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ベルイマン映画「秋のソナタ」。それは恩讐の彼方、母と娘の大切な一夜。
顔は誰でもごまかせない。顔ほど正直な看板はない。顔をまる出しにして往来を歩いている事であるから、人は一切のごまかしを観念してしまうより外ない。いくら化けたつもりでも化ければ化けるほど、うまく化けたという事が見えるだけである。一切合切投げ出してしまうのが一番だ。それが一番美しい。
とは高村光太郎の短文「顔」 冒頭からの引用だが、
そんな顔というものの複雑な陰影を、最も巧みにフィルムに焼き付けたのが、イングマル・ベルイマンだろう。どの作品でも、クローズアップの巧みな多用が、強く印象に残る。
「顔」という軸一本で、ベルイマンは、神を失った人間の不安、または、互いに愛し合い憎しみ合う人間の不思議といった「原点」を突き詰めた。
それを目撃した者は「美しい」とか「面白い」といった一言だけの感想が不可能になる地点に追い込まれる。「それ以上の何か」を言わざる・感じざるを得なくなるのだ。
この映画は、二つの顔が尺の大部分を占める、強度の強い画面の中で
テーマはシンプルに、「母と娘の愛憎」を厳しくも暖かい目線で描く。
彼が描くのは、母・シャルロッテ(演:イングリッド・バーグマン)と娘・エヴァ(演:リヴ・ウルマン)、2つの顔だ。
物語は、シャルロッテが久しぶりにエヴァの湖岸の家を訪れる所から、始まる。
母、シャルロッテ、物語る激情。
暖色系統のおしゃれな衣服に起きる時も寝る時も着飾っているシャルロッテは、世界中を飛び回る現役のピアニスト。遠目に見ても華やかで軽やか、ステージのライトに当たっている彼女は、老いてもさぞ美しかろう。
だが、間近にみる彼女は美しくない。なにせ、クローズアップのカメラが執拗に、首のたるみ、目尻のシワ、唇のシワを曝け出すのだ。
女優が監督を全面に信用して、カメラに全身を投げ出さなくては撮れない画だ。
近寄れば、なるほど、「人形」ではないと思わされる。なにせ
「百面相」「顔芸」と見間違うほど、大時代的に、激烈に感情を迸らせるのだ。
それぐらい莫大な量の内に秘めた激烈な感情を、音楽に消尽したから、表現者として、ピアニストとして、大成したのだろう。
だが家の中ではどうだっただろうか/どうだろうか?
彼女の感情の矛先が向くのは、未熟な娘・エヴァだ。
昔もそうだったが、今もそう。
娘がショパンを聴いて母に聴かせる一幕がある。ぎこちない指使いに失望し、洗練されていない音階に眉をひそめ、最後にはこれが私の血を引く娘なのかと、嘆くに至る。その色を、娘の目の前で隠しもせず表情で物語る。
暫くシャルロッテの様子を見ていれば気づくだろう。
「彼女は常に演じている」と。
その変幻自在の表情は、彼女の顔に貼りついてしまったもの。夜寝床に就てすら、彼女は喜怒哀楽の激しさを顔に隠そうとしない。まるで「無表情」という瞬間が存在しないのだ。表情が「ゆがむ」瞬間も、ほとんど。
娘、エヴァ、秘めた情炎。
緑系統の暗い色調の衣服を好み、不釣り合いに大きい丸縁メガネをかけて、
母とは対照に地味で、不器用に見え、歳以上に老けた印象を与える娘・エヴァ。
しかし、彼女もまた、母同様の激烈な感情を内に秘めている。それを必死に閉じ込めて、じっと耐えている。スタンドプレーなんて到底できない。絶えず様子を伺い、周りの関係を取り持つことでしか、生きることができないから。
いつもいつも自分の気持ちを押し殺している娘にだって、言いたいことがある。
それは、普段は無敵で偉大な母の弱点でもある。
自分の家で、娘はそのことを口にする、咎めていると捉えかねない強い口調で。
その時、母の表情は、初めて、ゆがむ。
その弱点から始まる口論はやがて、お互いを愛しているかどうかという究極の問いへとつながっていく。
激情でもない、情炎でもない、真っさらな瞬間が現れる。
この映画が美しいのは、前述した通り水と油にしか見えない母と娘が、それでも、互いを腫れ物のように扱うことを嫌い、感情をぶつけ合い、しこりの出口、和解の糸口を見つけ出そうとする過程を、丁寧に描いているからだろう。
少し言葉を交わしたくらいでは表には出てこない「親と子のつながり」というものを、母と娘の対話をじっくりと集中的に描くところから導き出す。
言葉の端々から次第に、彼女たちのこれまでの積み重ねてきた年月が明らかになってくるように巧みに構成されているのだ。
だから、大きな場面転換もなく、同じ登場人物が同じ場所でずっと話をしている、それだけで92分間保たせることができる。
そしてその内に、まやかし・つくりものだった表情が溶解し、一切合切を表情に投げ出す時が出現する。「いちばん美しい」瞬間が現れる。
その果てに、互いを初めて認め合う扉が開かれる。
母と娘が、どの言葉を用いてどのようにして、和解の第一歩を踏み出すのか。
それはぜひ、(機会があれば)御自身の目で確かめて欲しい。
なお、それができるのは
母と娘のドラマからひとり離れた位置(つまりは観客と同じ視点)にエヴァの夫であるヴィクトール配置する、嫌味な言い方をすれば「少し高みに登って、彼と同じ視点で母と娘の口喧嘩を眺めることができる。」工夫にもあるのだが。
※本記事の画像はCriterion公式サイトから引用しました
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