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2025年2月6日 「小さな海外文学 ロングパドル人間模様」感想
葉々社さんのウォートン怪談集を買い求めた時に、
せっかくなので、と思って、
こちらの、トマス・ハーディの短編集も購入しました。
こちらも柴田元幸氏のサイン入りです!
読み終わりましたので、
その感想です。
重厚な作家のユーモラスな短編集
「トマス・ハーディはイギリス文学を代表する作家」とのことですが、
寡聞にして、知らず、
何の前知識もなく読みました。
いや、「テス」というタイトルだけは、知っていたかもしれません。
柴田元幸氏のあとがきによれば、
トマス・ハーディの作品は、その存命中から、「因襲の重みを正面から受けとめたがゆえに「悲観的」と批判されたり、そうした制度の束縛の外へ果敢に出ようとする人物をリアルに描いたがゆえに「不道徳」と批判されたり」したそうです。
そのため、特に長編は「重厚」とされているとのこと。
そして、トマス・ハーディの「重厚」でない部分、
ユーモアがある部分を紹介するために刊行されたのが
今回の短編集、というわけです。
あとがきによれば、
「この作品は『人生の小さな皮肉』という1894年に刊行された短編集に収められたいわば短編集内短編集」で、今回はそれを改めて訳し、独立させたものだそうです。
「短編集内短編集」とは、付録のようなものでしょうか。
意外とするする読める
読んでみますと、
さすがにイギリス文学を代表する作家とあって、
とても読みやすいです。
するすると読めます。
複雑な描写はなく、
簡潔で、わかりやすいのです。
イーディス・ウォートンはもう少し複雑で、よくよく考えないと理解できない表現がありました。
それに比べると、トマス・ハーディはスッと入ってくる文章です。
イギリスを代表する作家、しかも重厚な作家ということで、
構えていたのですが、
あっという間に読み終えることができました。
人々の生活の中で起きる喜怒哀楽をスプーン一杯ずつすくって、
試食させてもらったような感じでした。
重厚な作品を書ける人は、短くユーモアのある作品ももちろん書けるということですね。
さまざまな語り手によるロングパドル村の物語
物語は、ロングパドルという村へ向かう、乗合馬車の中で始まります。
移民して、久しぶりに帰郷してきた男が、乗ってきて、
自分がいない間のロングパドルのことを聞きたがるのに答えて、
ロングパドルの人々が、それぞれ知っている話を語りだす、という形式です。
馬車に乗っているのは、
郵便局長、その妻、
食料雑貨店の老おかみ、
教師、
屋根葺き職人の親方、
教会主事とその妻、
種屋とその老いた父、
登記官、
地元風景画家、
副牧師、
帰郷してきた男
という顔ぶれです。
こうして書いてみると、ずいぶんたくさん乗れる馬車です。
先にあげた帰郷してきた男以外の人々が語った
9つの話が収録されています。
この、それぞれが語る形式、とてもいいですね。
バスの中などで、こういう会話がある地域は現代ではさすがに、もうないでしょうか。
デイサービスのバスの中ぐらいしか、残っていないかもしれません。
それでも、時代が変わっても、
人が集まると、どこかに「語り」は生まれるもののはずです。
「語り」があることこそ、人間という存在ではないか、と私は考えます。
「自分が不在だった時に起きた話を後から知ることができる」のは人間ならでは、です。
面白うてやがて悲しき
それぞれの短編はどれもさほど長くなく、
わかりやすい内容なので、
あらすじは書きません。
大まかに分けると、
結婚にまつわる話が3つ、
少しばかりゾッとする話が2つ
音楽の話が2つ
事件の話が2つ
と言うところでしょうか。
滑稽さもさることながら、
どの話にも、
異国のずいぶん昔の話なのに、
どこかで聞いたことがあるような、
懐かしさがあるのはなぜでしょう。
「日本昔ばなしで読んだのでは?」と言われると、確かにそうかもと言いたくなるような題材です。
江戸時代の日本に舞台を変えても、
何となく成り立つような話ばかりなのです。
私の先祖がこの中にいると言われても、
名前さえ和名にしてあれば、「そういうこともあるだろう」と思ってしまいそうなのが、実に興味深いです。
結局、人間の営みというものは、
思ったほど多様ではないのかもしれません。
人間の滑稽さ、切なさには、人種や文化の違いはない、ということではないでしょうか。
加えて、この短編集の根底には、
永遠よりも無常、常に全ては流転していくものだ、というトマス・ハーディの人生観が流れているように感じます。
それが、東洋人、日本人である私には、
親しみやすく、馴染み深いものに思われる理由かもしれません。
トマス・ハーディは、
それぞれが精一杯生きていた日々を明るく丁寧に描写しながら、
それでも様々なことが必ず変化していくこと、
その中には死が含まれることを書き漏らしません。
彼は読者に対する
おもねりやおためごかしが出来ない作家だったのではないでしょうか。
めでたしめでたしのお話を書くことは彼にとって不誠実な行為と感じられたかもしれません。
最後の一文の余韻は、しみじみと深く味わいました。
昔話のような題材を扱いながらも、
近代的な「小説」であることを示す、一文だと思います。
オンラインショップで購入可
小さな海外文学は
葉々社さんのオンラインショップで購入可能です。
ご興味を持った方はぜひ!
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