彼女の腕
彼女とはインターネットの傍らで出会った。
勢いで誘いそのまま繋がった、不格好な縁だった。
気負わないほうが意外とうまくいくものなのか、さほど時間はかからずに僕は彼女の家の扉を開けた。
洋菓子やコーヒーの専門書、なにに使うのかよくわからない調理道具。そしてドライフラワーにされたバラが印象的な、ものの多い、けれど落ち着く家だった。彼女はイタリアンレストランのパティシエだった。
夕食を食べていないことを話すと、彼女は家にあるもので用意をしてくれた。
調理の動きそのものに美しさを感じたのはこの時だけだ。芯のあるなめらかさ、繊細なやわらかさを持ちながら淡々と料理を作る彼女は美しく、生きる世界が違うのだと感じた。そして、彼女の腕に残る無数の平行線や、袖からのぞく消えない黒のバラは自分とは違う世界の者である証のように見えた。
安っぽい欲望で出会った僕らは、薄く繋がり清々しいほど簡単にさよならをした。僕は元の世界で、誰かのきれいな腕を見るたびに彼女のことを思い出すようになった。
あの子が作る洋菓子は、僕の知らない味がするのだろう。