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表メッセージ

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もう裏だなんて思わない。堂々と、幸せのニュースをお伝えします。日曜日の礼拝ごとに、一週間の生きる力を、人生を変える力を、神の言葉がもっていると確信していますから、それを指し示す取…
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#復活

そのドキドキをそのままに (マタイ28:1-10, ヨハネ20:1-10)

そのドキドキをそのままに (マタイ28:1-10, ヨハネ20:1-10)

◆復活祭から一番遠い時期に

今日は、二つの福音書から、復活の場面を通じて、命を与えられたいと願っています。この時期に復活というのは、何か違うのではないか、とお感じになる方もいらっしゃることでしょう。確かに復活というのは、春と相場が決まっています。春の祭りである過越祭のときに、イエスは十字架につけられ、復活しました。福音書の記述からするならば、それは間違いありません。いまの暦では3月から4月にかけ

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天を見上げて (ルカ24:50-53,使徒1:3-13)

天を見上げて (ルカ24:50-53,使徒1:3-13)

◆映画の真実

特に映画ファンだというわけではありませんが、話題のものや、好みのものは観たいなと思います。いまはあまり感じませんが、昔は、アクション映画を観た後、出て行く客が、すっかりアクションスターになったような気持ちでポーズをとっている、という風景もありました。そうでなくても、映画の主人公のような、清々しい気持ちで映画館を出て行く、というのは、よくあることでした。
 
映画を観て、勇気を与えら

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心を開いて (ルカ24:33-49,24:25-28)

心を開いて (ルカ24:33-49,24:25-28)

◆エマオへの道

復活のイエスを描く場面は、福音書それぞれ、いろいろに描かれています。全く同じことはなく、ばらばらであるために、復活の記事への信憑性が議論されることがあります。否定的な見解の根拠にもなりますが、弁護側の根拠もそれなりにあるようです。私はその人自身の受け止め方を尊重したいと思います。
 
ルカ伝をこの春にお読みしています。十字架への道を辿り、復活を前回迎えました。その復活後の出来事と

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イエスの言葉を思い出す (ルカ23:50-24:12)

イエスの言葉を思い出す (ルカ23:50-24:12)

◆復活はあるのか

キリスト教について、奇蹟が信じられない、と言う人がいます。そもそも「奇蹟」とは何か、問い直す必要もありますが、しかし聖書の記事の中の不思議さは、現実のようには思えないし、癒やしでさえ、どうかという気がすることは、理解できないわけではありません。ただ、奇蹟の中でも、イエスが「復活」したというのは、どうも子どもじみているほどに、ありえない、という声も聞くことがあります。
 
子ども

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復活の聖餐 (ヨハネ6:30-40, レビ17:10-14)

復活の聖餐 (ヨハネ6:30-40, レビ17:10-14)

◆記念としての聖餐

コリントの信徒への手紙一11章
23:私があなたがたに伝えたことは、私自身、主から受けたものです。すなわち、主イエスは、引き渡される夜、パンを取り、
24:感謝の祈りを献げてそれを裂き、言われました。「これは、あなたがたのための私の体である。私の記念としてこのように行いなさい。」
25:食事の後、杯も同じようにして言われました。「この杯は、私の血による新しい契約である。飲む度

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いまどこにいるの (ダニエル7:13-14, ヘブライ10:11-14)

いまどこにいるの (ダニエル7:13-14, ヘブライ10:11-14)

◆いまどこに

「いま」キリストはどこにいるのでしょう。キリスト教を信じたい人からの質問であることもありますが、他方、端から信じない人から問われることもあります。
 
イエス・キリストは、二千年ほど前に、殺されました。十字架刑だったとされています。これについては殆ど疑われることはありません。しかしキリスト教が生まれたというのは、そのイエスが復活した、ということに基づきます。
 
ある牧師は説教の中

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誰が立ち上がらせる (使徒13:14-43, 詩編102:24-29)

誰が立ち上がらせる (使徒13:14-43, 詩編102:24-29)

◆立つということ

「三十にして立つ(三十而立)」という言葉は、「論語」の「為政篇」にあります。ひとは、30歳くらいになると、自分の見識を確立して、独り立ちするべきだ、というような意味合いがあるだろうと思います。人生の区切りをこのように並べた言葉のひとつです。
 
いまの社会でも、政治家として立候補するにはそれくらいの年齢が必要と見なされているようですし、おおまかに言って世間的にも二十歳ではまだ青

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死ななきゃ治らない (ローマ6:1-11, エゼキエル18:29-32)

死ななきゃ治らない (ローマ6:1-11, エゼキエル18:29-32)

◆森の石松

まずお断りします。これからのお話では、「馬鹿」という言葉を多用します。放送禁止用語ではないものの、通常あまり好ましくない語だと見られ、とくに人によっては非常に心傷つく言葉となっている場合があります。しかし、ひとを罵るためではなく、また扱う内容からしても私なりに気を払い、決して悪い意味をもたせるものではないつもりで、以下使うこととします。そのため普通の言葉のように使用することとします。

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死を超えてゆく (詩編23:1-6,ヨハネ11:25-26)

死を超えてゆく (詩編23:1-6,ヨハネ11:25-26)

◆子どもと死

中学入試のための国語の授業をすることがあります。つまり小学生への授業です。物語は、「心情」を読むこと。さらに「心情の変化」に気づくこと。それは、「成長」でもあること。これを構えておけば読めるはずです。以前は、物語は、そうした明るい希望あるものが中心でした。ところが、社会は変化します。「いじめ」の問題は以前からありましたが、最近は物語にも正面からそれを含めるものが増えてきています。

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このお方こそ (ヨハネ一4:7-12, 雅歌8:6-7)

このお方こそ (ヨハネ一4:7-12, 雅歌8:6-7)

◆イエスが中心

今日は、2023年のちょうど真ん中の日です。2月の日数が少ないので、閏年を除いて、7月2日がちょうど一年の中央になります。キリスト教の中心は、何でしょう。いろいろな理解があろうかと思いますが、やっぱりキリストだろうと思います。イエスがキリストである、と信じる人が、キリスト者です。そこで、イエスとはどんな方であるのか、受け止めたいと願います。無理を承知で、いまここでできるだけのこと

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慰めよ (イザヤ40:1-2, ペトロ一1:18-19)

慰めよ (イザヤ40:1-2, ペトロ一1:18-19)

◆復活の後

復活祭を先週お祝いしました。悲惨な殺され方をしたイエスが、死の力を打ち破って、蘇られた。それが、罪に死んだ者を生かす福音へと変わっていくことになります。そのとき、復活は起こったのかどうか、という点に拘泥することは止めました。復活はすでにあるが、問題はあなたが復活をどう「見る」か、そこにあることをお伝えしました。
 
復活後、弟子たちは変わりました。いえ、待ってください。大きく変わった

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見ることは信じること  (ヨハネ20:1-31)

見ることは信じること (ヨハネ20:1-31)

◆復活の物語

「村上復活」がしばしTwitterのトレンドに入っていました。先月21日の、WBC決勝大会のメキシコ戦の報道です。それまで不振に喘いでいた村上選手が、逆転サヨナラ打を打ったことでした。
 
このように「復活」という言葉を、私たちは当たり前のように使います。しかしそれは、かなり比喩的な意味のようにも感じられます。聖書において「復活」は、「死んだ者が生き返ること」以外の何ものでもありま

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終わりの日のために (ヨハネ6:28-40, 出エジプト16:31)

終わりの日のために (ヨハネ6:28-40, 出エジプト16:31)

◆パンについて
 
「ごはんができたよ」。日本人だったら「ごはん」という言葉が相応しいでしょう。それは、米の飯を意味する言葉ですが、同時に広く「食べるもの一般」を指すときに使うことができます。パンでも麺類でも「ごはん」と呼ぶことがありますね。聖書の書かれた地域の文化では、「パン」がそれに当たります。主食と言えるであろうパンが、広く食べるものを示す言葉として通用するのです。
 
いわゆる「最後の晩餐

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新しく生きることができる (ローマ6:4)

新しく生きることができる (ローマ6:4)

◆魅力のないキリスト教
 
復活祭の日に、のっけからこれでは引かれるかもしれませんが、『遺体』という本を読みました。東日本大震災で、遺体を収容する担当となった方々の証言を並べて、小説のような形にした本です。プロではない、ただの市民が、遺体と遺族との対面の現場で世話をする。普通の歯科医が、身元の照合を行う。そんなことが綴られていくのは、読むだけでも息苦しくなってきます。でも、そうした現場のことは、報

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