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ピンっとくるスポーツの話

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武藤敬司引退試合をどうやって試合リポートするか?

武藤敬司引退試合をどうやって試合リポートするか?

2・21東京ドームにて、武藤敬司選手が引退試合をおこないました。平日開催にもかかわらず、3万人を超えるファンが集い、本当に素晴らしい大会となったと思います。

その引退試合のリポート的なことを書いていこう…と思ったのですが、これは遠慮させていただきます。古巣の「週刊プロレス」が本誌、増刊号でたっぷりリポートしてくれるので、そちらをご覧いただけると幸いです。武藤選手引退試合は市川亨、井上光の両記者が

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10年半ぶりに再会したHHHが真っ先に口にした言葉

10年半ぶりに再会したHHHが真っ先に口にした言葉

昨夜、WWE Vaultというyoutubeチャンネルから、2003年1月25日に代々木第1体育館でおこなわれたHHH vs TAJIRIの動画が公開された。

どうして今頃になって公にされたのかはわからない。まだYoutubeもtwitterもなかった時代だったし、DVDとして販売されることもなかったので、この試合の映像を目にしたのは初めてである。

当時、オレは週刊プロレスに隔週で旅日記を連載

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色褪せぬ偉大さ―――三沢光晴選手

色褪せぬ偉大さ―――三沢光晴選手

いやぁ~・・・三沢光晴って選手はつくづく偉大だよなぁ。

先日引退した齋藤選手は2009年、試合中の不慮の事故で、三沢選手の命を奪うことになってしまった。その試合の2か月後、三沢選手の知人から、三沢が折に触れて口にしていた「言葉」を書き留めたという手紙をもらったとのこと。この手紙は、三沢から「何かあったら対戦相手に渡してくれ」と託されていたものらしくその内容が・・・
『試合で亡くなることはあっては

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引退について

週刊男色ディーノです。
今週は久しぶりにDDT以外、私のこと以外のプロレス界で起こったことについて書かせて頂きます。
というのも、この出来事に対してものすごく思うところがあったからです。
そのニュースとは、ズバリ斎藤彰俊選手の引退です。

私も、引退を考えることはあります。
というか、ある程度のキャリアを迎えた選手は一度は頭をよぎったことがあるんじゃないでしょうか。
斎藤彰俊選手の引退についてや自

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"TAKE ME BACK TO NOVEMBER"

"TAKE ME BACK TO NOVEMBER"

で、久しぶりに紙にペンを走らせ、簡潔に書き出してみようと思った...
吐き出すことで、プレッシャーから解放されるからか、それとも説明責任を果たせるからか...
まあ、セラピー効果もあるのだろう。

"TAKE ME BACK TO NOVEMBER"

本当に好きな曲の一節だ。タイラー・ザ・クリエイターの "November"。

2017年に初めて聴いたときは心に響いたが、私の人生の中で、さま

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田舎の小さな鉄工所がプロレスのリングを作る事になったきっかけ

田舎の小さな鉄工所がプロレスのリングを作る事になったきっかけ

今回は弊社がプロレスのリング製作に関わりだした過程、苦労話や製作に関するポリシーなどを書こうかと思います。

まだnoteやりだして間もないのでとりあえず色々やってみたくて偉そうに↓のような目次を作ってみました。あとは写真なども入れてよりわかりやすくいければなと思います。

最初は頑なに拒否!その理由は、、

弊社、最近はプロレスを前面に押し出したSNS活動をしておりましてリングを作るところまでき

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あなたで良い、ではなく、あなたが良い

あなたで良い、ではなく、あなたが良い

 ※トップ画像の写真はプロレスリング・ノア旗揚げ前、当時加入していた全日本プロレスのオフィシャルファンクラブから送られてきたものです。

 プロレスリング・ノアの小川良成選手が引退を表明した。

 暫し、呆然とした。
 どれくらいの時間だったろうか。

 三沢光晴選手が亡くなり
 小橋建太選手が引退し

 それでも、三沢さんが立ち上げたノアという団体を私が応援し続けてきたのは、小川良成選手の存在が

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#ZSJtrackoftheday - ザック・セイバーJr.と音楽紀行 -

#ZSJtrackoftheday - ザック・セイバーJr.と音楽紀行 -

※この記事は2022年4月にBloggerで発表した内容に加筆・修正したものです

まえがき

2024年8月18日、夏の両国国技館。英国出身の外国人プロレスラーが日本のプロレス界で頂点を制した。

新日本プロレスの真夏の祭典、G1 CLIMAX 34 決勝戦で辻陽太を破り、ザック・セイバーJr. が初優勝。外国人選手としてはケニー・オメガに続き2人目、英国人レスラーとしては史上初の快挙を成し遂げ

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40を超えたプロレスラー数人が試合後に泣いた理由

40を超えたプロレスラー数人が試合後に泣いた理由

で、こちらは有料版です。

昨日(7月21日)に両国国技館大会で髙木三四郎と私が試合を行ったのですが。

なぜ50歳前後のおじさんが2人して試合後に泣いてしまったのかの解説をする記事になります。

前提の背景を語っておきますね。
何度かメディアやこのnoteで語っていることも含まれますが、(ここは商機なんで多くの人に課金してもらうために)あえてわかりやすく説明します。

私男色ディーノは、20年と

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「プロレスと音楽」
#1【デスマッチのカリスマ】葛西純 入場曲

「プロレスと音楽」 #1【デスマッチのカリスマ】葛西純 入場曲

「プロレスと音楽」というテーマで、まず最初に思い浮かぶのは「入場曲」ではないでしょうか。
試合前の期待感を飲み込むように、静かになる会場。そこに鳴り響くテーマソング! イントロが流れ、ついに花道に姿を現したプロレスラーに観客は声の限りにコールを送り、拍手と共にリングに迎え入れる…という一連の“儀式”は、プロレス興行の中の、ある種のクライマックスといえる場面かも知れません。 
コロナ禍となった現在で

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8月6日のこと(2023年)

8月6日のこと(2023年)

毎年この日に記事を書こうと決めたのは、元・広島東洋カープの四番、栗原健太選手がそうしてくれていたからで、カープを退団してからもそうしてくれていて、2018年の8月6日で更新は止まっているのですが、毎年この日だけ更新されるすごく誠実に筆不精なブログが大好きでした。

去年からこの日に記事を書くようになって、栗原選手が毎年どれだけ苦しんで(もしかするとあの過酷なリハビリ以上に)気を吐くように言葉を捻り

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レジェンド北別府さんの追悼試合に燃えた。広島・床田投手が今季初完封。味方打線のソロ2発で「2-0」。レジェンドの背番号「20」と重なった

レジェンド北別府さんの追悼試合に燃えた。広島・床田投手が今季初完封。味方打線のソロ2発で「2-0」。レジェンドの背番号「20」と重なった

広島のレジェンド投手だった北別府学さんが65歳で16日に亡くなった。この日、追悼試合となった一戦を広島がものにした。左腕床田寛樹投手(28)が今季初完封、打線はソロ2発。「2-0」のスコアは奇しくも、北別府さんの現役時代の背番号「20」と重なった。天国へ旅立つレジェンドへ素敵な餞別となった。

北別府さんは1975年に宮崎・都城農高からドラフト1位で広島入り。19年の現役生活で「精密機械」と言われ

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発信者の心得

発信者の心得

2年前から小中学校の算数・数学の先生に向けた『math connect』という教育誌を制作しています。これは全国の小中学校に配布される媒体であり、一般販売はされていません。媒体の性質上、仕事で関わらなければ目にすることはなかったと思うので、貴重な機会をいただけてありがたい限りです。

コンセプトは「頑張る先生たちを応援する」こと。いろいろお話を聞いていると、やれパワハラだ、やれセクハラだ、行きすぎ

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