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ソ連を憎み娘を愛した男、ニキータ・ミハルコフの「太陽に灼かれて」に始まる三部作。

1994年 第67回のAcademy Award for Best International Feature Filmを受賞したのは、ニキータ・ミハルコフ監督のロシア映画「太陽に灼かれて」(原題:Утомлённые солнцем)だった。
彼は本作で自ら主人公:コトフ大佐を演じ、また、ミハルコフ自身の愛娘:ナージャ・ミハルコフが、コトフ大佐の愛娘ナージャを演じている。(授賞式のステージにはこの父娘で上がった)


「太陽に灼かれて」 これは、誰からも愛された。


時は1936年のソ連。30年代のスターリンの大粛清真っ只中の時代。
ロシア革命の英雄・コトフ大佐の妻・マルーシャの下を昔の恋人・ドミトリが訪れるが、彼にはある目的があった。
一言でいえば、一人の女を巡って、二人の男が争うドラマ。
大きいガラス窓で日の差し込み、藤の椅子でゆったりできる、みんなの集まるサロンですら視線が飛び交う、三者間の緊張感が画面を覆う。

ドミトリの闖入により、コトフ大佐が自身の妻にも心を許せなくなる中で
唯一ほっと出来るのが、娘ナージャとの語らいだ。
二人は川でボートに乗って、日差しを満喫する。船の中のふたりは裸足だ。

「可愛い足だな。丸くて柔らかくてきれいだ。パパの足をご覧、どうだね?石みたいに固くて、ごつごつして、まるで靴の底だ」
「たくさん走ったから?」
「走ったり歩いたり」
「どこを走ったの?」
「戦場の野原や山などさ。」


そして、娘の柔らかい足をなでながら、

「将来はいい世の中にしたい、お父さんはそのために努力しているんだよ、だから娘よ、よく勉強して両親を尊敬してこの国を愛するように。」

と、優しく語る。
戦うのは自分一人だけで沢山だ、ナージャには戦争を知らず平和に暮らしてほしい。大熊の様な男の、切なる願いが込められたシーンだ。

だが、コトフの生きる世界は、例え平和な時代でも、優しくあってはくれない。
内心でコトフを憎んでいたドミトリが取った手段は「粛清」。彼は、いわれのない罪をコトフに被せて、NKVDに連行させる。(この際、コトフとドミトリ、一見優しげな男ふたりが互いを弾劾するシーンがある。見どころ。)
コトフは愛する娘から引き離される。そして、彼が1940年に収容所で死んだことを、ちょっと大人になったナージャが聞かされる所で、映画は締められる。

この終わり方だけ見れば、「ソ連の闇」「大粛清の時代の悲劇」と捉えられるであろう。(だから、冷戦終了直後において、特に西側で評価されたのだ。)



きれいにまとまった小品 という評価。
しかし、16年後、(ある種)不可解な続編が大作として作られることとなる。
2010年公開の「戦火のナージャ」 2011年公開の「遥かなる勝利へ」。
日本では別タイトルで公開、だがロシアにおいてこの2作は「Утомлённые солнцем 2」「Утомлённые солнцем 2: Цитадель」と前後編として公開された。 コトフもナージャも(マルーシャもドミトリも)同一キャストが演じる。
ここに、監督が本当に描きたかったものの正体が、現れる。


続編二作、周囲にとっては蛇足の嫌われっ子。 だが…?


コトフが「実は生きていた」という「いかにも続編」な出だしから「戦火のナージャ」は始まる。
1941年6月、独ソ戦の火蓋は切られる。仮にも平和だった時代は破られる。
コトフは懲罰部隊の一員として前線に、学徒だったナージャも従軍看護婦として戦線に向かう。「まだ生きている」と互いの再会を僅かに期待して。

お互いがどこにいるのか知る由もなく、戦場をさまようコトフとナージャの脳裏をよぎるのは、あの夢のような幸福で満たされていた1936年夏の美しい情景だった。はたして心から再会を願う父と娘は、奇跡をたぐり寄せることができるのか。
「戦火のナージャ」公式サイトから引用(アーカイブページより)


「太陽に灼かれて」がナイーブな映画だったとすれば、
続編二作は共にマッシブな戦争映画。
総計5時間弱 通じて、1936年夏の美しい情景など映し出されず
憎悪、兵士、暴力、離散、嗚咽、ツンドラの汚い戦場ばかりが延々と広がる。
そして堕ちた英雄コトフは、前線で狂犬の様に暴れ回る。
芸術性を求める評論家や、正当な続編を期待したシネフィルたちが面食らったのは、当然。「あの名作が、ただの戦争映画に堕ちた」。ごもっとも。

ロシア国内でも受けが良くなかった模様:二作とも大コケしている。

だが、強がって見せる男ほど、中身は繊細なものだ。
寄る歳の波のためか、失った名誉心のためか、長きにわたる収容所生活のダメージのためか、コトフの表情には今やリア王よろしく絶望の色が貼り付いている。
更なる絶望が、コトフに追い討ちをかける。
楽には死なせてくれない戦場。自分を踏んづけて出世したドミトリとの再会。愛妻マルーシャの裏切り。
ふつうの男なら、到底耐えることの出来ないであろう運命が、彼を痛めつける。
じっさい、事あるたびに彼の顔は苦痛に歪むのだ。
それは、戦争というものを知る度に唇噛み締めるナージャも、同じ。

それでもコトフが生き続けるのは、「娘に一目逢いたい」のただ一心。
ナージャにとっても、父に会いたい気持ちは同じ。 だから生きる。
この強い軸で、物語を引っ張る。戦う兵士、銃後を守る人々の群像を、その周囲に描き込む。(戦争ドラマの表現の巧さ、ここはさすがソ連映画からの伝統)
二人は、祖国のために戦うのではない、ただ、互いのために戦うのだ。


そして「遥かなる勝利へ」のクライマックス、スターリンの譲歩を引き出したコトフが棒切れ一本で味方の指揮をとり、敵の要塞に侵攻していた時、娘は最愛の父、英雄の面影を取り戻した父の姿をついに見つけ、駆け寄る。駆け寄るのだが、再会を喜ぶ間も無く、引き裂かれる。
「地雷」のために、父と娘、長い旅路の果てにようやく出逢えたというのに、直ぐに引き裂かれる、その瞬間をミハルコフはエモーショナルに切り取って、三部作の幕を閉じるのだ。


ミハルコフ本人にとっては三作ともに、愛娘。


ミハルコフ監督の、娘というものへの思い入れは、相当なものだ。
なにせ1980年以降 、自分の娘アンナ(ナージャの姉)に毎年一度決まった質問をし 、それに答える彼女の映像を35mmフィルムに記録していたというのだから。撮影も、フィルムの現像も、彼の知人達がリスクを冒して行っていた 。「個人の意志」なるものが一切許されなかったソ連の時代に、だ。

※この素材は、長編ドキュメンタリー『Анна: от 6 до 18 』(1993年)に活用された。

例え禁忌を破ってでも、自分が必死で娘を愛した形を、この世に残したい。
それが「太陽に灼かれて」、ひいては「戦火のナージャ」「遥かなる勝利へ」につながったのは、間違いない。
舞台をスターリン時代のソ連に置き換えて。
ミハルコフは大粛清も戦争も、直接は体感したことのない世代だ。(1945年10月21日生まれ) 自らの家族に投影して、一つの時代を語りなおそうとする。
そして、恐怖の時代の中でも、戦争の中でも、人を愛することをやめられない人間というものの哀しさ、業というものを、描き切る。


かつて、黒澤明監督はニキータ・ミハルコフ監督をこう称した。
※ミハルコフは黒澤の「デルス・ウザーラ」(1975年)の撮影を支援している。

よくしゃべる白熊みたいな元気な男なんだけど、実にデリケートな写真を撮るんだ 

「黒澤明が選んだ100本の映画」(文春文庫)より引用

見た目は一見変わっても、確かに三部作通して変わらなかったのは、人が人を愛することのナイーヴさ。(それは戦場における周囲の群像にも描かれる。)
彼以外の全てが反対しても作らざるにはいられなかった、人を惹きつけてやまない繊細さだ。


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ドント・ウォーリー
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