど成功する」という考え方を語られています。この考え方の元になっているのはワイナーという心理学者の説です。
人間は何かがうまくいかないというときに、「なぜ?」という問いを必ず心の中で立てます。そのうまくいっていない事柄の内容によって、その要因はいろいろ考えられます。しかしワイナーの考え方によるとそれらは大きく4つに分類できるといいます。
Q1.自分の内的なものであるか、そうではないか
Q2.可変的か、そうではないか
上記の問いのそれぞれを縦と横に2つの軸で整理すれば4象限に分けられます。人の行動はすべてこの4象限のどこかに分類されます。
そこで「運」に関係するものはどこに分類されるのか。例えば、朝のワイドショーで「今日の占い」を見たとします。これはQ1としてはテレビから流れて来る情報なので、「自分の内的なものではない」です。そしてQ2としては今日は「大吉」でも明日は「凶」かもしれません。つまり「可変的なもの」と言えます。
つまり、運とは「自分の内的なものではなく、かつ可変的なもの」であるわけです。言い換えれば、「自分のことじゃなく、コロコロ変わるモノ」ということです。まず、世の中にはこうした領域の事がある、と知っておくことが大切です。何かよくない出来事に巻き込まれた時に、「自分のせいかも?」「あの人のせいかも?」と原因や犯人捜しをしがちですが、そこに類さない領域の出来事がある、と知っておくことで、ムダに悩まずに済みます。
そして「自分のことじゃなく、コロコロ変わるモノ」にウェイトを置くことは実はメンタルにとってとても良い事だと植木先生は言います。周りを見渡すと、非常に過酷な境遇に置かれていてもケロッとしている人がいます。こういう人は何か悪いことが起きても「今回は運が悪かっただけ」「次はうまくいくって」とあっけらかんとしていたりします。心配性な人やネガティブに考えがちな人からするとうらやましいとさえ思いますが、その裏にはこうした思考が下支えしているのかも知れません。
一度「運」のせいにしてみる
日本人は勤勉な国民性を持っています。努力が大好きな人の集まりが日本という国です。学校でも職場でも、上の人は「努力をするように」教育します。これは家庭でもそうかもしれません。
一方で、努力をしてもうまくいかない時もあります。その時は精神的にかなり追い詰められるきつい状態です。「自分の努力が足りなかったんだ」と原因を自分に置いて、反省して努力をし続ける人は、素晴らしいメンタリティを持っている人ですが、そのプロセスは自分の心をすり減らすものであり、決してハッピーな状態とは言えません。
また「自分の内的なものであり、かつ可変的ではないもの」の中には、才能や、身体的なものや、ルックスなどが挙げられます。自分のことだけど、遺伝的に決まっておりどうしようもないこと。ここに原因を見出してしまうと、逃げ場がありません。ただただ絶望し、辛い想いをしてしまいます。
こうした自分に矛先をむけるばかりではなく、時には自分で全てを背負わずに、一旦「運」のせいにしてみるのがよいのではないでしょうか。大切なのは気持ちを切り替えて次はうまくいくようなアクションをなるべく早くとっていくことです。そう考えると、原因探し、犯人捜しを自分に向けてやっている間は気持ちは切り替わらずに次の行動がとれない時間が続くということです。これは誰の得にもなりません。
一旦「運」のせいにして、「次はきっとうまくいく」と気分を変えることで、「うまく行くためにどうすべきか?」と前向きな思考とアクションにつながっていきます。
もちろん、ずっと運のせいにし続けてしまうとそれこそ思考停止の状態となりますのでよろしくありません。チャレンジの無いところに成長はありません。一旦「運」のせいにすることで、次のチャレンジを素早くできる人が結果的には強い人生を歩んで行けるのだと思います。この「一旦」というところがポイントだと思います。
まとめ
「運」は自分ではどうにもならない捉えどころのないもののように思います。そして悪いことが起きた時に「運のせいにする」というのは、ある種の逃げのように感じたり、責任回避、思考停止と思いがちです。
しかし、自分を取り巻く出来事の中には「自分の内的なものではなく、かつ可変的なもの」という領域の事柄が確実に存在します。そんなことにまで「自分のせいかも?」と思っていては自分をすり減らすだけです。
何かに失敗してしまった時に「今回は運が悪かったから」と、まずは一旦運のせいにしてみましょう。そうすることで、メンタルの安定を図ります。そして、「次はきっとうまくいく」と目線を未来に向けて、次への努力や、やり方を考えるなどのアクションをとっていきましょう。
改めて「運」も使い方しだいだなと思います。
時には「運」を利用し、踏み台にし、前向きに自分のマインドセットを導いていけたらいいですね。
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