イップス克服に向けて010:少し救われた気持ちになった
回答
▶インプットされる情報の質をアバウトからディティールへ
「少し救われた」というお気持ちを、具体的に数値化する習慣を培われますと、やがて9割方救われます。
以前ご紹介しました『テニスノート』による効果と同じです。
たとえばショットの気持ちよさを10点満点中、何点かで振り返る練習をすると、10点満点の再現性が高くなるという話(※注1)。
「すごく気持ちよかった!」だけでは、なかなか気持ちよいショットの再現性は、高まらないのでしたね。
「今のは10点満点中8点」「今のは2点」などと数値化すると、データが蓄積されて、体は高得点を再現する感覚を身につけます。
それはそうです。
インプットされる情報の質が、アバウトで抽象的なままなのか、ディティールの具体に及ぶのかで、全然違いますからね。
▶せっかくのミスを「糧」とするために
あるいは、ボールを見続け、見届けた結果、たとえば何センチアウトだったかを数値化する練習をする。
「ちょっとアウト」の「ちょっと」というのは、抽象的です。
「ジャストアウトはどれくらい?」
初級者にとっては「ジャスト」かもしれないけれど、上級者にとっては全然、惜しくない出幅かもしれません。
あるいはネットミスしたのは、「どれくらい下?」
同じネットミスでも、ネットの上端からボールの上端にかけて「2センチ下」だったか、「30センチ下」だったかでは、その程度が違います。
「ネットした。あーあ」などといって単に悔しがるだけの人の場合、どれくらい下なのかを、「認識できていない」ケースが散見されます。
それでは、ネットミスが改まらない。
せっかくのミスを、「糧」にもできないのです。
それを、具体的には「2センチ下」だったか、「30センチ下」だったかといった具合に、数値化する練習をすると、シビアなコントロールの精度を追求できるのです。
▶数値化すると、ボールに集中せざるを得ない
もちろんそれは、ある程度ボールに集中しているからこそ、できるのが前提。
ボールをよく見ていないと、「何センチ下」なのか、分からないですからね。
換言すれば数値化するには、ある程度ボールに集中せざるを得なくなるのです。
▶「オノマトペ」で打球タイミングの精度がアップ!
そう言っておきながら、あるいは具体的数値化の対局ともいえるかもしれませんけれども、「オノマトペ」も実用性という観点では有効です。
「醤油をもう少し足して」と言われても、どのくらい足せばいいのか、伝わりづらい。
そこを「ピッと足して」とか「チョロチョロチョロッと足して」などというと、感覚的にイメージをつかみやすいでしょう。
「もう少しって、どれくらいなの?」
「少しだから、スプーン1杯分?」
「だとしたら、スプーンの大きさは?」
そうやって連想ゲームの「思考」が始まってしまうのが、巧妙に仕掛けられた自我による罠なのですね。
『究極のテニス上達法~無心で打てば、あなたはもっと上手くなる~』ではこれを応用して、意識による「ああせよ」「こうせよ」の自分に対する指令を黙らせ、集中力を高めて打球タイミングの精度向上を図ります。
▶「適当」であるほど着手しやすい
それはさておき、具体的な数字に落とし込むポイントについて、ここではご説明しています。
「6センチバックアウト」といった具合に、数字で具体的に認識する練習をすれば、やがて誤差が少なくなって、高精度のコントロール情報を追求できるため、「ミスが糧になる」のです。
私は『テニスノート』を、記し続けています。
私の一例として、ショットの気持ち良さや、その日のプレーの調子のほか、出来事や経験を、数値化したりします(ほかにも後述するなぐり書きなども、適当に取り入れます。適当であるほど、書き始めるハードルが下がって、いつでもどこでも、書く気になります)。
内容や体裁は、後述する「モーニングノート」や『ゼロ秒思考』の「メモ書き」と同様に、特に決めなくてよいでしょう。
いえ、決めないほうがよいでしょう。
むしろ内容や体裁にこだわると、頭の中から書き出すフローに、ブレーキがかかってしまいやすいからです(関連記事「『ほんの小さなひと穴』をチョンとつつく」)。
▶感情を数値化する「フレームワークのリフレーム」
たとえば機嫌について10点満点のうち、過去に超ムカついた出来事があり、「0点」をつけた。
だけど今、顧みると、別にどうということはありません。
むしろ「0点」をつけて超ムカついた自分が、滑稽にすら思えます。
ならば今、まさにこの瞬間、超ムカついている出来事があったとしても、やがてどうということはなくなるから、「まぁ、いいやー」というふうなフローになるのが、心の自然な流れなのです。
ノートを使った「フレームワークのリフレーム」。
過去に経験した超ムカツク出来事が、今後はほとんど、ムカつかなくなるのです。
10点満点中、「あー、マイナス2点の8点だなー」といった、気楽な塩梅です。
▶婉曲に表現する「曖昧なコミュニケーションの罠」
ところが世間はとにかく抽象的に表現するから、それはそれで楽しいのですけれども、カオスが収まりません。
「もうちょっと~」「~すぎる」「もっと~」って、一体どれくらい?
主観は人によって違うのだから、収拾がつかなくなるのです。
そのような言い回しをしそうになったら、それらを具体的な数字に落とし込めないか、時と場合に応じて検討してみてください。
「もうちょっと」とは、具体的にあと「何秒」なのか?
「少なすぎる」とは、具体的にあと「何枚」なのか?
「もっと低く」とは、具体的にあと「何センチ」なのか?
「なるべく早く」とは、具体的にあと「何日」なのか?
直接的に伝えるとシビアな印象だからといって、婉曲な表現を用いてしまう曖昧なコミュニケーションは、かえって人間関係のズレを生むのです。
▶こうして「平常心」は培われる
具体化が育まれますと、特にネガティブな出来事に見舞われたときに、救われます。
抽象的だから、「最悪!」などといって、際限なく落ち込むのです。
反面、ポジティブな出来事があったときには、「最高!」とはならないので、喜びが少なくなります。
「10点満点中、9点だな」といった具合に、冷めた感じになる(笑)。
でも、それはそれでよいのです。
一見すると「物足りない」「味気ない」ように思えるかもしれませんけれども、しかしそれも、「平常心」の観点から言えば「望ましい」。
浮かれてしまいませんからね。
ネガティブな出来事があったときに落ち込むのは、ポジティブな出来事があったときに浮かれる精神エネルギーの裏返し(反動)になりやすいのですけれども、その振幅が大きくなるほど、いわゆる「一喜一憂」してしまい、平常心を損ないやすい、つまり揺らぎやすい、脆弱な性格になってしまうのです。
嬉しいことがあっても、手放しに浮かれない。
すると振幅(反動)ですから、逆に悲しいことがあっても、落ち込む程度が今までだと「10」だったのが、「1や2」に収まるでしょう。
▶精神エネルギーも「有限」
そして「エネルギー保存の法則」にのっとりエネルギーが、有限である点も看過できません。
浮かれたり落ち込んだりしなければ、精神エネルギーが保存されますから、「高度な集中力を発揮しやすくなる」道理でもあります。
なので数値化するクセをつける『テニスノート』、よろしかったらお試しいただければと思います。
10点満点でつけるのが面倒であれば、出来事に応じて感情の波を可視化する。
たとえば「明日の試合……緊張(大)」「電車の遅延……怒り(小)」「息子の就職……心配(中)」「別れ……悲しみ(特大)」などと「大・中・小」に分けるだけでも、感情コントロールの練習になりますし、荒れ狂う感情を鎮める実践にもなります。
▶頭の「中」からノートに書き「出す」
とはいえもちろん、具体的に数値化しにくい時と場合もあります。
できる範囲で構いません。
私も日常生活や文章のなかで、「もう少し」とか「ちょっと」とか、「できるだけ」とかいう言い回しを、便利だから使います。
ですから、「完璧」は目指さない。
できる範囲でやれば、十分なのです。
とにかく頭の中で、「怒り続ける」「心配し続ける」「悩み続ける」「悲しみ続ける」のが、精神的にストレスを必要以上に引きずる要因(悲しんだりするプロセスは、必要範囲内であれば心を癒しますけれども)。
そういう思いを、頭の「中」からノートに書き「出す」のが、『テニスノート』の眼目です。
「モーニングノート」や『ゼロ秒思考』による「メモ書き」も、頭の中から「出す」ことを重視しています。
この2つは、「目標を達成する」にも、「アイデアを発想する」にも、「悩みを解決する」にも、「ストレスを解消する」にも、つまり幅広く万能でしょう。
▶脳ではなく、「手」に書かせる
両ノート術は、いつ書くとか、何ページ書くとか、日付や見出しを入れるとか入れないとか、細かなテクニックは違うにせよ、頭で考えずにフィーリングを表現する潜在意識へのアプローチが、内容の「本質」だと思います(だからゼロ秒思考=顕在意識で考えない!)。
2冊を私なりに、やや乱暴に要約すると、「とにかく書け」でいいと思います。
これだけ覚えておけば(そして実践すれば)、大丈夫です。
頭で考えずに、とにかく書くのです。
脳ではなく、「手」に書かせるのです。
自動書記のイメージです(すべての思考や感情も、自分が生み出すというよりも、勝手に湧き出てくる「自動思考」「自動感情」ですからね!)。
そうすると、無意識からのメッセージを、キャッチできます。
(関連記事「文章もメロディもフォームも『降ってくる』」)
▶空いているところは埋めたくなる
ノートでなくても、チラシの裏のほうが書きやすいという人もいます。
紙は惜しみなく、スペースをふんだんに使うと、「空いているところは埋めたくなる」モチベーションが駆り立てられ、ペンが止まらなくなります(関連記事「ボールを見る理由2『動きたがる体になるため』」)。
そして時と場合によっては見返す必要もないから、読めない字のなぐり書きで、文法も正しくなくていいから、ひたすら走り書きし、書いたらグシャグシャに丸めて、ビリビリに破って、捨てても構いません。
「見返さないのに、書く意味あるの?」と思われるかもしれませんけれども、優先順位は頭の中から「出す」なので、まずはそれで十分なのです。
特にネガティブな出来事というのは、正直に書くと「他人にはとても見せられない内容のはず」ですから、殴り書きすると、誤って近しい人に盗み読みされにくい利点もあります(笑)。
▶「ありのまま」にさらけ出さないと、意味がない
他人には見せられないくらい、「ありのままに」さらけ出さないと、意味がない。
それができるのが、テニスに限った内容ばかりではないけれど、『テニスノート』の真骨頂だと思います。
とはいえ慣れてきたら読み返して、感情コントロールの練習をするとよいでしょう。
なお、私の過去の『テニスノート』は、大雨に打たれたりして破れたところをテープで補修などしながら使っています(表題の写真)。
携帯電話以上に、つねに携帯しています。
※注1
ただし試合では、ショットの数値化は「気になる」ので、ご控えいただきますように。「ナイスショットの再現性を高める練習」として、取り入れるようにします。
また試合では、集中力を高めてボールだけを見る『新・ボールの見方』をするのが望ましいと言えます。
即効テニス上達のコツ TENNIS ZERO
(テニスゼロ)
https://note.com/tenniszero
無料メール相談、お問合せ、ご意見、お悩み等は
こちらまで
tenniszero.note@gmail.com