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(嘆き)

私がこんなに消極的で受け身で自信がないのは、学生のうちについた傷と、生まれ持った特性(遺伝)のせいだと思う。

もう、人のせいにしてしまおう。
私だって消極的で受け身で自信がない人間になりたかったわけではない。
人のせいにしてしまえば、必要以上に自分を傷つけなくて済む。
人のせいにしないと、もう自分という形を保てない。
人のせいにするけど、その人を傷つけることはしない。
いいよね。いいよね。



家族を除く私を取り巻く人たちは、自分と真逆な人が多くて。
行動力があって、自信があって、積極的で、主体的で、明るい。
そういう人たちに優しくしてもらえること、ずっと仲良しでいられること、嬉しいけれど、凄く苦しい。
苦しいと思ってしまうこと自体も私の暗い部分で。

でも、そういう孤独を感じることが、とても多い。
憧れたら憧れただけ、苦しくなる。一人になる。

自分とは真逆の人の考えを受け取ると、まるであなたは駄目だと言われているような気がして、きっと、気がしているだけで、自分で自分を傷つける。

自分みたいな人間が居てもいいじゃん、悪くないじゃん、と思える時間もあって、でも思えない時間の方がはるかに長くて、胃が痛くなる。



ここに書く記事も、もう少し明るいものにしたいなと思うのだけど、出てくるのはこういう雰囲気のものばかりで。
読んでいて楽しくないものだとは分かりながら、いつも吐き出すように、書いています。



でもね、あるんだよ、いいところ。
私にも。絶対に。
それだけは、この数年で知って、確かだと言える。

でもそれが掻き消されてしまうほどに、どす黒いものがまだまだ自分の中にあって。
いつもはそれを見ないように、気付かないようにして、生きている。
まるで解決したかのように、全てが解決されないまま、生きている。

でもずっとは無理で、どこかで思い出して、やっぱり私って駄目だよね、と思う。



分かっています。
自分には白と黒しかないこと。
悪いところばかり見ていること。
完璧を目指しすぎていること。
必要以上に卑下していること。
失敗を恐れすぎていること。
自分にばかり矢印が向いていること。

分かっているのに、直せていないことが、分かるから、苦しい。



過去や未来に囚われるなと言うけれど、子ども時代を、学生時代を、どう生きたら今の自分がもっと良くあれたか、そこに上手くやるヒントがある気がして、考えてしまう。
これって悪いことですか。



今、頑張っていないけど、自分なりに、上手くやれるように努力して色々直していて。
考え方とか、生き方とか、そういうところ。

そんな時に、体の一部が震えてしまうことが増えてしまって。
社交不安障害っていうものらしく。

震えてしまうだけで、それだけなんだけど、それだけがまた凄く苦しくて。
多汗症とか、ADHDとか、名前をつけようと思えば自分には幼い頃から色々あるとは思っているけれど。

色んなことを邪魔してきて、不安なんて吹き飛ばしちゃおうとするのに、"不安"の感情ばかりに毎日毎日支配されて、仕事するにも、家族と過ごすのにも、友達と会うのにも、恋愛するにも、全ての邪魔で。

普通になりたい。



自分だけの感覚か分からないけれど、どす黒いものに飲まれて凄く凄く苦しい時より、ちょっと上手くやれていて、そんな時にほんの少し上手くいかなかった何かがあって、そういう時に、一番、一番何もかも辞めたくなる。



ただでさえ気分の波が大きいのに、4年前からもっと大きくなってしまって、どうしたものかと思う。
それも少しずつ、少しずつ、小さく、少なくなってきているけどね。



カッターを使うように、物理的でなくても、そうやって、いつも自分で自分を傷つけているんだなと、気付くことができたのは最近のこと。

気付けただけ、よかったね。



自分に甘くではなく、自分で自分を守れるように、なりたいね。

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