幼少期の寂しさ、悲しみに気づき素直に感じきる事~怒りの奥の感情~
その後、父親からの郵送物は届く事は無いままでした。
自分の内側にあった抑えていた怒りは、あの日、自分1人で吐き出して(前回記事)、その後、気持ちは落ち着きを取り戻していました。
いつも通りの日常を過ごしながら、胸に何かがつかえているような、モヤモヤを感じていました。
休日に、好んで見ていたドラマの映像で、たまたま誕生日をお祝いするシーンを見ました。
その途端、突然、涙が込み上げました。
...どうして?...と思いました。
私はその誕生日をお祝いするシーンの、まわりの人が相手の事を大切に思いやる、優しい気持ちに心が反応して、感動していました。
そして、同時に、あぁ... 子供の頃、私は寂しかったんだ... ...。
実は、私は、両親にこんなふうにしてほしかったんだな...。私は、こんなふうに、心がほぐれる温かい気持ちをやり取り出来なかった事が、本当は、寂しかったんだ... と気づきました。
そうだったんだ...と、その時の気持ちを素直にじっと感じて味わいました。
私の家族は、祝い事をしないという宗教教義を両親が取り入れていたので、私は、物心ついた後、誕生日に祝ってもらったり、プレゼント等をもらった記憶は1度もありません。
色々な家族関係や家庭の事情があって、誕生日にお祝いしてもらっている人、いない人、各それぞれで、お祝いしてもらっていない人は世の中にたくさんいる事、それはわかっています。ただ、その頃、私は、子供心に寂しかったんだと思います。
私にとって、大事だったと思うのは、
当時、両親なりの理由があった訳なので、誕生日当日にお祝いをする・しないという事よりも、私は、この家に産まれて来てよかったんだな...と、そう自分の存在を肯定的に感じられる機会が別の日にあったり、お祝いやプレゼントなんて無くてもいいから、何か温かい気持ちが感じられる言葉掛けだけでもあったならと。
子供の誕生、その後の成長、存在を、無条件に喜んでいるよと、伝える機会。そういう気持ちを伝える、心温まる触れ合いや言葉のやり取りがもしもあったなら、もしかしたらそれによって心が救われたり、自分を肯定する事が出来て、嬉しかったかもしれないな...と思いました。
それに、私は、私が低年齢の段階で、自分は両親から愛されていないと思い込んでしまったから、余計に、当時(誕生日を祝う事とは)別のカタチで両親から示されていたかもしれない愛情に、私がもう気づけなくなってしまっていた、という事もあったと思います。
私は、大事に思われていたのかもしれないけど、間違った愛情表現を受けて作ってしまった思い込みで、その事に、早々と低年齢の頃から、もう気づけなくなってしまっていただろう事。
愛情や優しさ、温もりを、受け取れなくなっていただろう事を、とても、残念に思いました。
もっと、私は、両親を、子供心に素直に、愛したかったし、大好きと思う気持ちと同じだけ、私はただ純粋に、愛されたかったんだな...、両親からの愛情を感じたかったんだな...、と。
これがきっと、幼い頃に言えなかった、私の本音本心だった...と、そう思いました。
内側の自分に寄り添い、静かにそう言葉を掛けました。
私は、幼い頃、お父さんもお母さんも大好きだったね...、だから愛されたかったんだよね... ...。
いつからか、私は、愛されていないと感じてしまったから、... ...とても寂しかったし、とても悲しかった ...。
私はただ...、愛されていると、感じたかった...。...それだけだった...。
その時に...、その気持ちを、素直に伝える事が出来たなら...、そして無条件に受け止めてもらえたなら...よかったね...。
... ...辛かったね... そうだよね... ...わかったよ...。と。
もう... ...いいよ。もう... 私自身が、よく、わかったからね... ...大丈夫だよ。と。
たぶん、先日の怒りの気持ちの、ずっと奥に、この幼い頃に感じた寂しさと、悲しみ、そしてその上に蓄積された気持ちがあったのだろうと、思いました。
幼少期の頃以降に、強く感じてしまった寂しさも、悲しみも、今の私が、丁寧に感じて、自分自身で素直に認めて受け入れる事。
自分自身が未完了にして来てしまった感情を、今ここの私が、自分で深く感じきって完了させる事。
そうする事で、気持ちが整理出来て、心が楽になって、私はまた、少しずつ前を向けるはず、と、そう思いました。
自分の中で、未完了だった感情を、感じた時は、可能なら、何度でも、優しく受け止めて受け入れる事。目を背けたり、はぐらかしたりしないで。(無理は、しない事。向き合えない時は、まだ向き合う時ではない、という事。)
まずは自分の気持ち、自分の心、を1番大切にする事。
自分を心地よく癒す事。それが、自分を大切にする事...だと思います。
そして、気づいた後の辛さを一定の時間受け入れて感じて、その度に、ずっとそのまま同じ気持ちに触れ続ける事はしないで、無理なく、ゆっくり、焦らずに、少しずつ気持ちを切り替えていく事、と思いました。
その後は、自然と心の中が凪になるまで、時間の流れに任せました。
そして、私は、出来る事なら、まわりの大切な人達の心が温まるように、愛して生きていこう... 。私なりに伝えられる範囲で、素直な気持ちを、言動で、伝えて生きていこう... 、そう思いました。
花/藤井 風
お読み頂き、ありがとうございました。