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やさしさに包まれたなら…ホスピタルユーミンズ



どうも。
スナック『花嫁修行』が気になったわりに、実際の花嫁修行は全くしなかった むらさき納言です🙂


コロナウイルスが流行し、肺炎になり、苦しんだ方々もいらっしゃったかもしれませんね。
肺炎は本当に辛いものです…

小学二年生の冬、私は風邪をこじらせ肺炎に罹り、三週間の入院生活を余儀なくされた。

家から程近い所にある『中田内科』
その病院の2階、8人部屋に入院をした。
自分の記憶の中で、この時の治療はオレンジ色のやけに甘い吐き気が出るシロップ薬と、朝夕2回、看護婦さんが注射をしに病室に現れる。
かなり太い注射器だ。
それをお尻にブスッ ❗️❗️

私は毎日数えていた…
50本近く打たれたと思う💧
点滴治療というものが何故無いのか? そういう時代だったのか?
今となっては謎である。。

始めのうちは高熱で具合も悪かったので、グッタリと寝てばかりいたが、そのうち回復してくるとヒマになり、待合室に置いてある漫画本を見たりしてゴロゴロしていた。
 
同室の患者さんは高齢者ばかりで、寝たきりのような人や、ぺちゃくちゃと喋っている、病人には見えない人などもいた。

小さい病院だから、小児科も内科も一緒くたにしていたのかもしれない。 病室で子供は私一人だった。

今では信じられないが、付き添いさんと言うヘルパーさんのような人が高齢者の患者さんの世話をするために泊まり込んだりしていた。
家族の場合はお嫁さんや娘さん、私にはベッドの下に布団を敷いて母が付き添ってくれた。

だから病室はすごく賑わっていた。
合宿所のような雰囲気になっていて、消灯後に患者が寝静まると、付き添いさん達はデールームに集まり、和気藹々と話しに花を咲かせていた。 そこで嫁姑の葛藤や仕事の愚痴など、患者たちには聞かせられない会話をしていたらしいのだ。

皆んな子供の私には優しく声をかけてくれた。

   ☺️「学校は楽しいかい?」
 😆「ぜんぜん楽しくなーい」

と答えると、穏やかに笑いながらミカンや饅頭をくれたりして、それ以上、根掘り葉掘り聞いたりしない。

「毎日の注射、よく我慢してるね」
「大人しく漫画見てて、偉いね」

皆んな何かしら褒めてくれて、とても可愛がってくれたのだ。 
病院に居ると学校に行かなくても、勉強しなくても誰も怒らない。
患者のお婆さんたちも、付き添いさんの人たちも、皆んなすごくおおらかで優しい。
本当にあったかい空気感に包まれていた。

子供とは怒ったり泣いたり、嘘をついたり、何をやっても出来が悪かったり、大人から見ると思い通りにならない本当に面倒くさい存在なのだが   (私がそうだった😅)
そんな自分をどれだけ寛容に受け入れてくれるのか、親はもちろん周囲の大人たちを無意識のうちに試しているんじゃないかと、この時の入
院生活を振り返ってみて思うのだ。

そんなふうに皆んなに大切にされて、身体も心も癒される日々は過ぎ、退院の日を迎えた。
自宅に帰り、私は夜布団の中で泣いた…  ホームシックにはならなかったのに、ホスピタルシックになるとは… 🥲

私が退院して間もない頃に
「隣りのベッドの〇〇さんが
 斜め向かいの〇〇さんが… 」
次々に亡くなっていったのだった。
とても悲しかった…


学校に行けるようになり、3学期も中盤になっていて、ある日参観日があった。
算数の時間だった。
私は先生に当てられて席を立ち、全く答えられず、ただ呆然と立ち尽くした…😨
家に帰ってから母は、大恥をかいたと烈火の如く怒り出し、大きな紙にマジックで数字をいっぱい書き出した。 それを寝床の天井に所狭しと
貼り付けたのだ。

「これ、ちゃんと憶えなさい❗️😠」

私は入院生活を恋しく思いながら、毎夜必死で憶えた… 泣きながら😭
病院を出るとシャバの世界は、全く寛容ではなかったのだ…


かけ算の

ばかやろう〜〜❗️❗️



😭😭😭


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