いかにお金を稼ごうが偉そうな肩書を持ったとしても手に入らぬのが不老不死!
古今東西、富や権力を手に入れた者たちが抱くこの永遠の命題を覆し、不老不死を手に入れたものは誰もいない。
生者必滅会者定離。
生あるものは必ず滅びていくのが定めというもの。
同じように出会えたものもいつかは離れていくという定めに縛られる。
たしかに不老不死を望めば、それは無理な話になるのだけど、健康寿命を少しでも先延ばししたいというのなら、叶えられる時代になりつつある。
人生100年時代がやって来るとか、もはや100年の寿命を考慮して生活設計をしておくべきだという話もよくあることで、長くなってしまった老後の生活をどのように生きるべきかの講座やセミナーも増えることだろう。
寿命が延びるというのであれば、幸いなことのように思えるけど、そこには元気で自力生活ができてこそ、という前提条件があるのを忘れてはいけないと思う。
年老いたら誰でも誰かの世話になって生きなくちゃいけないのは、老年期が長くなってしまった現代では仕方のないことだ。
同じ世話になるにしろ、どのように世話になるのかを考えて、他者依存ではなく自力でできることを増やして、なるだけ迷惑をかけまいとする姿勢がこれからの年寄りの、生き方や生き様として推奨されるのだと思う。
もちろん自分が、若い人たちに迷惑をかける立場にいることを自覚したうえでの話をしているわけだけど、年老いていく我々と、これから年をとらざるを得ないアラフィフ、アラ還の人たちも健康で元気に暮らすことが使命。
大袈裟に聞こえるかも知れないけど、健康で元気よく自力生活で暮らせることが、長くなってしまった老年期を、なるだけ迷惑をかけずに過ごすのに欠かせない要件だと思う。
だから足腰をしっかり鍛えてご飯が美味しく食べられるように、日頃から適度な運動を心がけて自分のストレスを封じ込め、周囲にもストレスのタネをまき散らさないように、いつも笑顔で楽しく暮らすことを使命と考える。
笑顔で楽しく暮らすためにも、身体が健康でなければならないし、若々しいカラダと心ばえを意識して、充実した日々を過ごすことを自分のミッションだと考えるべきだと思う。
長くなった老年期を有意義に過ごすためには、趣味や習いごと稽古事にも目を向けて、若やいだ気分でいつも暮らせるようにすると、自然と笑顔も出るし楽しい生活になるというもの。
私たちが目指すべきなのは、お金や肩書といった、外見を気にした相対的な成功ではなく、自分らしく生ききることで得られる、絶対的な幸福感なのではないだろうか。
ってことで、今回は
「いかにお金を稼ごうが偉そうな肩書を持ったとしても手に入らぬのが不老不死!」という人生永遠のテーマについて話題にしてみました。(^_^)b
※見出し画像のイラストは、メイプル楓さんからお借りしました。
では!
100年の 命みじかし のほほんと
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