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シン映画日記『エゴイスト』

イオンシネマ越谷レイクタウンにて鈴木亮平主演映画『エゴイスト』を見てきた。

中盤までは非常にストレートなLGBTのGを取り上げた恋愛・ヒューマンドラマ映画で、後半に別種のヒューマンドラマに変化する。
エッセイストの高山真の自伝小説が原作で、
監督は『ピュ〜ぴる』や『トイレのピエタ』を手掛けた松永大司監督。
アン・リー監督の『ブロークバック・マウンテン』やフランソワ・オゾン監督の『サマードレス』や『ぼくを葬る』、ガス・ヴァン・サント監督の『マラノーチェ』、ウォン・カーウェイ監督の『ブエノスアイレス』、ロウ・イエ監督の『スプリング・フィーバー』といった古今東西のこの類の映画を思い起こしながらも、そのどれよりも超豪速球のストレートな映画で、後半の展開も含めて超傑作であるが、かなり人を選ぶ映画である点はどうしてもブレーキがかかるが、
本質的にはセックスを主とした性活・私的恋愛と
生きていくための生業・生活の間で揺れる二人の人間の葛藤と考えればLGBTを越えた恋愛映画として傑作である。

主人公斉藤浩輔はファッション誌の編集者で、プライベートではゲイバーに通う性的マイノリティーだが公には公表していない。ある日、自宅近くのジムで中村龍太のパーソナルトレーニングを受けて間もなく意気投合しプライベートでも会って情事をかさねることに。

タイプとして最も近い作品で真っ先に思い浮かぶのが1970年代のワイオミングを舞台にしたカウボーイのLGBT恋愛映画『ブロークバック・マウンテン』だが、『エゴイスト』は自然の風景や社会的な時代背景などといったクッションがない分、繊細ながらピュアでよりダイレクト。
日本では橋口亮輔監督の『二十才の微熱』や『ハッシュ!』が過去にこうした作品ではあり、松永大司監督は橋口亮輔監督の『ゼンタイ』で助監督を務めているので間違いなく影響はあると考えられる。

ストーリー展開では二度大きな波がある。
その一つは浩輔と龍太の不破で
突如の拒絶は最近見た『イニシェリン島の精霊』を彷彿させるが、中身はもっと納得出来、
LGBT恋愛の作品としてより大きく、焦点が合ったものに仕上がっている。
もう一つは阿川佐和子が演じる龍太の母親が関わる後半パートで、別種の映画になりながらも中盤までの荒々しい超豪速球のストレートが
『父と暮せば』/『母と暮せば』に匹敵する上質なヒューマンドラマに変貌を遂げる。
このパートがあるが故に『ブロークバック・マウンテン』よりも優しい方向性で描いている。
これは時代背景の違いが大きいが、
だとしても公では言わず、私的で一隅のコミュニティでの関係性での話であり、
その秘めたものに静かな重さがある。

後半により多くなる「ごめんなさい」という口癖・言葉がなんとも重い。

『ブロークバック・マウンテン』にあったような偏見の目を排除したこで、より内の世界観を描いた点ではフランソワ・オゾンの処女作『サマードレス』になるであろう。『サマードレス』は短編映画でよりシャープに描いたので「真っ先に」とはいかなかったが、「ファッションは鎧」という言葉からくるファッションの重要性と音楽の使い方に共通を感じるが、『エゴイスト』はこのファッションや音楽さえもさらりとスマートに使い、より二人の恋愛・情事をダイレクトに剥き出しに、ハードに見せる。

同種の作品を見ている経験で捉え方がかなり違いがあるだろうし、
根本的に人を選ぶ映画だが、
この種においては古今東西の傑作と比較し、熟考を要する超傑作である。

が、単にLGBTのG特化の作品としての捉え方のみでは映画の解釈としては50〜60点になる。
この映画はLGBT作品ではあるが、
同時にカトリーヌ・ドヌーヴ主演映画『昼顔』や
『昼顔』の続編でミッシェル・ピコリ主演、マノエル・ド・オリヴェイラ監督作品の『夜顔』、
ジェームズ・ブランコ主演、ニコラス・ケイジ監督作品『ソニー』、そして大島渚監督作品『愛のコリーダ』と内容が違う同種・近い種の作品としてとらえなければならない。
ここでの宮沢氷魚が演じる龍太は『昼顔』のカトリーヌ・ドヌーヴであり、『夜顔』のビュル・オジエである。
性的興奮・欲求を満たすセックスよりも
より重い生活。
そういう意味では浩輔と龍太のやりとりは
異性でシチュエーションは違うが『夜顔』のミッシェル・ピコリとビュル・オジエの会話と非常に似ているものであり、
これが『エゴイスト』の本質である。
ここを正確にとらえないとそれこそ差別になりかねない。

まさしく、経験と覚悟を要する傑作である。

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