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映画「厳重に監視された列車」_いつ、どの時代にもある戦時下の凄春。


60年台後半、フランス・イタリアとAcademy Award for Best Foreign Language Filmの最終選考で幾度も競り合った国がある:チェコスロバキアだ。

60年代、「雪解けの季節」に訪れたチェコ・ヌーヴェルヴァーグの波。
その特徴をまとめてみれば、軽快な台詞、スピーディーで意表をついた展開、日常生活へのまなざし、ペーソス、何より大事な味付けは「自分のことを真面目に捉えすぎない、ちょっと距離をとってアイロニーに満ちた姿勢」。
「先鋭」を走ることに拘っていた他国とは真逆の、フマジメな姿勢。
それが、国内外のシネフィルたちの共感を呼んだのだ。

代表する作家として有名なのは、後にハリウッドで活躍したミロス・フォアマンだろう。1966年に「ブロンドの恋」、1968年に「火事だよ!カワイ子ちゃん」で2度もAcademy Award for Best Foreign Language Filmの最終選考に残っている。

そして1967年に同賞を受賞したのが本作「厳重に監視された列車」だ。
どんな話か。岡本喜八監督の名作「肉弾」に喩えると分かりやすい。

第二次世界大戦下を生きたある青年にとっての、戦争に終わった青春。
その悲喜劇交々を、はらわたをぶちまける様に臆面もなく描いた自伝的映画だ。
**
いつ、どの国にも戦時下の青春の物語、「肉弾」は存在する。**
本作は、第二次世界大戦下、ナチス支配下におかれたチェコ の青春である。
舞台は小さな村、唯一の駅舎。

物語の大半はフマジメ。

この映画の主役、

この締まりのないスマイルを浮かべている鉄道員が主人公ミロシュである。

で、車掌として働くカワイ子ちゃん(死語)マーシャと良い感じになっている。

「ああ、この映画は、この二人がゴールインするまでの物語なのだな」と思う間もなく、冒頭十数分にしてはやくもふたりはベッドインする。
ピュアなふたりの戦争の中の性春。
まるで本家「肉弾」における「あいつ」と「うさぎ」の関係を見るようだ。

残念ながら、結末は恋愛小説の様にはうまくいかない。
この男、肝心な時に失敗するのだ。彼女は不貞寝し、ミロシュは絶望する。

ミロシュだって一端の男の子だ。恋人に男らしい姿を見せずには、いられない。
ということで本編の半分は、ひたすら「早漏解決のメソッド」を求めて主人公がたらい回しにされる、(戦時中なのに)ひどくのんびりとした展開を迎える。
早漏はどうやれば直せるか、恥も知らず他人に聞いてまわる。悩みに悩みすぎて自殺未遂もはかったりする。駅長の奥さんに大人にしてもらおうかと、血迷いごとも平気でする。
仕事のこと?知ったことか。それより自分の下半身が大切だ!
可愛い女の子と付き合うか付き合わないかのモヤモヤを描くのが他国の映画とすれば、付き合ったのは良いが肝心の下半身がモヤモヤするのが、本作である。
そんな話を戦時下という舞台で延々と行う。戦争など知ったことか、という軽やかさで。本作がとってもフマジメな作品だと、自信を持って言える点である。

フマジメなのは、ミロシュと同じ駅で働くメガネの先輩も同じだ。
いつも笑っている女性の同僚と、遊んでばかりいる。
どう遊ぶかは、ネタバレになるので詳細は述べないが、「公印」「ヒップ」「吐息」がキーワードになる。物凄く冒涜的でフマジメな遊び方をする。
ふざけておきながら、きちんとノルマはこなす、できる先輩なのである。

結局、通りすがりの対独パルチザンのお姉さんと一夜を過ごし、文字通りの「セイコウ体験」で、童貞臭い悩みをふっきることとなる。
すっきりしたところで、ミロシュは思い出す。
そういえばパルチザンのお姉さんから爆弾託されたんだ。
これでナチの列車を爆破しないと。

物語の最後だけ、マジメ。

さて、決行の朝。ミロシュはどや顔で出勤する。
「ナチの列車を爆破して、夜はヒロインをあへあへさせるんだ!」
それしか考えていない、得意満面の笑みである。
田舎駅だから監視の目も緩いだろう、大丈夫だと、
託された任務もほんの遊びのつもりでいる。

そして、マーシャと「今夜一緒にねよう」と約束を交わす。

残念ながら、ミロシュの「遊び」は、自身の死を招く結果となってしまった。
8割は先輩の「遊び」のせいで。
地面に突っ伏すミロシュの死体が最後のシーンとなるわけだが、それがちっとも悔しく感じられないのは、ここまでのミロシュの為体に原因があるだろう。

そう、戦争映画であり、かつ悲劇的に終わるわけだが、
だからといって悲しく感じるわけでもなく、むしろ、不思議とすっとするのだ。

それは「肉弾」で「あいつ」が「死ぬこと」を命令されてから続く、長い長い待機時間と似ていて。ラスト:沖に漂うドラム缶の中で、骸骨となった「あいつ」が怒号を発しているシーンと似ていて。
「厭な時代でも悲観的にならず、戦時下を自分なりに生きた青春があった」
という記憶・のようなものが、不思議と胸を打つのだ。


なお、本作の監督を若干28歳で務めたイジー・メンツェルは
2008年日本公開の「英国王給仕人に乾杯!」の監督としても知られている。

※本記事の画像はCriterion公式サイトから引用しました。

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ドント・ウォーリー
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