むらさき納言

皆さん、初めまして😃 還暦過ぎのブロガー むらさき納言と申します。 専業主婦歴36年…

むらさき納言

皆さん、初めまして😃 還暦過ぎのブロガー むらさき納言と申します。 専業主婦歴36年、いまだ得意料理は ありません😆 某ブログサイトにて、これまでの人生に 出会った人々、出来事などを綴っていま した。  生来の引っ越し体質のため、こちらに移 転して来た次第です😊

マガジン

  • 【みんなで創る】クロサキナオの運営マガジン

    • 68,722本

    このマガジンは「楽しく、続ける」を趣旨として発信してます。まだnoteに慣れてない人は知り合いづくりと記事の共有を兼ねてぜひご参加してみてはいかがでしょう🌹 ※原則1日投稿記事は2本までとしました。ご了承ください。

  • 【共同運営マガジン】みんなのうた

    • 6,413本

    コンセプトは、 書くって 楽しい、嬉しい、気持ちいい! 枝瀬と共に 日々の感動や気付きや学びを 分かち合いませんか? note記事は、 人のこころをたねとした、 「よろづの言の葉」です。 参加した人がすくすく育つ マガジンを目指します。

  • 【繋がろう】シロクロの共同運営マガジン

    • 20,099本

    【コンセプト】新しい出会い・繋がりのきっかけになったら嬉しいです︎︎👍 記事を見て貰えたら嬉しいし、スキも増えたら嬉しいそんな暖かいマガジンにしていきたいと思ってます😊 私自身もnote初心者なので一緒しnoteを楽しんでいきませんか(*・∀・)/💖\(・∀・*)

  • noteのクリエイターさんたちみんなでマガジン

    • 35,257本

    【ルール】 1日にマガジン登録は最大で3回までで、宜しくお願い致します。 【コンセプト】 『楽しく生きる』『みんなで学びながら成長する』『人と人との絆を大切に』という3つの柱をコンセプトにしています。 参加したい方は、参加したいとメッセージで頂ければこちらから招待メッセージ送らせて頂きます♪♪ ※画像は変更しないようにお願い致します。

最近の記事

  • 固定された記事

ペットロスを考える ・哀愁のチムチムチェリー ①

どうも。 かけ算から つまずいてしまい  その後 算数は全くわからなかった むらさき納言です😆 小学三年生の頃、近所に光彦(みつひこ) という一年生の男の子がいた。     通称 みっこ みっこは何故か私に懐いて来て 「なごん、なんかして遊ぼうよ」 年下の一年生のくせに、生意気に私を呼び捨てにし、上から話しかけてくる。 が、そこは寛容に許してやる私。。 その当時、野良犬や野良猫がその辺にウロついていたりして、春先になると仔犬を見かけたりする事もあった。 「あそこ

    • やさしさに包まれたなら…ホスピタルユーミンズ

      どうも。 スナック『花嫁修行』が気になったわりに、実際の花嫁修行は全くしなかった むらさき納言です🙂 コロナウイルスが流行し、肺炎になり、苦しんだ方々もいらっしゃったかもしれませんね。 肺炎は本当に辛いものです… 小学二年生の冬、私は風邪をこじらせ肺炎に罹り、三週間の入院生活を余儀なくされた。 家から程近い所にある『中田内科』 その病院の2階、8人部屋に入院をした。 自分の記憶の中で、この時の治療はオレンジ色のやけに甘い吐き気が出るシロップ薬と、朝夕2回、看護婦さんが注

      • ふるさとはスナックありて思うもの

        どうも。 インスタントラーメンと 学校給食がメイン栄養だった むらさき納言です 😆 小学生も2年目になり、なんとか  タラタラと通学していた。 そんな頃、通学途中に気になる場所があったのだ。 寿司善 (すしよし) という名の、その区域内では有名な寿司屋があった。 その寿司屋の裏手の方にちょっとした呑み屋街があって、これまた気になるネーミングのお店があったのだ。  『 スナック花嫁修行』 ご丁寧に子供でも読めるように、小さく「はなよめしゅぎょう」とかながふってあった。

        • 納言のインスタントメモリー

          どうも。 リカちゃんハウスが悲しい思い出となり、しばらくカンナちゃんで我慢をした むらさき納言です 🙂 朝が苦手ではあったが、学校には なんとかギリギリに登校出来るまでになっていた私。 だから朝食なんてものは、食べたり 食べなかったり。 出されるモノは母いわく  「ほら、ハンバーグだよ」 私は中学生くらいまで、ハンバーグとネーミング表示されている魚肉ハムの事を、これがハンバーグだとずっと信じて食べていたのである。   (これ不当表示だろ…☹️) それも毎回、春夏秋冬。

        • 固定された記事

        ペットロスを考える ・哀愁のチムチムチェリー ①

        マガジン

        • 【みんなで創る】クロサキナオの運営マガジン
          68,722本
        • 【共同運営マガジン】みんなのうた
          6,413本
        • 【繋がろう】シロクロの共同運営マガジン
          20,099本
        • noteのクリエイターさんたちみんなでマガジン
          35,257本

        記事

          セレブな友 気がかりな紗代(さよ)ちゃん

          どうも。 母娘の葛藤を親子三代で シビアに味わった むらさき納言です 🙂 小学校入学後、やっと友人らしき人が現れてくれたのだ。 紗代 (さよ)ちゃん 彼女は他の人たちとは違う別格なオーラを放っていて、なぜに私に近づいてくれたのかは謎。 多分いつも独りで友達が出来ず、ヤサグレていた私を可哀想に感じたのかもしれない…🤔 彼女のお父さんは町にある大手の銀行の支店長さんで、紗代ちゃんは入学と同時にこの町に越して来たのだった。 「むらさきさん、ウチに遊びに来て」 二つ返事で

          セレブな友 気がかりな紗代(さよ)ちゃん

          連鎖は続く 毒親のブルース

          どうも。 ホームセンターで朝顔の種を見かけると、暗い過去を思い出してしまい 顔に斜線がかかる むらさき納言です 🙂 私が小学校に入学する頃、母方の祖母と同居する事になった。 母には長男の兄がいたが、お嫁さんと祖母の折り合いが悪く、引き取った形だ。 祖母は明治43年生まれ 還暦、ちょうど今の私と同じ歳で わが家にやって来たのだ。 (うーむ 実に感慨深い🤔) 昔は年寄りの個室を「隠居部屋」と呼び、食事の時間以外を部屋で過ごしている人も結構いた。 なんだか今で言う引きこ

          連鎖は続く 毒親のブルース

          天に唾吐く 魚屋の高野(たかの)

          どうも。 キリカ山裏側の海上で、恐怖に晒され 泣き喚いてしまった むらさき納言です 🙂 いろいろあった就学前の日々… だが いよいよ私、納言も小学校に入学。 しかし、やはり朝が起きられない  …😢 ふみえちゃんが毎朝迎えに来てくれたが、先に行ってもらう事が多く、そのうち、四年生になり忙しくなったふみえちゃんとは、疎遠になっていった… 毎日 遅刻して登校していた。 自分のクラスには知り合いが居なく 、なかなか学校に馴染めなかった😢 ある日、一年生お決まりの朝顔の観

          天に唾吐く 魚屋の高野(たかの)

          その2 真夏の恐怖腹黒い正男さん

          どうも。 石黒(腹黒)の正男さんに、声をかけ られ、口車に乗ってしまった浅はかな むらさき納言です 🙂 キリカ山の裏側、断崖絶壁を眼前にして始まった、おどろおどろしい話しは、薄ら笑いを浮かべながら語り出す正男さんを、悪魔の化身のように思わせて行った 😨 「それでな、大っきい岩が落ちて来たもんだからよ、慌てて海に走る奴やら、逃げ遅れてしまう奴やら、そりゃあもう大パニックよ。 気の毒な事によ、岩が当たって何人も潰されて、この辺り一帯が真っ赤な血の海になって、大変な事になっちま

          その2 真夏の恐怖腹黒い正男さん

          真夏の恐怖 腹黒い正男さん

          どうも。 苅田燃料店のゴンに命を救って もらったと、勝手に哀愁に浸っ ていた むらさき納言です 🙂 居なくなったゴンに 傷心の日々だったが…😢 やっと 待望の夏が来た 😃 小学生の近所の子供たちは、一斉に 夏休みに入ったので、遊び友達のふみえちゃんと一日中、遊べる事に ワクワクしていた 😍 海がすぐ近くにあったので、海水浴場に行って泳いだり、浅瀬の岩場で 小魚やツブなんかを獲ったりして、アクティブに遊んだものだ。 しかし さらなるアクティブな出来事が… 😓 わが家

          真夏の恐怖 腹黒い正男さん

          その2 苅田(かりた)燃料店フランダースのゴン

          どうも。 苅田燃料店のお兄さんが、数十年後には髪が無くなり、誰だかわからなくなった事に衝撃を受けた むらさき納言です 🙂 前回のお話は、こちら 立ち上がったゴンに驚いて、国道に飛び出してしまった私… その時ゴンは、確かに私を見た。 私もゴンと目が合って、一瞬喜びが走った。 も…束の間💦 気づいた時には、私は倒れていて 身体にタイヤが乗っていたのだ。 それから、少し記憶が飛んだ… 何が起きたのか分からなかった。 オートバイに ぶつかったのだ… 普通こういう時は、

          その2 苅田(かりた)燃料店フランダースのゴン

          苅田(かりた)燃料店フランダースのゴン

          どうも。 幼稚園をサボり、ハードな昼ドラを見ては、胸をモヤらせていた むらさき納言です 🙂 そんなこんなで (どんなこんなよ) 不登園で暇を持て余していた私にある日、事件が起きた。 いや 事故が起きたのだ。 当時わが家のガス、灯油などを配達してくれていたのが、国道を挟んだ向こう側に店を構えていた苅田(かりた)燃料店。 苅田燃料店には、店舗の横に古い倉庫があって、その中に大きな犬が1匹、太い鎖で繋がれていた。 その犬の名前は、ゴン🐕 ゴンは、とても大人しい犬で殆ど

          苅田(かりた)燃料店フランダースのゴン

          脳裏に焼きつく 昔の昼ドラ

          どうも。 黒浜のママと庄野さんの不倫を、温かく見守っていた近隣の大人たちに 、あっぱれをあげたいと思う むらさき納言です 🙂 私、むらさき納言は6歳の頃、徒歩20分の所にある幼稚園に、一応在籍はしていたのだが、殆ど不登園状態であり、家の中でゴロゴロしている毎日を送っていた 😗 悲しいかな、朝が起きれない💦 その当時『かよい』と呼ばれていた家計簿のような帳面があり、それを隣の原木(はらき)商店に持って行けば、買物した品物、金額、日付を記入してくれて、月末締めで翌月まとめて

          脳裏に焼きつく 昔の昼ドラ

          その2 大正モダンな 黒浜のママ

          どうも。黒浜のママの人形たちと一緒に、かっぱえびせんを食べていた むらさき納言です 🙂 前回のお話は、こちら その頃、黒浜のママのところに近所の人たちから庄野(しょうの)さんと 呼ばれていた男性が、足繁く通っていた。 庄野さんは、子供の目から見ても ママより、ひと回り以上は若い感じだった。 彼は、ママの家の掃除をしたり、草むしりなど庭の手入れ、そして人形たちの小物などを作る木工作業をしたりしていた。  多分、人形たちのベッドや椅子も 庄野さんが作っていたと思われる。

          その2 大正モダンな 黒浜のママ

          大正モダンな 黒浜のママ

          どうも。 谷林(たにばやし)の婆さんの庭が、大変危険な場所である事を知らなかった むらさき納言です 🙂 わが家の右隣りが 原木(はらき)商店。 そして左隣りには、通称黒浜(くろはま)のママと呼ばれ、ご近所の皆さん方に、いちもく置かれていた 大正生まれのご婦人がいた。 黒浜のママは昔、飲み屋を経営していたらしく、いつもオシャレで粋な着物姿。 色白で恰幅が良く、ビジュアルから思い出してみると、マツコ・デラックスにそっくりな女性であった 🤔 黒浜のママは着物の腰に前掛け

          大正モダンな 黒浜のママ

          老人たちのトイレ事情

          どうも。 幼少期に隣家の原木(はらき)商店に電話を取り次ぐパシリをやらされていた むらさき納言です 🙂 原木商店主を筆頭に、明治生まれのご老人達。 近所のそこかしこに(特に婆さんたち)点在していた。 日がな、家の前に椅子を置いて ぼんやりしてる(ボケてはいない) 谷林(たにばやし)の婆さん。 自分の孫や、近所の子供らをうるさいと言っては叱りつけている 坂野(さかの)の婆さん。 原木商店の婆さんは、いつも店番。 私、納言も還暦になり、歳を取ったと実感する場面が多々あ

          老人たちのトイレ事情

          公衆電話のわが家

          どうも。 悲しい関谷のおじさんの末路に、胸がどんよりしてしまった むらさき納言です 🙂 その後、引っ越しをしたわが家に、ある日電話がやって来た。 電話と言っても 当然ながらスマホではない。 ガラケーでも、ポケベルでもない。 言うまでもなく 黒電話だ。 当時、近所に電話がある家は非常に 少なかった(昭和40年代前半) 私の親は、ちょっと鼻たかだかな様子だった👺 だもんだから、この黒電話は玄関近くに設置。 近所の人々が10円玉を持って 「むらさきさん、電話貸してねー

          公衆電話のわが家