幸福について。
私は、ずっとわがままで、いつも、今を幸せだとあまり思えなくて。
それを苦しいと思いながら、でも、どうしたらそこから抜け出せるのか、分からないまま。
自分で自分に、「それって悲劇のヒロインになりたいだけだよ。」と何度も言ってみたりしたけれど、そうではなさそうで。
だって、私にも幸せを感じられる瞬間は確かにあって、そういう時、「幸せ。」って口にしながら、涙が出そうになるから。
それはきっと、一瞬でも幸せを感じられて、心から嬉しいという気持ちと、このあと来るかもしれない孤独を、強く恐れる気持ちと。
いつから、自分や自分の人生に、減点ばかりするようになっただろう。
何が原因かとか考えるのは、もう辞めたい。
いつの間にか、人のせいにしてしまうから。
それでも、上に書いたように、自分のした選択によって心が満たされた時、一瞬だとしても、私は幸福を味わうことができる。
減点するのが得意になってしまったけれど、きっとそれは、何かを感じたり味わったりする力が人一倍あるからで。
そのうちの悪いことばかり、不都合なことばかりが目についてしまうのは、私(だけ)のせいではないのだと思う。
人間はそういうものだと、何かに書いてあったから。
それと、良くも悪くも、私にはいつも目標があって。
憧れの人に一歩近づきたいとか、自分の部屋をこんな雰囲気にしたいとか、将来はこんな家庭を築きたいとか。
目標をいつも心に留めながら、頑張りすぎてしまうのか、意識しすぎてしまうのか、思いが強いほど心が折れてしまうのも早くて。
いつの間にかまた、減点ばかりになっている。
そういう自分の悪い癖に、気づけているだけまだマシだよ、と思ったりする。
でも、感じたり、味わったりする力があることも、目標と向上心があって、それらを強く思えることも、きっと素敵だ。
それがいつも、悪い方向に行ってしまっているだけで。
自分の失敗や起こってしまった不幸を幾度となく頭の中で繰り返す代わりに、楽しい、美味しい、嬉しいを、濃く感じて、深く味わいたい。
目標に向かって真面目に頑張りすぎる代わりに、小さな努力を繰り返しながら、海に浮かぶように、何かに身を任せてみたい。
幸福と自分はかけ離れていて、別々で、いつまでもそこに辿り着けないことが、ずっと怖い。
辿り着けないと思う度、生きているのを辞めたくなる。
そんなのわがままだ。分かっている。
幸福に辿り着こうとすること自体、きっと間違っているのだと思う。
頭で分かっていても、それを頭と心と体ぜんぶで理解することが、ずっと難しい。
でも、そうなんだと思う。
そのことを理解し、心の底から思えるのはいつだろう。
幸福を感じられるように、私はいつも、幸せを数える。
美味しいご飯が食べられる。
生活に困らないくらいの、お金がある。
居心地良い、自分の部屋がある。
車があって、いつも好きな所に出掛けられる。
私のことを理解してくれている、友人がいる。
毎日、あたたかい布団の中で眠れる。
自分を表すことのできる、声や音や言葉がある。
毎日数える。文字にする。
それでも幸福を感じられない心地なのは、何故だろう。
何かに感謝する気持ちが足りないんだろうか。
幸せを幸せと感じて良いことに、自信が持てないのだろうか。
何かに満足することが、いつからかな、いつも怖い。
私が幸福を思いきり抱きしめられるようになった時には、こっそりと、でも盛大に、お祝いしよう。