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命尽きるまでの旅路は果てしない希望の連続

vol.88【ワタシノ子育てノセカイ

どんなに理不尽だろうと流れができると止められない。流れそのものが現在地でしかないから。

止められない流れは、今この瞬間の姿。どれほど哀しくても、怒りがこみあげても、情けなくても、今の姿でしかない。

痛くても今の瞬間を深く見つめるんだ。すると流れはゆるやかに、希望の未来へと向かってゆくから。

ところで私には「実子誘拐」で6年以上離れて暮らす、10代のふたりの息子がいる。

2024年7月5日。下校する次男ジロウに会いに行く。実は前日の木曜日が月1マクドの密会日だったんだけど、短縮授業に私が気づけなくてすれ違ってしまったんだ。

この春から定期的に会えなくなっているから、情報が錯そうしやすく…というか心が乱れやすいのか、できることを忘れがち。柔軟に動くには土台ありきだな、と不安定な空を眺めながら、フト耽る夏の始まりを過ごしている。

なにともあれ約束を果たせなかったお詫びをジロウにすべく、いつもの集合場所へ向かう。

車を停めて5分ほどすると山裾に子どもたちの列が現れて、ジロウがすました顔してこちらに近づいてきた。ランドセルをおろしながら後部座席のドアを開けようとする。どうやら車に乗るらしい。

身軽になったジロウに昨日について謝ると「なんでこれへんかったん?」とすぐさま尋ねてきた。下校時間を調べ忘れていたと伝えると、ジロウは納得したようすで解決策も提案してくれた。

スッキリしたのか「ほなマクド行くで!」と先導するジロウ。どうやらマクドに行くらしい。あぁ、私は幸せだな。

実子誘拐以降、暮らしの分かち合いがない子育てをして7年目になるが、年月を重ねるごとに子育ての難しさを感じている。親子の日常がなくて、親が子を見守る時間がないから。

何かするための過程をサポートしずらくて、目的と手段がごちゃごちゃにななってしまうんだ。言い換えると、子らが自分の感情に無頓着になったときのサポートができなくて、どうにかならんもんかと頭をひねっている。

たとえばお迎えの時間がズレてしまった問題について。つまるところジロウが私に会いたいか会いたくないかで、その希望のためにどうするかだと私は思う。まず自分が「どう感じているか」をわかっていないと、人はなかなか動けなくて「どうするか」まで考えつかない。

今回のジロウにおいては、私が迎えに来なくても、ジロウが会いたいのであれば、帰宅後に会いに来れるし連絡して呼び出せる。また、私が時間を間違えないように、ジロウが前もって伝えることもできる。実際、ジロウはできていたし↓↓

前述したジロウの解決策は、ジロウがどうするかではなく、誰かにしてもらう提案だった。

できる誰かに自分の仕事を振れているよさはあるが、結果が基本的には他力本願となる。しかもジロウはたぶん無意識で仕事を振ったので、自分の責任を放り投げている状態ともいえるんだ。

もし無意識だったら、結果が伴わないとあらぬ苦痛を味わってしまいがち。人のせいにして、人に任せた自分の存在を、自分で消してしまうから。

感情をおざなりにさえしなければ、自分の希望がちゃんと現れて、叶えるための挑戦を誰もが必ずできるんだ。

マクドからの帰り道。長男タロウには伝達済みの、夏休みのマレー半島縦断の企画をお知らせした。ジロウは「そら行くやろ!」と声を弾ませた瞬間「でも行けるかな…」と息消沈。感情が忙しい。

期限切れのパスポートを気にかけるジロウに、再発行には親権者の委任状がいる旨を伝えると、ジロウはすかさず口を開いた。

「お母ちゃんができるんは2年後やっけ?」

法改正についてジロウは気にかけていたらしい。共同親権法の施行は2年後の2026年の4月といわれていて、成立と公布された今年の5月にジロウも概要を耳にしている。

私は共同親権にするための親権者の変更手続きをするつもりはない。ジロウには理由も添えて5月に伝えたが、実際にどうするかは二人でこれから相談することになっている。

ちなみに15歳のタロウは、私の親権をもう求めていない。そもそも施行時には成人する。そういや私が親権を失ったときのタロウの年齢は、今のジロウと同じ12歳だった。タロジロと離婚の話し合いをしたとき「何年かかってもお母ちゃんが親権を持ってほしい」と主張した12歳のタロウを思い出す。

「離婚しないで」じゃなくて「親権を持ってほしい」のタロウの意味するところはシンプル。父親とも母親とも、ただただ一緒にいたいだけだったんだ。

言葉になって現れたジロウの想いと、人生の縮図でもある旅の企画が、なんだか私の中でゆらゆらと滲んでいく。

信号待ちから右折して「パスポートは法的な手続きがいるから親権が関係するけど、タロジロとお母ちゃんが会ったり旅行したりするんは、親権なくてもできるんやで。親子やからな」と私はジロウに話しかける。

するとジロウは「わかってんで」とフロントガラスの奥を見つめたまま返事した。マクドで飲み切れなかったコーヒーの香りが、車に揺られてかほのかに漂う。

夏の旅行については、私から父親に伝えてほしい、とジロウは希望した。

バイバイ直前、ジロウは私と10日に会う約束をする。父子で交わされた何かによって、この4月に下校中の密会を急遽やめ、母の車には乗らないと決めたジロウ。ほなどないして会いますねん、として3つのプランA.B.C.をジロウが立てる↓↓も、理想のプランAは風前の灯。

私は風を遮る役目を積極的に担いたいが、ジロウからはステイを言い渡されている。

意図せず流されているんだか、ちゃんと流れているんだか。

7月10日、ジロウと再会。7日に伝達済みのマレー半島縦断の企画は、タロウと父で処理されたらしく、ジロウの耳に届いていないとわかった。

なんでタロウは知っているのに、自分は聞かされていないのか、自問するように「なんでやろ?」と小さな声をあげるジロウ。なんせ今回が初めてではない。ジロウの意見は折々で問われずに、いつのまにか決定されて、事後報告すらないときもあるもよう。

自分で流れたくても、押し流されるような日常が、7年目となるジロウさま。過程をすっとばし、可否や正誤で解を求める人生を、どうか我が子が歩みませんように。

タロウと私のやり取りの結果、私から再交渉する予定を伝えると、ジロウはすんなりと賛同して、海外に行きたい理由を話してくれた。

「日本以外の国に行ってみたいねん。行ったことあるけどもう覚えてへん。違う国も見てみたいねん。ジロウは日本しか知らんから」

日本と違う国で私たちが親子をしていたら、どんな暮らしがあったんだろうな。日常じゃなくていいから、旅のつかの間だけでも、親子として暮らしてみたい。



2017年9月ナシレマ食す
この食べ物は辛くないだろうか…
と訝しげな5歳のジロウさま
当時30円くらい

日本は子どもの拉致国家
家族を破壊して今の日本をつくりだしてきた理由がわかります


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