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幸福について。(2)

幸せになれない病だった私、雨読は、幸せを掴むのが少し前に比べて上手くなったように思う。


普通の(?)人は、幸せについてなんて考えないとは思っていて、それでもなぜ私は考えるのかというと、幸せを感じられない状態がとてつもなく怖いという感覚を持っているからだ。

けれども私は、あまりにも幸せになろうと思い過ぎていて、幸せが何なのか分からなくなったり、満たされたいと思い過ぎてしまったりと、少々、いや、結構、傲慢になっていた。

幸せで恵まれていると感じることを数えるという、とても機械的にしか幸せを考えることができずに、自分は幸せだと言い聞かせるばかりだった。

そんなのではなく、もっと肩の力を抜いて、海に浮かぶように、物事を捉えればいいのにと思いながらも、あまりに難しくてできずにいた。



でも、最近少し変わったと思う。

半ば無理やりに、幸せだと思うようにしているところもあるが、それを繰り返すうちに、幸せというか、有り難いなと思うことが増えた。
傲慢さが少し減ったような感じだ。

そう思うようになったきっかけのひとつが、藤井風のライブに行ったことだと思う。

彼の音楽を、真夏の夕暮れ、風に吹かれながら聴くうちに、肩の力が抜けていって、自分はたくさんのものを持っているんだと思った。
なんだ、全部ここにある。
自分は満たされたいと思いすぎていた、求めすぎていた、と。
それは彼の創る音楽にも、ライブ中に彼が口にする言葉にも表れていて、頭で理解するよりも先に、体に溶けていった。



自分が持つ幸せのハードルがきっと高すぎたし、求めすぎるあまり幸せを感じられない今の自分を放って、未来の自分に全てを託して期待しすぎてしまった。
だから自分の中で、“幸せ=辿り着くもの”になってしまっていたのだと思う。
本当はもう持っているし、その辺にたくさん転がっているのに。



そうやって、幸福に対する考え方がだんだんと変わっていって、また、今この文章を書きながら頭の中が整理されて、そうだ、と納得ができている。

それでも未来の自分に託しているところはまだあって、未来が少し怖いけれど、どうなるか分からない未来があることも、考えてみればとても幸せだ。



今あるものや事にいつも感謝して、時には無いものを数えてもいいけれど、それよりは有るものを数えて、本当の意味で謙虚に、日々を過ごしたい。

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