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利己的な遺伝子🧬赤🟥が赤🟥でなくなるカオス🐜リチャード・ドーキンスによる「ミーム」のコピー戦争🪖「ヴァンパイア🧛は被害者の服👔を着る」


1:赤🟥が赤でなくなるカオス〜フッサールとウィトゲンシュタイン

1977年ノーベル化学賞を受賞した
イリヤ・プリゴジン
「散逸構造」の説明に用いた
赤🟥が突然🟦に変化する
BZ反応=ベロウソフ・ジャボチンスキー反応
ご存知ですか⬇️⬇️⬇️

そしてこれは決して化学分子だけの話ではない。

人間がほとんど同一人であると言えぬほどの
大きな変化を受けることがしばしば起こる

スピノザ「エチカ」第4部 定理39

もし「赤で球形」だったものが
今では「緑でくぼみ形」にしか見えなくなっていて
フッサール
経験と判断」(1-1-§21)  で
説明しているように
赤で球形」がつづくとかんがえられていた
以前の統覚」が廃棄、抹消され
緑でくぼみ形」へと「解釈をあらためられ
もはや同じものが
緑のくぼみ形にしか見えなくなる
意識の変容
が起きていたとしたら?

二つの色が同時に
視野の同じ場所を占めることは不可能である

ウィトゲンシュタイン 論理哲学論考 6・3751

予期できないある時点で
突然別個のアトラクタに引き込まれ
別の軌道へと散逸するカオスの
スイッチングを
解離の専門家パトナムは「解離」と呼ぶ。
所謂「キレ(切れ)る」とか
気が「違う」という精神現象において
「想像している」は
「目の前で見ている」とは確かにちがうものの
なにが期待されているのか」が
「そこに見える
」ようになるのであり 
     (ウイトゲンシュタイン哲学探究§451,452)
記号は「使われる」ことによって
「呼吸」し(同§432)
言葉ではそのちがいは度外視される」
        (同上 §443,446、ref:272-280) 
人間だって歩く「分子」だ

2:  利己的な遺伝子🧬の作る「折れ線」📈スピノザとフェレンツィ

ウィトゲンシュタインのみならず
フッサールも
経験と判断」(1-1-§21)  で
期待=予期志向性
認識の切断=解離を引き起こすことに言及している
もはやそれは信仰と呼べるものだ

強度の異質性は当人の人生を破壊する。
あるときはある傾向が、あるときは別の傾向が優位となって、人生が折れ線の連続以外の何ものでもない人がいる

ウィリアム・ジェイムズ「宗教的経験の諸相」

どう言うことか?
スピノザによると
常に同一な自然=必然の関係 (第三部序文)を
解体「自殺」させ得るのは 常に
外部の原因」 (スピノザ「エチカ」第四部 定理20)
侵略者=利己的な遺伝子である

利己的な遺伝子」を
共に扱っていると言える
チャールズ・ダーウィン
リチャード・ドーキンス
徹頭徹尾
ドーキンスが遺伝子を追求したのに対し
ダーウィンは生き物を書いた
ダーウィンには動物愛❤️がある💕
これが両者を比較しての読後感想だ
だからと言って
ダーウィンの方が優れているなどと
言いたいのではない。

コピーライターでもある (笑) ドーキンス
にとって
人間を含む動植物は「生存機械
自己複製子の「乗り物
ジーン (gene)だけでなく
ミーム」(meme)  (文化、記憶)を
「脳に寄生」させ (chap.11)
模倣=自己コピーを
継承させるヴィークルに過ぎないのだ
今の若者は幸いだ 
Kindle版があるので
上記キーワードを入力すれば一発
読むべき場所に導かれる。
面白過ぎて
読み出したら止まらなくなること 必至だが 笑😆

3: アリ🐜の母殺しとミーム🧬のコピー闘争

ジーンのみならず
ミームは
自己のコピーを作り出そうと「互いに競争」 (chap.11)
残忍な行動をも平気でとる

ドーキンスの「利己的な遺伝子」13章で
挙げられている「アリ」の例を挙げよう
コヌカアリ🐜の女王が
自らのコピーを増やすために
別コロニーのアリの巣に忍び込み
真っ先に行う行動は❓❓❓
なんだと思いますか?
母殺を殺すこと

こうすることで
孤児となった🥹アリ🐜ワーカーたちは
母のコピーではなくなり
女王のコピーとなる。

ヒメアリにおいてはもっと恐ろしい。
侵略者=女王ありは自らの顎を用いず
子どもたち自身に
自分の母親を殺させる。
この
「母殺し」は強力かつ最も有効なミーム操作として
人間も
同じ生存機械として用いる。
フェレンツィはこれを「攻撃者との同一化」と
呼んでいるが、人間の場合
寄生者は子ども(寄主)に
生きたまま母を殺させるので
理性の狡猾とも言えよう

虐待者=寄生者のコピー
🟰寄主として新たな進化を開始すると
寄生者の新たな分子スープと
なったコピー・ミームは
赤が赤と思えなくなったと同様
必然の母を忘れるゆえ
母も母でなくなる

もはや誰が

母はあなたが思っている人ではありません。
また別にいるのです。また別にいたかもしれないのです。

カトリーヌ・マラブー「偶発性の存在論」

と言っても無駄だ。
寄生者に寄生されたのだから
このような自然的「関係の解体」を
スピノザは「悪」と呼んだ 
        (スピノザ「エチカ」第四部 定理20;
           中村雄二郎 「悪の哲学ノート」)

笑顔で帰宅する被害者も死んだのだ
みな名付けえぬ攻撃者の腕にとらわれて

ボリス・シリュルニク Inカトリーヌ・マラブー「新たなる傷つきし者」

アリの子による母殺しに用いられた
化学的神経支配の
麻薬は何だったのだろうか?
ドーキンスにおいて説明されてはいないが
人間においては

幼年時代…は私の幼年時代であってはならない

ヴァージニア・ウルフ「ある作家の日記」1929年6月23日

とでもいうような
幼年期の恐ろしい暴力の否定=解離が
麻薬
今の自分が想う小児時代が
自らの小児時代と同じででなくなることで

小児の本性が自分の本性と異なる

スピノザ「エチカ」第4部 定理39

ようになり
幼年期が幼年期で
赤も赤で
母も母でなくなることで
生きながら死に
虐待者=寄生者の遺伝子の乗り物となった
被害者は
寄生者の寄主
寄生者=虐待者の代理として活動する
寄生者=虐待者は上記、女王アリと同様
自らの手を汚すことはない

虐待者は
被害者に「自らの手で」「愛してくれる人」を
「裏切る
ようにさせて最大の満足を得る」。
被害者は
「虐待者の破壊的な目的」(虐待隠蔽) を
彼等の「手駒」として「彼等に代わって実現し」
自ら「愛する人から離れる
」ことで
愛してくれた人を失う
これは「あらゆる強制のテクニックの中で
もっとも破壊力が強いもの」であり、
被害者はここで「背骨(心)が折れる」

ジュディス・ハーマン 「心的外傷と回復」

4:利己的な遺伝子🧬と誰そ彼〜ヴァンパイア🧛は被害者の服👔を着る


こうして
アリの🐜母殺し同様
侵略者=虐待者は
孤児となった被害者を手中に
虐待を隠蔽
コピーを
世代間連鎖させていく
ヴァンパイア🧛の悪の遺伝子は狡猾だ
だって
利己的な遺伝子はちゃんと
知らないことを
知っている…
愛が最も強力なこと知ってるんですから


だから奪うのです。
女王が母を奪い、母となり
母は非母
のコピーの繰り返し
吸血鬼も
被害者の服着て街中彷徨いていたこと
ご存知ですか?  (プラム・ストーカー「ドラキュラ」)
もう
誰そ彼=たそがれ?
吸血鬼=被害者
被害者=吸血鬼
母=非母
非母=母
「ハエに、
ハエ取りボトルからの逃げ道を教えてやること」
が探究の目的だなんて
ウィトゲンシュタインが「哲学探究」(309)でいうけど
焔に飛び込む蛾と同じく
求めるものに「放心
動物的/神秘的合一してしまってる存在に
何をどう伝えられるのだろうか
ハイデガーも アガンペン
以下以上の答えは出せなかった

生物がまさに自分が放心した状態へと覚醒すること、
自己を開かれざるものへと──苦しくとも決然と──開くということこそが、人間にほかならないのである

   アガンペン 「開かれ」   
 








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