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竜の肉とイザナ

 ある老爺が、ついに力尽きて道の真ん中で倒れた。老爺の手足は棒のように細く、皮膚は干からびていた。
 道ゆく人は、飢えた貧しい老人がついに死んだのだろうと思い、見向きもしなかった。

 そこに一人の壮年の男が通りかかる。男は老人の息がまだあると知ると、木陰まで運び、持っていた水筒の水を老爺に飲ませた。

 老爺は男に言った。

「私はあるとてつもない宝物を持っており、宝物を狙う数多の者たちにつねに狙われている。そなたが私を守ってくれるならば、そなたにもこの宝物を分け与えよう」

 隻眼の男は、残された一つの眸で老爺をじっと見つめてから、やがて頷いた。

「俺も探し物がある。それを探しながらだが、いいか」

 男と老爺は共に旅をした。男は腕っぷしが強く、老爺を狙った刺客たちは誰も男に敵わなかった。

 海を越え、山を越え、ときには天鯨に乗って空をも越えた。男も老爺も寡黙なたちで、多くを語ることはなかったが、お互いを一番の友人だと心の中で思っていた。

 砂漠の夜、焚き火を囲みながら、老爺は男に尋ねた。
「そなたの探し物とはなんだ」
 数十年の時がすぎた。壮年だった男はもう老年に差し掛かり、顔には深い皺が刻まれていた。黒々としていた彼の髪に、白髪が混じるようになっていた。それでもまだ、彼の探し物は見つかっていなかった。

 長い沈黙のあと、彼は答えた。

「俺は竜を探している」
「なぜ竜を求めるのだ」

 老爺は髭の生えた口元にうっすらと笑みを浮かべた。老爺は自分の好奇心が満たされる回答を期待していた。

「竜の肉を喰らい、永遠の時を生きるためだ」
「なぜ人は不死を望む。大神は罰として竜に永遠の生命を与え、鍋の中に閉じ込めた。不死とは罰だ」
「愛する神よりも長く生きながらえ、彼女の死を見届けるためだ」

 男と老爺はしばし見つめあった。老爺の眼は昏く、深く濁り、色彩を喪っていた。

「そなたの愛する神とは」
「この世界でたった一人、鍋蓋を開く力を持つ者」

 老爺は立ち上がり、夜空を仰ぎ、天に向かって大笑した。老爺の激しい咆哮は大地を揺らし、砂を巻き上げ、渦となり、男は竜巻に巻き上げられ空高く飛んだ。

「そうか! おまえが匙を与えられた御子に付き従ったという、くだんの人間か!」

 乾涸びていた老爺の体に水気が漲り、その肉体は爆発的に膨張した。棒のようだった脚は大樹の幹のように太くなり、皮膚は砂漠の岩に住む蜥蜴のように硬く厚くなる。老爺の影は岩山のような大きさの竜へと姿を変えた。

 竜がふぅと息をひと吹きすると、空を舞っていた男が竜の頭上に落ちた。

「友よ。私はもう疲れてしまったのだ。この肉体をそなたにやろう。さあ、殺してくれ。」

 男は竜の太い頸に腕を回した。両腕に力を込め、竜の頸を締め上げた。竜は苦しみ、やがて絶命した。

「ありがとう。友よ」

 男は息たえた竜の耳元で告げた。
 男はそれから何日もかけて竜の肉体を分解し、その全てを秘密の洞窟に運び込んだ。竜の肉は一欠片口にしただけで十年寿命が伸び、十年分若返る。竜は自分の肉が愚かな人間の手に渡ることを恐れていた。

 男は乾物に加工された竜の肉を喰んだ。すると男の髪はみるみるうちに黒くなり、皮膚は瑞々しく、かつての青年だった頃の姿に戻った。

 男は竜の眼球を抉り出し、潰れた自分の右目に嵌め込んだ。鍋の蓋が開くところを、友に見せるために。

 男は女が待つ泉に戻った。

 女は男の姿を一目見るなりすべてを理解し、その場に泣き崩れた。

「こんな業を、あなたが背負う必要はない。あなたはこれ以上苦しむべきではないの、イザナ」

 男は泣きすさぶ女の肩を抱き、言った。

「俺はシャルハよりも永く生き、シャルハが死ぬのを見届ける。それが俺の望みだからだ」


宵明記 13章 7節

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