以前から考えていた退職の話が最近になってぽんぽんと進み、ついに退職することが正式に決まった。 5年半前の私は、今の職場に就職することだけが"成功"だと思っていたので、一生懸命就職試験に臨み、自分と向き合い、悩みに悩み、苦しんだ。 就職が決まった時は、本当に本当に嬉しかった記憶がある。 それだけに、退職する決断をするまでに何年もかかってしまった。 でももう、そんな情に引っ張られた考えをするのはやめようと、休職を何度も繰り返して、周りに迷惑をかけすぎなくらいかけてから、やっと
初めて、1か月の振り返りのnoteを月末に書き忘れてしまい、少しむっとしている。 いつもと環境が違うからかな。 新しいことが始まるところだったからかな。 今年2回目のライブ ずっと楽しみにしていた、Mrs.GREEN APPLEのライブへ。 大好きな音楽を体と心で存分に浴びて、たくさんのパワーをもらった日。 自分でも驚くくらいにはしゃいで、叫んで、歌って、踊って、あまりにもへとへとになった日。 とっても心に残った日。 できないこと この月の初め、新しい仕事を始めたの
お金がない。 やる気が湧かない。 仕事が続かない。 ストレス耐性がない。 ないばかりだ。ないを数えてばかりだ。 お金を使うことも、稼ぐのをやめて仕事を休んでいたことも、自分で選んだことだ。 やる気が湧かないのも、仕事が続かないのも、頑張らなくていい方の道を自分で選んでいるからだ。 自分で自分を馬鹿に思えてしまうくらいストレス耐性がないのも、考え方を改めようと努力していない結果だ。 もう大人なのだから、自分のする選択に責任を持たなくちゃいけないのに、見た目だけ大人で、
もう、ひと月を振り返る日が来たなんて、信じられない。 日々が過ぎるのは、本当に早いね。 秋、到来 私が一年で一番好きな季節が、やっと、やっとやってきた。 雲が優しさを帯びていて、風が爽やかで、葉が少しずつ色づいて。 外に出るたび嬉しくて、スキップしてしまいそうになる。 鼻から目一杯、空気を吸う。 秋に撮る写真は、なんだか切なくて、物悲しいような気もする。 そんな哀愁漂うところも、好き。 自分に一番似合う季節だとも、思う。 過去の切ない思い出を振り返るのなんかも、秋が
幸せになれない病だった私、雨読は、幸せを掴むのが少し前に比べて上手くなったように思う。 普通の(?)人は、幸せについてなんて考えないとは思っていて、それでもなぜ私は考えるのかというと、幸せを感じられない状態がとてつもなく怖いという感覚を持っているからだ。 けれども私は、あまりにも幸せになろうと思い過ぎていて、幸せが何なのか分からなくなったり、満たされたいと思い過ぎてしまったりと、少々、いや、結構、傲慢になっていた。 幸せで恵まれていると感じることを数えるという、とても機
私がこんなに消極的で受け身で自信がないのは、学生のうちについた傷と、生まれ持った特性(遺伝)のせいだと思う。 もう、人のせいにしてしまおう。 私だって消極的で受け身で自信がない人間になりたかったわけではない。 人のせいにしてしまえば、必要以上に自分を傷つけなくて済む。 人のせいにしないと、もう自分という形を保てない。 人のせいにするけど、その人を傷つけることはしない。 いいよね。いいよね。 家族を除く私を取り巻く人たちは、自分と真逆な人が多くて。 行動力があって、自信があ
生きづらい。 日々、生きづらいなあと思いながら生きている。 私の生きづらさの中には、これまでnoteに書いてきたように色々なものがあって、その中に“ADHDっぽい”というのがある。 なんかおかしい、と強く感じ始めたのは大学生の頃で、主に自動車学校やバイト先で苦労することになった。 気付くきっかけが、ネットで調べるところの、いかにも“大人のADHD”って感じだ。 これを読んでくださる方が想像しやすいように、具体的に書き出してみると、こんな感じです。 ・来た道を帰れない。
失敗や最悪、苦手、不安をかき集めて数えるのがとっても得意な私は、不幸を作り出す天才になった。 いつから得意になったのか、なぜ得意になってしまったのか。 そんなことを悶々と考えるより、これからどうなりたいか考えたい。 そう思うようになった私、雨読は、“わくわくするとやる気が生まれる”というメカニズムに気づいた。 今更?今更でもいっか。 自分の中の好きやときめきが刺激されると、とってもわくわくして、うきうきして、心の中も目の前も、なんだか色とりどりになる。 用のない時間は
変わらない不安定さ 抱えているタスクが大きいとか、誤った選択をしたとか、自分の嫌なところに気づいてしまったとか、そういう些細なこと一つひとつに敏感で、やっぱり心が沈んでしまう。 “気にしない”という簡単とも思えることが、自分にとっては一番難しいのだと感じる日々だった。 直したい思考の癖がたくさんある。 この数年で、いくつもの癖に気づくことができたのは良かったけれど、直すことはできないのかもしれないと悲しみに溺れることは多い。 そうやって、全部を辞めたくなってしまうという
1か月くらい調子が安定している気がして、振り返ってみるとたったの2週間だった。 良くも悪くも、私はこのくらい調子が良い日が続くと、"もう絶対に大丈夫だ!"と自信がついてしまう。 今後一切、調子が崩れることはないだろうと本気で思ってしまう。今も思っている。 思っているからこそこの記事を書くのだと思う。 それでも、一番酷かった4年前と比べて、3年前、2年前、1年前と比べても、ずっとずっと、良くなった。 死にたいということしか考えられなかった日々から、少しずつそれを考える時間
もう7月が終わるんだってさ。早いね。 あと少し 今月は調子の良い日が大半だった。 一度だけ、本当に一時的に全部が嫌になって、投げ出したくなってしまったけれど、それ以外は自分のことが大事にできたと思うし、日々を楽しめた。 これはこの4年の間に何度も思ったことだから、自分を信じきれないけれど、心の調子が安定してくれるまで(=死んでしまいたいくらい調子の悪い日が無い)、あと少しな感じがする。あと少しであれ。 そこに向かう努力はこれからもしていきたいと思う。 仕事デビュー
私は、ずっとわがままで、いつも、今を幸せだとあまり思えなくて。 それを苦しいと思いながら、でも、どうしたらそこから抜け出せるのか、分からないまま。 自分で自分に、「それって悲劇のヒロインになりたいだけだよ。」と何度も言ってみたりしたけれど、そうではなさそうで。 だって、私にも幸せを感じられる瞬間は確かにあって、そういう時、「幸せ。」って口にしながら、涙が出そうになるから。 それはきっと、一瞬でも幸せを感じられて、心から嬉しいという気持ちと、このあと来るかもしれない孤独を
ジャーナリングをしていて、これから大切にしていきたいことが見えてきたので、まとめてみる。 自分を大事にすること 自分を大事にすることについてはこの記事で書いているけど、今の自分はどう考えるか。 自分を大事にすることって、自分で自分を認められるってことだと思う。 今日はこんなことができたとか、こんな考え方、こんな発言ができたとか、自分のこんなところがいいなって思えたりとか。 具体化すると、部屋がいつも整っていたり、筋トレを続けられたり、毎日お風呂に入れたり、ポジティブな
6か月とはんぶん。 私が仕事というものから離れて過ごした期間。 なんだか唯一無二で、あまりにも長く感じる期間だった。 働かなくてよい楽さと本当に働かなくていいのかという不安。 仕事のことを考えなくてよい時間とどうしたって考えてしまう頭。 無職という晴れやかさと自分には何もないというような喪失感。 好きなものを買ったり食べたりする楽しさと同時にどうしても考えてしまうお金のこと。 前職から離れた解放感と毎日のように見る前職の夢。 自分がした選択に、心を守られたり、ぐちゃぐち
無職生活はつづく 『5月を振り返る』という記事に、「6月に入ったら仕事が始まる」と書いたのだけど、始まらなかった。 仕事を始めるための手続きに想像以上に時間がかかっていて、結局今月も私は無職だった。 お金がない。あるけど、どんどんなくなっていく。怖い。お金が欲しい。 そうは思っても、お金を使わない生活はそれはそれでストレスが溜まってしまうので、結構普通に使っている。 お金がない。働きたい。 圧倒的体調不良 今月は圧倒的に、体調の悪い日が多かった。 原因はふたつ。 ひ
私の中の何かが原因で苦しくなっているはずなのに、気づけば苦しいと思うことの多さに苦しくなっている。 苦しくない時と苦しい時のギャップにも苦しめられる。 苦しくない時、誰かとの楽しい時間が終わりを迎えようとすると悲しくなる。 楽しい時間の後、苦しい時間が来るのが怖くてしかたない。 中学の頃、ある人から3年間嫌がらせをされた。 その人の友達に私の悪口を言ったり、私の見た目や動作の悪口を周りの生徒に聞こえるように大きな声で言ったり、ばい菌のように扱われ、物を遠ざけられたりした。