タカミヒロ

建物にかかわる仕事をしています。服が好き、料理が好き、家が好きな衣食住人間。 趣味でnoteを始めました。

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最近の記事

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僕のプライマル。にはいつもこの曲が。#人生を変えた一曲

カツセマサヒコさんが自身のnoteで、#人生を変えた一曲 の記事を書かれていました。 自分も似たような動機でバンドを始めたこともあり、共感しっぱなしの素敵な文章でした。 が、ただ一つ、ちょっとした不満が。 THE YELLOW MONKEYの「プライマル。」が噛ませ犬みたいになっちゃってませんか?と。 何を隠そう、僕の人生を変えた一曲はおそらくこの「プライマル。」。 演奏して上手くいきませんでしたー、だけならいざしらず、おならて。 そんな紹介のされ方では少し腑に落ちなか

    • 本のはなし:おいしさの「仕組み」がわかる料理のキホン

      レシピを見て工程通りに作り完成を目指すというのが、わたしの料理に対する姿勢でした。 ですが樋口直哉さんのこの本を読んで、料理の完成だけでなく調理の過程に目を向けることも大切なことだと気づかされました。 料理の本と聞くと、多くの人は「この料理を作るならこうしましょう!」といった、一つ一つの料理にスポットを当てたいわゆるレシピ本のようなものをイメージするかと思います。 それに対しこの本は、このやり方にはこんな意味がある、食材に対してこのようなアプローチをしているんですよ、といっ

      • なにを伝えたいかを考える

        昨日のことです。 書いた記事があるライターさんの目にとまり、個人的にはとてもうれしい言葉をいただきました。 好きなことについて書いたものが、好きな人に評価してもらえたのだから言うことなしです。 感じたことを、忘れないように少し残しておこうと思います。 昨日の記事は、自分の好きな曲のことをいろんな人に知ってほしい、よさを分かってほしい、という気持ちで夢中で書きました。 表現のつたなさはあると思いますが、今読み返しても体重の乗ったいい文章が書けたと手前味噌ながら感じます。 文章

        • ショート:肉じゃが

          スーパーでふと新じゃがが目に留まった。小さめのじゃがいもが透明な袋いっぱいに入れられている姿は、なんとなく可愛く存在感があった。 今って新じゃがの季節なんだ。そんなことを思いながら、気づけばカゴに入れていた。 よし、今日は肉じゃがにしよう。 家庭的な人=得意料理が肉じゃが、という方程式が世間的にかなり浸透しているように思う。 わたしも例に漏れず、なのだろう。肉じゃがを作るとなったら不思議とノスタルジーな気持ちになった。 レシピサイトには鍋を使うよう書いてあったが、あいにく

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        僕のプライマル。にはいつもこの曲が。#人生を変えた一曲

          ショート:待ち時間

          わたしは、何かを待つ時間というのがどうにも苦手だ。 そもそも待ち時間そのものを好んでいる人なんていないんじゃないか。 誰かとの待ち合わせ、有名店の行列、テーマパークのアトラクション、転職するタイミング、好きな人からのメッセージ。。。 待つことで得られる喜びが大きいから我慢をするけど、そのほとんどがつらい時間であったり煩わしいものだと思う。 ただ最近、一つだけわたしにも好きな待ち時間がある。朝の通学の電車だ。 正確には電車を待っているのではなく、毎朝見かけるあの人を待って

          ショート:待ち時間

          「幡野広志の、なんで僕に聞くんだろう。」感想文:事実と現実

          noteで書いて、cakesで読んで、お世話になりっぱなしです。 こちらの幡野さんの連載、どの記事もどこか自分にもあてはまるような気がして、毎回読んでいてすごくハッとさせられます。 特に今回の相談者さんの、勝ち負けの尺度でしか物事を見れない、という言葉は、まるで自分の言葉のように感じてしまいました。 相談者さんの悩み、幡野さんの回答は引っ張って切り貼りするべきものではないと思いますので、リンクからぜひご覧ください。 さて、回答の中で、幡野さんは現実と事実の違いを述べられ

          「幡野広志の、なんで僕に聞くんだろう。」感想文:事実と現実

          ショート:路地裏

          落ち込んだり悩みがあるときには、通ったことのない道を選ぶようにしている。 家から数分、そうやって歩くだけで僕の暮らす町はどこかへ行ってしまう。 知らない建物ばかり。でも、どこか見たことのあるような景色。自分が何者でもなくなったような感覚。 大衆に向けて売られた自動車。ゴミを受け入れるためだけに置かれたプレハブ。遠くで聞こえる地上波の声。 無数の人が生きている痕跡を感じながら、自分はそこには必要のないものなのだと実感する。 僕がいてもいなくても、この町はこうして生きていく

          ショート:路地裏

          ショート:ペペロンチーノ

          「ごまかさず、シンプルに。」 彼女はよくそんな風に言っていた。 飾りっ気のない人だったように思う。 白いTシャツ、スキニージーンズに黒いパンプスなどといった、誰が着ても変わり映えのしないような洋服ばかりを好んでいた。 ただ、なにがそうさせたのだろう、ついぞ分からなかったが、それを彼女は誰よりも美しく着こなしていた。 静かに笑う唇だけはいつも真っ赤だった。 洋服やアクセサリー好み、着飾ることに価値を感じていた僕は、しかしなぜだか彼女に心惹かれていた。理由は分からなかった。

          ショート:ペペロンチーノ

          どうしてやるのか、の2つの意味

          どうしてやるのか、が大事だなと改めて感じています。 どうしてやるのか、というクエスチョンには、スタートを意識させるニュアンス(なぜはじめたのか)とゴールを意識させるニュアンス(どこを目指しているのか)の2つの捉え方があります。 なぜはじめたのか、は特にスポットライトを浴びがちですが、一方でどこを目指しているのか、も非常に重要であると感じています。 仕事でも勉強でも趣味でも、どこを目指してそれをやっているのかが分かるだけで意識の仕方が大きく変わり成果にも影響をおよぼすはずで

          どうしてやるのか、の2つの意味

          花の余生を飾る

          家の中に大きなコルクボードがあるんです。 誰がつけたものか分かりませんが、この家を借りたときから壁に貼ってありました。 今まであまり家の壁を飾ってこなかったのでそういった意識が薄く、ずっとほったらかしにしていたのですが、最近になってせっかくついているのだから有効活用したい!と思うようになりました。 こちらが件のコルクボードです、これが結構大きいんですよ。下のほうに電子ピアノが見切れていますがなんとなくそれで大きさがわかると思います。 スペースが大きくいろいろなものが飾れ

          花の余生を飾る

          鳥羽シェフのnoteにも、感動が詰まっている

          わたしは料理が好きです。 とはいっても、料理を仕事にしているような人間ではなく、家で自分で食べる食事を作るのを楽しんでいる、というレベルです。 最近の自粛期間の中でさまざまな著名人の方々が発信をされておりますが、そんなわたしが特にありがたいな!と思っているのが、鳥羽周作シェフが後悔している「#おうちでsio」でタグ付けされたレシピの数々です。見られた方も多いんじゃないかな…?と思います。 何点か作ってみましたが、自分でも少しため息が出るようなおいしさに仕上がり、このところ料

          鳥羽シェフのnoteにも、感動が詰まっている

          謝罪のボーダーライン

          仕事で周りの人に迷惑をかけてしまいました。 ざっくりいうと、手慣れていない仕事に手間取っていたところ、偶然気づいたベテランの方たちにお手伝いをいただいたのです。 指示を出すほうにある程度問題があったとのことで、助けてくれた人たちは「あなたが悪いわけじゃないよ!」と言ってくれるのですが、その言葉でますます自分の不甲斐なさを実感してしまうのでした。 やっぱり申し訳なさを強く感じてしまうので、ありがとうございますとすみませんを言いがちなのですが、そんななかでこれ言いすぎないほう

          謝罪のボーダーライン

          暗いところと安心感

          みなさんは、トイレの電気をつけますか。 わたしは大人になってから、電気をつけずにトイレに入るようになりました。これだと言う理由は特になく、なんとなく落ち着くから。最近はそれに味を占めたのか、ハミガキをしているときも部屋をまっ暗くするようになりました。 多くはないかもしれませんが、こういう人って一定数いると思うんです。ここまで極端でなくても、夜の散歩が好きとか暗めの部屋が居心地がいいみたいな話はそれこそよく聞きます。 どうやらわたしたちは暗さの中に落ち着きを感じているようで

          暗いところと安心感

          好きなものほど…?

          noteに文章を書くようになって数週間。実は意識的に避けてきたテーマがあったりします。 それが、自分が特に好きなもの、に関する話です。 誰かと話をしているときは、好きなものの話題では次々と言葉が出てくるけれど、文章にしてみようとするとどうにもキーが進まない。考えてみると、そんなことが起こっているように感じます。 さらによくよく考えてみると頭のどこかに、簡単には文字にしてはいけない、といった気持ちもあるように感じます。 自分がそこそこ好きなもの、興味があるものに対しては割と

          好きなものほど…?

          彼女の腕

          彼女とはインターネットの傍らで出会った。 勢いで誘いそのまま繋がった、不格好な縁だった。 気負わないほうが意外とうまくいくものなのか、さほど時間はかからずに僕は彼女の家の扉を開けた。 洋菓子やコーヒーの専門書、なにに使うのかよくわからない調理道具。そしてドライフラワーにされたバラが印象的な、ものの多い、けれど落ち着く家だった。彼女はイタリアンレストランのパティシエだった。 夕食を食べていないことを話すと、彼女は家にあるもので用意をしてくれた。 調理の動きそのものに美しさ

          自分をはかる今までのものさし、新しいものさし

          みなさんは自分自身のことをどんな風に評価していますか。 なにをもって自分の価値を認めていますか。 どうしてもわたしには、周りの人と自分との比較によって評価をしてしまう癖があります。 なにかの能力が優れている人を見ると羨ましくなりますし、逆であれば安心します。 この天秤がおおむね均衡を保っているのであればまだいいのですが、そういった視点ではどうしても人のいいところが目に入りやすく、それを純粋にいいね!と思えず、羨ましい。。。と感じてしまうのが常というわけです。 そういったこと

          自分をはかる今までのものさし、新しいものさし