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聖書と信

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聖書はひとを生かすもの、という思いこみだけで、お薦めします。信仰というと引かれそうですが、信頼などの信として、ひとや世界を大切にする思いが、少しでも重なったらステキだな、と思いつ…
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『詩篇の花束』(広路和夫写真・草苅美穂花・いのちのことば社)

『詩篇の花束』(広路和夫写真・草苅美穂花・いのちのことば社)

義母に差し上げようと思った。店頭で見たとき、これはステキだ、と感じたのだ。
 
2003年に発行され、入手したものは2014年の第8刷である。長きにわたって、よく売れているということなのだろう。ただ、私が好んで買うタイプの本ではなかったので、私の視界には入っていなかった。いま、こうして誰かのために役立つことを考えるようになって、目に映った景色だ、ということだろうか。だから、写真がこよなく美しく輝い

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見抜かれていると感じるとき

見抜かれていると感じるとき

――どうしてこの牧師、自分のことを知っているんだろう?
 
今週の説教を聞いて、妻が言った。もちろん、知っているわけではない。だが、語る説教が、自分の心情や信仰をずばりと突いていることを感じたのである。
 
実はこのような言葉は、あちこちで聞く。多くは、信仰の証しである。証しというのは、自分の体験が神に関わるということを説明することである。神に出会った経験において、礼拝説教が自分のことを言っている

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孤独を覚えるとき

孤独を覚えるとき

孤独は、当たり前のことだ、とも言える。人は、ひとりで世に現れ、ひとりで世を去る。もちろん、祝福されて生まれることが多いだろう。大切に愛されて育てられる、ということがあって然るべきである。だが、名誉も財産も、愛する人も、世を去るときには携えることはできない。
 
すると、生きていることそのものが、本当は孤独であるというふうにも思えてくることがあるだろう。仲間とか連帯とかいうことに、喜びを覚えることが

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仏教とキリスト教についての随想

仏教とキリスト教についての随想

母は禅寺で産まれた。私が小さなころには、車で二時間はかかるところにあり、途中で山道を走るとき、きまって嘔吐した。遠くを見て、と姉に言われ、懸命に耐えようとしたが、毎回、紙袋を入れたビニル袋のお世話になった。
 
寺の本堂は、子どもから見てとても広かった。仏教についての説明された模造紙が貼ってあるなど、なんでもないものと思っていたが、後に歴史を習ったとき、全部知っていたので、役立ったのは間違いない。

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聖書の言葉があなたを助ける

聖書の言葉があなたを助ける

私も自信をなくすことがある。いまの仕事の中でも、ミスが多くなったのは、年齢のせいかな、とは思うが、だからと言って許されるものでもない。当然、落ちこむわけである。
 
そのような意味で自信をなくしたとき、大丈夫だよ、と力をくれる存在。それが人格神などと説明される、キリスト教の神である。イエス・キリストとして神はこの世に来て、私に「神を見る」という経験を与えてくれた。
 
これは実にうますぎる話だ。た

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映画「きみの色」

映画「きみの色」

8月末に封切りで、この近くでは遂に10月末で上映終了となった、映画「きみの色」。その最終上映で、機会を得てやっと観ることができた。
 
ずっと観たかった。山田尚子監督の作品は好きだし、評判も良かった。こういうとき、私は細かな下調べはしないことにしている。殆ど白紙の状態で、映画館に臨むのがいいと思っている。今回も、評判の良さ程度が、予備知識のすべてだった。
 
結果、言葉にできない感動を与えられた。

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『加藤常昭説教全集2 ローマ人への手紙1』(加藤常昭・ヨルダン社)

『加藤常昭説教全集2 ローマ人への手紙1』(加藤常昭・ヨルダン社)

タイトルか出版社を見て、「おや」とお思いになった方がいたかもしれない。「ローマ人への手紙1」は、教文館発行の全集では第17巻である。2005年に発行されたこちらは、改めてヨルダン社版の作品と、さらに多くを重ねて完成したものであり、ヨルダン社は2003年に破産宣告を受け、翌年手続きを完了している。良い本を多く出版していた。惜しいことをした。
 
私が入手したのは、そのヨルダン社版である。手頃な価格で

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分断と十字架

分断と十字架

ちょっとした流行語である。「分断」という言葉が飛び交っている。誰それの考えは「分断」をもたらす。このように相手について指摘することで、議論でマウントをとることができるような空気さえある。
 
ドキュメント番組では、特にアメリカの「分断」が取り上げられている。移民問題もあるだろうし、黒人差別もなくなっているのかどうかは怪しい。いまなお「分断」があることは押さえておくべきだろうと思われる。尤も、二大政

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新しく生まれる

新しく生まれる

「生まれ変わったつもりで頑張ります」という言い回しがある。これまで悪いことをしてきた自分を反省し、人生をやり直す、という場面で使われることがある。清々しい響きがあるように聞こえる。「これから生まれ変わります」と、端的な表現を使うこともあるだろうが、まさかこれに対して、「どうやって生まれ変わるんですか。まさか、私がもう一度母親の胎内に戻るとでも言うのですか」などと質問したら、殆ど喜劇である。ギャグの

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猫が見ているもの

猫が見ているもの

猫は、時々動きを忘れてしまうことがある。空中をじっと見上げ、一点を凝視している。視線の先を確認しようにも、そこに特に何かがあるわけではない。
 
これを気味悪がる人もいる。猫にだけ見えている、何か得体の知れないものが、そこにあるのかもしれない。霊的現象か、しかし人間には分からない何者であるのか。
 
一応の落ち着いた見解としては、獲物を狙う野性の名残だ、という説が有力である。捕食するため、相手に逃

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『福音主義教会形成の課題』(加藤常昭・新教出版社)

『福音主義教会形成の課題』(加藤常昭・新教出版社)

シリーズ名が「今日のキリスト教双書」であり、その第15弾となっている。私が手に取った時点で、発行から半世紀。それで「今日」と言われても、複雑な心境である。発行から50年して、加藤先生も天へ旅立った。しかしすでにこの時点で、牧師としても神学者としても活躍しており、力ある説を告げている。その意味では、「今日」という言葉に偽りがあるようには思えない。私たちは、もっとよくない情況にある、とも言えるからだ。

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言葉の変化

言葉の変化

「ちゅらさん」の再放送を見ている。主人公の恵里ちゃんのぶっとんだところには、むしろ心が洗われるような気もするのだが、看護婦になっての成長もまた見所ではある。ドラマは元々2001年に放送されていた。
 
と、ここまで、何か引っかかるところはなかっただろうか。言葉である。ドラマではすべて「看護婦」という語が飛び交っていた。いまは「看護師」という。男女雇用機会均等法などの背景があり、男女の呼称の区別を撤

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しあわせとよろこび

しあわせとよろこび

時折「幸福論」が表に掲げられる。人は、結局のところ、「しあわせ」を求めている、ということで、概ね間違ってはいないものと思われるからである。
 
結論的に言うと、聖書は、実はいつもこの「しあわせ」を気にして綴られている。旧約聖書は「幸いなり」と始まる詩編が象徴しているようにも思われる。これを受け継いだのが、新約聖書のマタイによる福音書である。イエスの有名な教えの中に、「幸いなるかな」で始まる8つの教

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『まことの説教を求めて 加藤常昭の説教論』(藤原導夫・キリスト新聞社)

『まことの説教を求めて 加藤常昭の説教論』(藤原導夫・キリスト新聞社)

これは「説教塾ブックレット」の一冊である。「説教塾紀要」の中から、一般にも提供すべきである部分を取りだして単行本として発行するものである。今回はその「紀要」からというよりも、加藤常昭先生の多くの著作の中から、四冊を以て、その説教論のエッセンスとして説教について学ぶ機会をもっていた著者が、まとまったものをこうしてひとつの形にしたものであるようだ。
 
その説教論を批判検討しようという意図はない。専ら

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