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花に嵐の映画もあるぞ(邦画編)。

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わたしの好きな映画を、「褒めること」意識してつらつら書いていきます。 取り上げる映画は、時にニッチだったり、一昔前だったりしますが、 そこは「古いやつでござんす」と許して、ご容赦…
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2020年1月の記事一覧

憎んで、捨てた、愛した、祖国。鎮魂の木星、それがイギリス映画「アナザー・カントリー」。

「80年代のイギリス映画」と聞いてまず連想するのが「炎のランナー」だろう。 全編を通じてクラッシック (古典的)でトラディッショナル (伝統的)なブリティッシュ (英国調)ファッションをまとった男性ばかりが次々と、そして一同に群れをなして登場する画面の格調高さ。 走ることによって栄光を勝ち取り真のイギリス人になろうとするユダヤ人と、神のために走るスコットランド人の、競走を通して違いに高め合う高揚感。 長短のショットやスローモーションをうまく組み合わせて切り取られた、走

父が子の手を引くのだが…。イタリア映画「自転車泥棒」と日本文学「子を連れて」と。

1948年にAcademy Award for Best International Feature Filmを受賞したのがヴィットリオ・デ・シーカ監督のイタリア映画「自転車泥棒」だった。 この映画は「理不尽」 それも「貧しさからくる理不尽」 あるいは「誰かや自分のせいにするのは簡単だが、しかしそれだけでは割り切れない、社会のひずみから生じる理不尽」というものを抉る。 「万引き家族」も「パラサイト半地下の家族」も すべて、この映画に源流がある、と言っても過言ではない。 有

カーツ大佐と同じ寂しき王。孤高の王。コッポラ監督「ドラキュラ」。

今回は、1993年(第65回)衣裳デザイン賞、メイクアップ賞、 音響効果編集賞を受賞したフランシス・フォード・コッポラ の「ドラキュラ」を紹介。 日本人として初めてグラミー賞を受賞したこともあるデザイナー 石岡瑛子(1938−2012)が衣装デザイン賞を獲得している。 ※あらすじ・キャスト・スタッフはこちら! 400年の時を彷徨い、永遠の愛を求め続ける哀しき男。最愛の女性を失い、神への復讐を誓ったドラキュラ伯爵と、自殺した伯爵夫人と生き写しのミナとの出会い。そして、ドラキ

苦悩と忍従のひと。それが「ウィンストン・チャーチル/ヒトラーから世界を救った男」。

第92回アカデミー賞で、メイクアップ&ヘアスタイリング賞に輝いた「スキャンダル」。受賞したのは日本人のメイクアップアーティストである辻一弘。 彼が同賞を受賞するのは、2回目。 今回は2017年(第90回)にて彼が他2名と共にメイクアップ&ヘアスタイリング賞を受賞した「ウィンストン・チャーチル/ヒトラーから世界を救った男」を紹介。 主演のゲイリー・オールドマン直々のオファーにより、その特殊メイクを担当。 結果、ずんぐりで、髪がうすく、眼つきは鋭く、背中は曲がっていても、荒

悪魔的笑い、悪魔的動作、悪魔の失恋。仏映画の古典「悪魔が夜来る」。

これは、15世紀フランスの伝説に基づく物語だ。 時は1485年、美しき五月のある日、城では婚約の宴が続いていた。 そこに紛れ込んだ吟遊詩人のジルとドミニク。 ジルは見た目優男(左)、ドミニクは男装の麗人(右)。 ふたりは、悪魔に魂を売り渡した人間だ。 悪魔に魂を売り渡したからには、不思議な力を少しは使える、ということ。 ジルは、婚約の宴の場で面白半分に殺された農夫のペットの熊を蘇らせる。物陰で泣いて忍んでいた女給の顔を美しく変貌させる。 善業ではない、すべて、戯れだ。 な

ソ連を憎み娘を愛した男、ニキータ・ミハルコフの「太陽に灼かれて」に始まる三部作。

1994年 第67回のAcademy Award for Best International Feature Filmを受賞したのは、ニキータ・ミハルコフ監督のロシア映画「太陽に灼かれて」(原題:Утомлённые солнцем)だった。 彼は本作で自ら主人公:コトフ大佐を演じ、また、ミハルコフ自身の愛娘:ナージャ・ミハルコフが、コトフ大佐の愛娘ナージャを演じている。(授賞式のステージにはこの父娘で上がった) 「太陽に灼かれて」 これは、誰からも愛された。 時は193

映画「厳重に監視された列車」_いつ、どの時代にもある戦時下の凄春。

60年台後半、フランス・イタリアとAcademy Award for Best Foreign Language Filmの最終選考で幾度も競り合った国がある:チェコスロバキアだ。 60年代、「雪解けの季節」に訪れたチェコ・ヌーヴェルヴァーグの波。 その特徴をまとめてみれば、軽快な台詞、スピーディーで意表をついた展開、日常生活へのまなざし、ペーソス、何より大事な味付けは「自分のことを真面目に捉えすぎない、ちょっと距離をとってアイロニーに満ちた姿勢」。 「先鋭」を走ることに拘

記憶の中にしかない風景。

何かが終わってしまった景色というものは、 何かを考えさせるチカラを持っているように思う。 それは、焼け出された人間の感慨に似ていて。 立ち直るために、ひたすら本を読んだ。私は廃墟になって生きていた。私はすべてを疑うことから始め、すべてを自分の手で作り直さなくてはならなかった。 救いは、戦後の空が、限りなく高く、広く、青いことだけだった。 「そうか、もう君はいないのか」城山三郎・著  (新潮社ハードカバー版 21ページより引用) それは例えば、この風景だった

雪一面の世界を渉る男たち、ラッセルの力強さ。ポン・ジュノの「スノーピアサー」。

前回の「グエムル」の記事が思わぬ反響をいただいたので、もういっぽん、ポン・ジュノの映画を紹介する。その名も「スノーピアサー」。 設定がB級のSF映画ではあるが、そこはポン・ジュノ。下流階級と上流階級の対決の構図という、後の「パラサイト」の軸を強く出した佳作に仕上げている。 2014年7月1日、地球温暖化を防ぐため化学薬品が撒かれ、その結果、地球は新たな氷河期に突入した。それから17年が経った2031年。地球上を走る列車「スノーピアサー」が、生き残った人類にとって残された唯一

「ねぇ、お墓を作ったことある?」 死に浸された少女のお話、それが「禁じられた遊び」。

今年もアカデミー賞のシーズンが近づいてきた。 せっかくの機会、アカデミー賞を獲得した古今の名作を取り上げようと思う。 まずは、Academy Award for Best International Feature Filmの領域から 1951年(第25回)受賞 ルネ・クレマン監督の「禁じられた遊び」を。 皆さんは、「ちいちゃんのかげおくり」(あまんきみこ・作)のことを覚えているだろうか? 国語の教科書に大体は載っていた、一度は読んだことであろう。 戦火の後、家族で唯一生

「狩りに行こうぜ!」一家で不安を突き止めに。それがポン・ジュノの「グエムル 漢江の怪物」

第92回アカデミー賞作品賞を受賞した韓国映画「パラサイト 半地下の家族」。 この映画についてググっていたら、下の記事が目を惹いた。 「私の映画の底にあるのは不安なんです」 と、この作品を手掛けたポン・ジュノ監督がインタビューに応えたのだ。 確かに、彼は「不安」というものを、二つの視点から描いてきた様に思う。「殺人の追憶」における犯人の正体や「母なる証明」での息子の容疑といった「不明瞭な、除けない不安」と、「スノーピアサー」の永久機関に代表される「明確な、除くしかない不安」

ベルイマン映画「秋のソナタ」。それは恩讐の彼方、母と娘の大切な一夜。

顔は誰でもごまかせない。顔ほど正直な看板はない。顔をまる出しにして往来を歩いている事であるから、人は一切のごまかしを観念してしまうより外ない。いくら化けたつもりでも化ければ化けるほど、うまく化けたという事が見えるだけである。一切合切投げ出してしまうのが一番だ。それが一番美しい。 とは高村光太郎の短文「顔」 冒頭からの引用だが、 そんな顔というものの複雑な陰影を、最も巧みにフィルムに焼き付けたのが、イングマル・ベルイマンだろう。どの作品でも、クローズアップの巧みな多用が、強く

インターネットが「一家に一台」だった時代のはなし、サマーウォーズが叶えた夢のはなし。

はじめてのインターネット体験は、まだ自分が小学一年生、 小学館の学年誌が「1年生」から「6年生」まで出版されていた頃 「PCといえばwindows98」の時代だったことを、覚えている。 当時一般的だったパソコン通信サービス「NIFTY-Serve」 を親が操作しているのを、後ろから見ていたのだ。それが始まり。 ※画像はinternet watch から引用 まだ10歳にも満たない頃の話なので、記憶はあやふや、 具体的に親が何をしていたのか、私は何を見ていたのかは、覚えてい

倍返しだ!市川雷蔵の時代劇「大殺陣 雄呂血」。

皆様は、周防正行監督 最新作の「カツベン!」をご覧になっただろうか? 本作に対する私の感想は、また別の機会にするとして…。 この映画の「後日談」に、広げた風呂敷が収束する脚本の巧みさには、さすが周防監督と感嘆しきり。(ホンに酔っているキライもあるけれど。) ニッポンの無声映画最高傑作と称される 阪東妻三郎主演の時代劇「雄呂血」につながるよう、計算されている。 この映画が当時どれだけ画期的だったかは、 主人公の運命のあまりの変転について行けない観客向けに、 弁士が「夢オチバ