その黒い竜はゲーエンナームという名であったが、長い時を経て半ば伝説上の存在となり、偉大なその名はさまざまに変化して伝わった。「ガイエンノーム」「ゲーノーム」「ギエナム」そのほか尊称、あざ名が数えきれないほどあるが、「エーアー」と呼ぶのは、ちっぽけな生き物ただ一人であった。 「エーアー、お話して。寝る前のお話をして」 「幼子よ。黙って寝ろ」 小さな生き物は、ゲーエンナームの長い顎髭を引っ張る。ゲーエンナームは煩わしそうに頭を振ると、白い髭を掴んだままの幼子の身体は宙を
砂漠ばかりが広がる惑星に、たった一つだけオアシスがあった。 そのオアシスは惑星で一番高い山の上にあった。 オアシスの中心には新鮮な水が湧き出る小さな泉があって、泉の近くには立派な樹が翠色をした小さな葉を生い茂らせていた。 ほっそりとした幹の佇まいと、豊かな枝葉は、豪奢なドレスを纏った貴婦人のようだった。 その樹のそばに、腰の曲がった老婆が一人住んでいた。 大きな岩の隙間に人が一人入れるほどの小さな空間があって、老婆は夜はその洞窟のなかで過ごしていた。
「このモクレンが咲いたら、きっと私は死んじゃうわ」 クオンティカの言葉を聞いて、ゲーレンはパネルを操作していた手を止めた。 クオンティカは抱きしめるようにガラスケースを抱えている。 長方体のケースの上に、クオンティカは顎を乗せていた。 蜜蝋でできたかのような重たげな蕾は、今にも綻びそうだった。 「やっとこっちを見た。ずっと話しかけていたのに」 クオンティカは不満そうに眉をしかめた。 ゲーレンはずっとパネルを凝視していたので、疲れ目によりクオンティカが二重にな
ボクは『宇宙生命体ふれあいコーナー』で生まれた。 ので、地球生まれという点においては正真正銘チキュウ人だと思うんだけど、どうやらミュージアムに来る人たちはそうは思わないようで、ボクのことを「宇宙人!」と呼ぶ。 「edge44」というのが、ボクの名前である。ボクの両親はオールトの雲で捕獲され、地球に連れてこられた。ふたりはチキュウでボクを産み出し、やがて死んでしまった。それから、ボクと同じ肉体構造を持つ生命には会っていない。 チキュウで最も大きいらしいこのミュージ
冬眠の話し 十年に一度の大寒波だそうで、築45年のこの家では、じっとしているだけで冷たい冷気が這い寄ってくる。窓の外は一晩で銀世界。これは、冬眠するしかない。 再び布団に潜り込む。エアコンだけでは部屋はあまり温まらない。石油ストーブも点けた。電気代上がってるんだよなあ、と思って、エアコンは消した。布団の中でTwitterを触って一時間、なんだかお腹が空いてきた。 凍える裸足で台所へ行き、ポットに入ったお湯をマグカップに注ぐ。これが我が家の白湯だ。 米を炊くのは
「実家帰るの辞めちゃえばいいじゃん」 炬燵のテーブルの上に突っ伏して、スマホを握りしめて唸っていた璃瑚に向かって、眞帆子は言った。 「でも帰るって言っちゃったし……」 「璃瑚は真面目すぎ。大雪なんだからしょーがないじゃん?」 眞帆子は璃瑚の目の前で蜜柑を剥いている。眞帆子は神経質に、蜜柑の白い筋を一本一本丁寧に剥いていた。筋の渋みが嫌いだという。璃瑚の舌は大雑把にできているので、眞帆子の気持ちはよく分からない。 眞帆子がリモコンでテレビをつけた。午後7時、全国ニ
11月末から12月の初めの雨ばかり降っていたころは、憂鬱がゆっくり体に染み込んでいくようだった。秋の終わり、冬の始まり、そのどちらともいえないような、暗い穴に落ちてしまったような季節だった。季節の穴は私の肩の高さくらいで、頑張れば這い上がれないことはない高さだけど、降り続く雨が、あなたは無力なんだよって繰り返し囁いていた。雨水は足元に溜まって、スニーカーの布地を浸食して、靴下を濡らして、足に濡れた感触を伝えていた。足が冷たくなってしまうと、本当にどこにもいけないような気がし
このクソみてぇな世の中に対してノンストップでテクニカルな呪詛を吐き続ける稀代の机上空論者、夜北硝水氏の衝撃のロングインタビュー! このインタビューは全て虚構のフィクションです!!! 夜北硝水氏の2019年3月19日から2021年3月19日までの日記をまとめた本である『モクシロク』。 その装丁は3バージョンあります。硝水氏自身で装丁を施したX版、Y版と、装丁・前書き・編集をmee氏が担当されたZ版です。 自身の肉体を削ぎ落として煮込んでいるようなグロテスクさが垣
今日は十二月七日の水曜日。水曜日ってやつは最悪だ。会社員ならみんな知ってることだけど。月曜火曜と働いて、終電で帰り、今週の出勤日があと三日もあることに絶望して、現実逃避をするために疲れ切っている体にストゼロを流し込んで、炬燵で寝落ち、朝日の眩しさで目覚めてタバコを吸う。始発の電車に乗る、水曜日の朝。次の休みまで、あと三日も働かなくてはいけない。 毎日働いてるときの記憶はない。今日は気づいたら、上司の靴跡のついたレジュメを握りしめていた。あれ、俺、なにしようとしてたんだ?
追いつかれているような気がする。 なるべく見ないようにして、 近づかないように、 遠回りしてきたものたちから。 それはこわいものではない、 むしろ愛するものたち。 でもそれを愛してたら、 わたしは社会に溶け込めなくなってしまうから、 泣く泣く手放してきたものたち。 自分で手放したくせに、 わたしはさみしがって、泣いていたものたち。 小さい頃は毎日抱きしめていたのに、 大人になるからと無理やり捨てたぬいぐるみのようなものたち。 追いかけてくる、 あのこたちがどんどん
ある老爺が、ついに力尽きて道の真ん中で倒れた。老爺の手足は棒のように細く、皮膚は干からびていた。 道ゆく人は、飢えた貧しい老人がついに死んだのだろうと思い、見向きもしなかった。 そこに一人の壮年の男が通りかかる。男は老人の息がまだあると知ると、木陰まで運び、持っていた水筒の水を老爺に飲ませた。 老爺は男に言った。 「私はあるとてつもない宝物を持っており、宝物を狙う数多の者たちにつねに狙われている。そなたが私を守ってくれるならば、そなたにもこの宝物を分け与えよう」
サムネイルの絵は自分で描いたものです。 祖父が危篤のときに、祖父のために描きました。 いつも、古代人が壁画に絵を描いたときの気持ちで絵を描いています。 生活の記録と、純粋な絵を描く喜びと、祝福です。
斎 蓮 サイ・レン 性別 女 年齢 17 職業 ダンサー 国籍 日本 サイレンは6歳のとき、ダンスの才能を見出されてアメリカに留学した。 アメリカに住む人間はサイレンのことを、「警報器」という意味で「siren」と呼んだ。幼少期のサイレンは常に大声で独り言を口にして、気に入らないことがあれば耳をつんざくような大声で泣いた。 サイレンの母親は日本人である。 父親は分からない。 2025年、日本は戦争の末に、東側と西側に分けて他国に分割され、傀儡政権によって統治されて
ざぁ、ざぁ、と絶え間なく聞こえる音の正体を、私は知らない。 壊れた機械のノイズの音に一番よく似ている気がする。ノイズ音は大きくなったり小さくなったりして、私をときどき不安にさせる。けれど、スピーカーからノイズの音が途切れたことはない。 スピーカーは真鍮色をしていて、カラーの花びらのような、ラッパのような形をしている。スピーカーの下には、ハスの花の種のようなマイクがある。それぞれの花のがくの部分から、私の腕ほどの太さのパイプがずっと天井に向かって伸びている。二本のパイプは
宇宙服のヘルメットを外すと、白いロングヘアが散らばった。髪は触手のようにうごめき、宇宙船内部の白い照明に当たると虹色に光った。イーシアは宇宙服による酸素の供給がなくても生存が可能であった。 産まれる前に母の胎内で耳殻に埋め込まれた通信機器に、船外から通信が入る。 『イーシア、状況はどうだ』 「任務完了。帰還する」 地球生まれの知的生命は、白い石を骨組みとして、柔らかい筋の束で覆われていた。筋の中を赤い液体が通っている。やわな人間を切断するのは、イーシアにとって容易い
ハーレーィはイーアレイーアの神である。 イーアレイーアとは、鍋底にある世界ですでに失われてしまった概念のことだ。永遠にも等しい時間の中で、ハーレーィすら、それが何であったかを忘れてしまった。ハーレーィ自身もその肉体を喪失し、人間の死体に宿ることによって、この世界に生き長らえていた。 とある戦場で、ハーレーィは死にかけた女戦士と出会った。そのときハーレーィが身に纏っていた肉体は、すでに腐りかけていた。ハーレーィは櫓のそばで倒れている女戦士が息絶えるのをじっと待っていた