シン映画日記『怪物』
TOHOシネマズ西新井にて、是枝裕和監督最新作『怪物』を見てきた。
『万引き家族』、『誰も知らない』、『そして父になる』等を手掛けた是枝裕和が監督、『花束みたいな恋をした』や『世界の中心で、愛をさけぶ』の脚本を手掛けた坂元裕二の脚本、今年の3月28日に亡くなった坂本龍一が音楽担当で、主演が『万引き家族』や『百円の恋』、『ある男』の安藤サクラ、共演が永山瑛太、田中裕子、中村獅童、角田晃広、高畑充希とスタッフ・キャストからして“怪物”級のコラボレーション、共演という本作はとある地方都市の小学校の5年生のあるクラスでまき起こった些細な出来事が、クラスだけでなく、教師や親たち、さらには社会をも巻き込む騒動にまで発展した重いヒューマンドラマ。
シングルマザーの麦野早織はある日、息子の湊の様子がおかしいので訊いてみると、担任の保利先生から暴力・暴言を受けたことを聞き、湊が通う学校へ行き、校長や当事者である保利から事情を聞くが、そこで早織は納得できない対応を受ける。
映画は大まかに
児童の保護者である麦野早織視点の視点、
児童の担任の教師である保利道敏中心の視点、
そして児童側の当事者である麦野湊を中心とした視点他、
この異なる三つの視点、時間軸で構成し、何がこの騒動の核心かを見せるヒューマンドラマに仕上がっている。
まず、この複数のメインキャストによる群像劇を繰り返すように見せる手法は黒澤明監督の『羅生門』を真っ先に彷彿させるが、『羅生門』は雨宿り中のメインキャストによる回想である出来事を捉えているが、本作はメインキャストらが住む街で起こったビル火災を起点に台風の日のある出来事までの出来事を三往復、別視点のドラマを並べて展開する。この三つ別視点(次元)並列の脚本が本作の最大のポイントで、単に黒澤明の『羅生門』オマージュとは言い切らせず、アレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥ監督の『アモーレス・ペロス』ともガス・ヴァン・サント監督の『エレファント』にも近い構造で、後半にある人物が鳴らす楽器の音で空間認識をさせる作りは『エレファント』とも感じるし、出来事からの空間認識は『アモーレス・ペロス』とも感じるが、
小学5年生のある一クラスのトラブルを軸にして児童、教師、児童の保護者の群像劇を展開しながらNHK教育テレビの「みんななかよし」や「さわやか三組」のような小学生向け道徳ドラマにはならず、
歪んだ大人が絡むイノセンスな子供視点のドラマはやはり『誰も知らない』や『万引き家族』の是枝裕和監督らしさがしっかりとある。
この作品が上手いのは
安藤サクラが演じる児童の保護者の目線から見れば保護者に慄く教師らの塩対応ぶりから大部分の教師ら及び学校がとんでもない怪物に見えるし、
逆に学校サイド、特に事情を又聞きの校長や教頭、他の教頭らからは安藤サクラが演じる児童の保護者がいわゆるモンスターペアレントに見える。
そして、麦野湊の視点を中心に、校長の伏見真木子、湊の裏の友達の星川依里のドラマで核心を見せる。
悪人はいないようで無垢のそれらしき者はいるし、
5年2組で巻き起こるトラブルの核心も実はある。
本来なら全然小さな傷で終わることが最大のトラブルに肥大してしまったのは、
事なかれ主義な一部のベテラン教師らと
頑張ってはいるがもう一歩上手くいかなかった現場の担任教師の保利、
いじめられっ子の依里といじめっ子連中の板挟みに合う湊、
これらの上手くいかない所から湊が突発的な何かをし、
保利が振り回され、
ベテラン教師らは経験から来る思い込み&後手な塩対応し、
保護者の早織が教師らの塩対応にキレて、
これらの騒動を公的な集会、さらにはマスコミから社会へ飛散して社会問題という広がりは現代的。
かと言って全面的に斬新というわけではなく、
ベテラン教師らの事なかれ主義は夏目漱石の「坊っちゃん」からあるし、
一教室内での行き過ぎた児童間のいじめは昭和後期・平成の小学生ドラマでもあるし、
これに保護者&当事者児童、その他児童のドラマだって田村正和主演のテレビドラマ「うちの子にかぎって」等昭和・平成でいくらでもあった。
で、いけないことをいまいち罪の意識が薄いながらやってしまうのも映画史でみれば『禁じられた遊び』の頃からあった。
小さな傷を惨事に広げた原因は大きく二つあって、
一つはネタバレになるので、そこ映画を見ていただきたい。
もう一つは本来解決に導かなきゃならない教師ら、特に校長と教頭がしょっぱい。ただ、これはキャラクターとしてのしょっぱさで、そのしょっぱさがこの映画の面白さになる。
担任が熱血教師だったら田原俊彦主演の「教師びんびん物語」になっちゃうし、
校長&教頭がしっかりしてたら(中学校学園ドラマだが)「3年B組金八先生」になってしまう。
そうではない、ごく普通の大人らの対応、レスポンスを見せたけど、しょっぱかったリアリズム。
けど、本作は
5年2組のいじめっ子のいじめ描写が普通過ぎた。
それとそれを傍観する女の子ももう二歩ぐらい詰めればさらに良くなった。
それと、この映画はわざとドラマを濃密にせず、どこか見る側に考えさせる隙間をわざと作っている寸止めな作りになっている。
まあ、強いて突き抜けていたのは誰も本気でなく、
一部の大人のどしょっぱさが時代を、世間を揺らめかせる。
無垢な怪物は昔からいた。
大昔なら体罰で全てを引き締められたがそれが出来ないから小さな傷が致命傷になる。
けど、体罰でもつるし上げでもない何か。
そう考えさせる作品ではあるけど、
個人的にはもう一つ、二つぶち抜けたものが欲しかった。
ネタバレになるもう一つの要素が動く映画でもっとも近いのはトマス・ヴィンターベア監督のデンマーク映画『偽りなき者』になる。
が、
これと
上記で挙げた『アモーレス・ペロス』や『エレファント』、
さらには是枝裕和監督の過去作や
坂元裕二脚本の某過去作と比べても
薄味仕様。
まあ、どぎついのダメっす、
という方にはこのぐらいがいいのかな。
CoCo壱番屋の3辛や4辛。
万人向けの佳作。
あ、
どしょっぱい現内閣総理大臣と
高齢の自民党たちは
これを見て、
骨の髄まで大反省すべし。