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眞帆子と璃瑚の年末

「実家帰るの辞めちゃえばいいじゃん」

 炬燵のテーブルの上に突っ伏して、スマホを握りしめて唸っていた璃瑚に向かって、眞帆子は言った。

「でも帰るって言っちゃったし……」
「璃瑚は真面目すぎ。大雪なんだからしょーがないじゃん?」

 眞帆子は璃瑚の目の前で蜜柑を剥いている。眞帆子は神経質に、蜜柑の白い筋を一本一本丁寧に剥いていた。筋の渋みが嫌いだという。璃瑚の舌は大雑把にできているので、眞帆子の気持ちはよく分からない。

 眞帆子がリモコンでテレビをつけた。午後7時、全国ニュースの気象キャスターが深刻な顔で天気図を示している。日本列島の上空には、四つの低気圧がひしめきあっていた。

『十年に一度の大寒波です。年末年始で帰省ラッシュが予想されますが、不要不急の外出は控ええていただくよう……』

 今年は双子の姉の莉花が婚約者を実家に連れてくるそうだ。璃瑚も帰ってくるよう、母親から強く言い含められていた。

「こんな雪じゃ、妹さんの顔合わせも延期だろ」
「県内だからそれはないと思う……多分」

 ここから遠く離れた璃瑚の実家は、あまり雪が降る土地ではない。対して、ここ上三船市は全国有数の豪雪地帯である。

「高速バスも新幹線も飛行機も死ぬな。これは」

 眞帆子はあっさりとそう言った。上三船市生まれ上三船市育ちの眞帆子には、雪のひどい冬は慣れたものである。

「みんなもちょっとはさぁ、雪の苦労を思い知れってんだ」

 そう言いながら、眞帆子は璃瑚の口の中に蜜柑の房を押し込んだ。筋ひとつない、つるりとした感触が璃瑚には新鮮だった。甘酸っぱい身を噛み締める。眞帆子の形の良い爪の先が、璃瑚から離れていく。

「でも母さん、怒るなあ……めんどくさいなあ」

 璃瑚の母は、自分の思い通りにならないとすぐに苛立つ。それが娘でも、天気でも。
「なあ、あたしと一緒にいてよ、お正月」

 眞帆子は炬燵の中で璃瑚のふくらはぎを撫でた。眞帆子の冷たい足先が生々しくて、璃瑚は息をのんだ。

 一瞬の沈黙。間違えた、と璃瑚は思った。「ぎゃあ」と叫んで飛びすさらなければ、冗談にならない。眞帆子はちょっとふざけただけのつもりだっただろう。何か言わなければ、自分が本気でドキドキしたとばれてしまうのに。

 固まった璃瑚を見て、眞帆子は笑った。ヘーゼルの瞳が細められる。綺麗だ、と璃瑚は思った。普段は子供みたいな性格の眞帆子だけれど、ときどきぞっとするような色気を見せる。こんな人でも、璃瑚より八歳年上なのだ。

 笑うと眞帆子の鋭い犬歯が見える。彼女が柔らかい毛質のショートヘアなのと相まって、眞帆子は狼に似ていると感じる。

「そういうのでもいいよ」

 唐突に眞帆子は言った。

「へっ?」
「そういうのでもいいからさぁ、あたしとお正月、一緒にいてよ」
「そういうのとは……?」

 眞帆子は舌で唇を湿らせると、こともなげにいう。

「エロいことしてもいいってこと」
「は、はああああ?」

 璃瑚はぎょっとして炬燵から抜け出して後ずさった。

「眞帆子さん、正気……?」
「え〜?いいよ?璃瑚はしたいだろ?」

 それは、したいですけど……という本音を飲み込んで、璃瑚は深呼吸した。

「そういう問題じゃなくて、眞帆子さんがしたくないことはしたくないし……」
「あたし璃瑚とするの嫌じゃないぜ?」

 璃瑚の脳内に目まぐるしく今まで起きたいろんなことがよぎった。この人ちょっと、倫理観ずれてるんだよな……。

 眞帆子が炬燵に潜り込んでから、布団をまくって璃瑚の目の前に顔を出した。

「別にいいじゃん。細かいことは気にしないでさ」

 璃瑚の方に手をのばす眞帆子の指は、細くて長い。普段はドンキのペラペラのジャージに隠されているが、眞帆子は体はすべて細くて、長くて、でもお尻とおっぱいは大きくて、作りがすべて輸入品のお人形みたいなのだった。

「いや!しません!しませんから!」
「あ、そー」

 眞帆子はつまらなさそうに言った。寂しがり屋のこの人は、一人でお正月を過ごしたくないというそれだけの理由で、平然とこういうことを言う。

「でも帰省はやめます」
「ほんとかよ?」
「雪がひどいから」

 ぱああ、と笑顔になる眞帆子の表情は、ちょとバカな犬っぽい。

「年越しそばに大きなエビの天ぷらを入れて」
「いいぜいいぜ」

 眞帆子はふふんと鼻を鳴らした。すべての物事が不得意な眞帆子は、料理だけが得意だった。

「おせちも作って」
「え〜今からだと色々高いじゃん。蒲鉾高とか」
「それでもいいから」

 文句を言うわりに眞帆子は楽しそうにしている。やることがあるのが嬉しいのだ。この人はずっと料理だけしていろ、と璃瑚は思った。料理以外は、何をしてもやらかすからである。

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