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【疲れの本質】軽快に生きるには…
疲れとは何だろうか…
当たり前のように
「疲れたー」というわたしたち
けれど本当のところ
わたしたちは疲れのことを
何も分かっていないような氣がする
もちろん自分自身も
例えば
chatGPTに答えてもらうと
疲れとは次のように出てくる
身体的・精神的・感情的なエネルギーが消費され、元気や活力が低下した状態を指します。これは、長時間の活動やストレス、睡眠不足、栄養不足、または病気など、いろいろな検討によってもあります。
1. 身体の疲労
体が肉体的な負担に対してエネルギーを使いこなした状態です。運動や仕事、長時間の立ち仕事などが原因になることが多いです。筋肉のだるさや、身体が重く感じるのが典型的な症状ですです。
2. 精神的疲労
疲労な集中、考え事、またはストレスによって脳がエネルギーを使い果たした状態です。思考力の低下、集中力の欠如、イライラ感などが現れることがあります。
3. 感情的疲労
感情的なストレスや緊張状態が続くことでもあります。
4. 慢性疲労
「慢性疲労症候群(CFS)」などの病的な状態として認識されること
【疲れのメカニズム】
疲れは、身体が「休息を必要としている」ことを伝える自然な信号です。疲労が起こる背景には、以下のような生理的な課題がある
エネルギー不足:グリコーゲンやATP(エ)
老朽化の蓄積:乳酸などが筋肉に溜まる
ホルモンの変化:ストレスホルモン
神経伝達物質の消費:ドーパミン
【対処法】
疲れを感じたら、以下の方法で回復を決意できます
休息をとる:
適度な運動:軽いストレッチやウォーキング
栄養を補給する:バランス
ストレス管理:瞑想や深呼吸
専門家の助けを借りて:疲れが慢性的な場合
疲れは自然な現象ですが、無視すると健康に悪影響を及ぼすことがあります。自分の体や心のサインを耳で判断し、適切なケアを心がけましょう。
もちろんこれは
正解か不正解かという問題ではなく
言葉にすると
なんとなく分かったような
氣がしてしまうということを感じて欲しいのだ
例えば
対処法の部分において
適度な運動
とある
おそらく運動をすることによって
リフレッシュするような感覚を味わえるため
疲れにとって良いとされているのだろう
けれど
実際に
どのくらいが適度な運動なのか
それは言葉では表現されていない
ひとりひとり違うのだから
その時その時違うのだから
当然と言えば当然だ
だからこれは
「あなた自身にとって
その時々に合わせた
適度な運動をしなさい」
ということになる
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つまり
実際に自分自身で
やってみないと分からないのが
ある意味ひとつの正解であり
文字を読んだだけでは
まだ入り口にも立っていないのである
屁理屈のように聞こえるかもしれないが
文字を読んだだけで
なんとなく分かったような気分になり
実際の行動としては
大して何もしないようなことが…
…いや
やっているような錯覚に陥ることが
世の中にはたくさんあるのではないだろうか
栄養を補給する
👆ひとりひとりの栄養は異なる
国で決められた栄養が
全員に当てはまるとは到底思えない
けれど
字で表現されていることに自分を合わせて
自身のことを忘れていく
ストレス管理
👆そもそも管理するストレスを
自分自身で把握することが
結構 難しいのではないだろうか
どこかで見たようなストレスを
勝手に自分のストレスと決めつけ
自身を無視してはいないだろうか
専門家の助けを借りて
👆時としては必要な場合もあるが
専門家に全てを委ねていれば
元気になれるワケではない
あくまでもひとつの助けであり
自分自身で何とかする意識がない限り
同じような疲れからは
抜け出せないのではないだろうか
わたしたちは
分かっているようなふりをして
分かっていない水面を
泳いでいるだけに過ぎないのかもしれない
もっともっと
もっともっともっと…
自分に立つこと
自分で立つこと
やってみよう
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もしかしたら
自分に立つ・自分で立つという
氣が起きない部分に
本質的な「疲れ」があるのかもしれない
表面的な「疲れていること」に
振り回されず
疲れを悪の解釈とせず
その場しのぎの誤魔化す生き方からは
もういい加減 卒業しよう
あなたが思っている以上に
わたしたちは疲れている
そしてその疲れを出すには
あなたが思っている以上に
時間がかかる
思考の中にある時間基準で
身のことは判断できないことを
覚えておこう
「もう3日も休んだから大丈夫!」
こういうセリフをたまに聞くが
そういうことではない
それは作られた思考の中の時間基準で
判断しているだけに過ぎない
疲れているのは
世間に合わせた思考の中だけではなく
あなた自身全てだ
體は繋がっている
あなた自身の時間に身を任せるのだ
そして だからこそ…
「仕事を辞めたら
最低でも3年は何もしない方がいい」
👆このようなセリフを吐く人がいる
この期間も結局は人によるが
世間に合わせた
思考の中だけで生きている人達には
ゾつとして拒否反応を起こすような
セリフであろう
「そんなこと無理に決まってるじゃん」
「何言ってんの?冗談でしょ」
人によっては
言葉自体も聞こえてこない
「履歴書に何もしていない期間があるとマズい」
「働いていない時期があるなんてあり得ない」
「仕事しているのが当たり前でしょ
生活どうするワケ?」
そして👆こういう思考の支配下に引っ張られ
世間に氣を振り回されていくのだ
そもそも
疲れ を受け容れることにも時間がいる
疲れ を出すことにも時間がいる
疲れ を出し切るまでにも時間がいる
そして
その疲れから自然と氣が満ちるまでも
時間がかかる
全て個人の身によって
異なる時間が流れているのだ
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思考の中だけで生きていると
当然これらの流れに委ねることはできず
「何かをしてなきゃいられない」
ドツボにハマる
孤独解釈論のお話を聞いたことがある方は
何かしらピンっときているかもしれないが
孤独解釈は
「ひとりでも大丈夫」等と言うような
浅い話ではない
世間に合わせた思考の世界から離れ
自分感覚に戻り
氣が満ちることを味わうための
とてつもなく大切な入口なのである
疲れ…
この世の中に当たり前に溢れていること自体に
もっと疑問を持とう
昔に比べ便利になっている時代に
どんどん疲れが増していくわたしたち
「リモコンひとつ取るのもイヤ!めんどう!」
「トイレットペーパーを換えるのもダルい
どうして自分がやらなきゃなんないの!」
「朝早く起きたくない…
ギリギリまで寝ている方が幸せ」…
「もっと楽したい…もっともっと楽したい…」
「あーめんどう…やりたくないやりたくない…」
こういう生き方の先に
一体何があるというのだろうか
言葉を変えれば
これは自分の身を
ずっと否定していることにもなりかねないことに
あなたは氣づいているのだろうか
自分に立ち
自分で立ち
自ら動いた時の疲れは
表面的な疲れとは全く違う別物である
言葉にすると
同じ疲れとしか表現できないが
その奥には
氣持ちがよく心地がよく
疲れが嬉しく喜びになり
深くじんわりと広がり温まり
どこまでもどこまでも
疲れの静かな波に乗っかることができる
ひとつのリラクゼーションとなる
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